「津田梅子賞」とクラリスのオンラインレッスン

 2021年7月5日(月)、クラリスの推薦状を郵便局に出しに行った。何の推薦状かというと、先月、母校の津田塾大学で、「津田梅子賞」にふさわしい人物を募るというお知らせが来たので、クラリスを推薦するとすぐに決めて、推薦状を書いていたのだ。

 「津田梅子賞」の目的は、要項によると、
 
津田梅子のパイオニア精神にちなみ、女性の未来を拓く可能性への挑戦を顕彰することを目的とします
 
だそうだ。もちろん、外国人でも良いという確認はすでに取っている。クラリスにも、この賞に推薦することの OK はもらっている。津田塾のホームページの英語版を送ったところ、津田梅子の生き方や人生観、教育への熱意にとても感動していた。我ながら良い推薦状が書けた。この推薦状を書くにあたって、改めてクラリスのこれまでを振り返って、クラリスがどういった経緯で子どもたちの支援を始めたのかを聞いた。
 私も知らなかったのだが、クラリスにとっての初めての教育支援は10年ほど前に遡る。ある日、道端で泣いている女の子を見つけたのだそうだ。古びた制服を着て、通学用のバッグがないのか、お米を入れる袋に教材を入れていた。声をかけると、授業で使うペンやノートがないことが先生に見つかってしまって、教室から追い出されてしまったのだそうだ。クラリスはそのとき、自分の幼少期を思い出した。クラリスも、今ではすっかり自立した明るい女性だが、幼少期に貧困を経験している。幸い、クラリスには親戚で援助をしてくれる人がいて、学校に通うことは出来た。あのとき、助けてくれた人がいるから、今の自分がいる。そう思ったクラリスは、この女の子を支援することに決めたのだそうだ。
 以来、クラリスは1人で教育支援を続けてきた。働いて得たお金をほとんど子どもたちに費やしてきた。そして、私とクラリスは出会った。クラウドファンディングもした。総勢 210 名もの、ベナンの未来を担う子どもたちの未来を照らすことが出来たのは、ベナンはこのままではいけない」と考えて、立ち上がったクラリスがいたからだ。
 クラリスが私に与えた影響も大きい。いや、私だけではないはずだ。日本では、「アフリカ」と聞けば、「貧しい」やら「遅れている」やら、負のイメージがつきまとう。が、私のブログを見て、ベナンの良さを知って、ベナンに関心を寄せてくれる人が本当に増えた。私が学校で勤めていた際には、教え子たちが私以上にベナンについて調べていて、プレゼンの題材にした子たちもいた。圧倒的に男性優位の社会で、自分のやりたいことを貫いて、子どもたちのために奔走するクラリスを見て、「こういう風に生きたい」と思った女の子はきっと多くいる。また、クラリスは私と出会ったとき、
 
『英語を勉強していて良かった。マキと話が出来るから。』
 
と言った。ベナンでは、全くと言っていいほど必要ではない英語も身につけて、クラリスは自分の世界の幅を広げた。きっと、ベナンの子どもたちは、クラリスを見て、勉強をすれば世界が広がるということを知るのだと思う。そういう意味でも、日本でもベナンでも、クラリスが担う役割は本当に大きいと思う。自分で言うのもなんだけど、良い推薦状が書けた。結果は10月だそうだ。
 さて、当のクラリスはと言うと、何と、今日から日本人向けにフランス語をオンラインで教えるのだ。主催者は、私とクラリスクラウドファンディングの際に記事を書いてもらった、ganas さんだ。
 
 
クラリスは、このレッスンをするために、パソコンも新調した。そのパソコンは、クラリスから送ってもらったお金で私が日本で買ったものだ。それを、ベナンまで送って届けたのだ。ベナンでは、中古品が出回っていてあまり製品の質が良くない。ただし、日本の中古品ならばとても質が良いので、私がクラリスの予算内で買えるものを選んだのだ。問題は電波だが、安定した回線を何とか確保出来そうとのことだ。クラリスは明るいし、日本人と接することが多いので、きっと楽しくやるだろう。私も参加したかったが、スケジュールが合わなくて断念した。
 今は遠く離れているクラリスと私だが、クラリスが CHILDREN EDUC をしっかり引っ張ってくれるし、志が同じだからか、あまり離れている感じもしない。クラリスは着々と活躍の場を広げているようだし、私も今は日本でしっかり働いて、お金を貯めて、やるべきことに邁進するのみ。
 

津田梅子とクラリス

 6月15日(火)、ついに33歳になってしまった。年々、誕生日は特に楽しみでなくなるというが、本当にそうだった。クリスマスからお正月にかけてはゆっくり過ごせるし、食事も豪華になるから楽しみだが、6月なんて雨ばかりで何も楽しくない。

 母校の津田塾大学で、1年に1回、「津田梅子賞」なるものが授けられるらしい。OG に届くメールで要項が送られてきた。見た瞬間に決めた。クラリスを推薦しようっと。
 津田梅子とは、津田塾大学創立者で、新5000円札の顔となる人物だ。クリスチャンゆえに、津田塾大学も一応クリスチャンの大学らしいが、私は入学して初めて知った。在学生でも知らない人は多いと思う。その代わり、大学構内に梅子の墓があることは、津田塾の人間ならば知っている。法律上、墓を大学構内に作るのは極めて不可能に近いそうだが、なぜか梅子は特例だったらしい。都市伝説があって、墓参りに1回行くと結婚が出来ないとかなんとか。2回行けば結婚が出来るとかなんとか。3回行けば離婚するとかなんとか。そんなことしなくても津田塾卒業生の独身率が高いのは私の気のせいだろうか。そして、梅子自身が生涯独身を貫いた。
 結婚云々は置いといて、明治時代に6歳で(諸説あり)アメリカに留学したなんて、令和になった今でも驚くべきことだ。そして結婚の話もことごとく突っぱねて、女性の教育と地位向上に努めたなんて、周りの人はどう思っていたんだろうか。きっと、変な人とか変わってるとか、思われたんだろうか。令和の時代ならば、新札の顔になるくらいだし、「津田梅子ってすごい」と社会的に思われるのに、今よりも男尊女卑の風潮が強かった明治時代に、彼女はどうやって生きていたんだろうか。
 そう考えると、多分今のベナンでのクラリスは、明治時代の日本の津田梅子と似ている気がする。ベナンでは、日本よりもっと女性の地位が低い。他人の私に対しては、男性もあからさまな態度をとることはなかったが、クラリス曰く、家庭内では男性が一番偉くて、子どもや老人の世話は女性がやるらしい。以前、日本とベナンでの結婚観や結婚生活の違いについて話したことがあるが、話を聞いただけで、ベナン人との結婚は無理だなと思った。でも、そんな中、男性に臆することなく男性に喧嘩をふっかけたり、ベナンでは適齢期と呼ばれる年齢にさしかかっても結婚云々に振り回されずに、自分のやりたいことを貫くクラリスは、どこか津田梅子と重なる。働いて得た給料をベナンの子どもの教育のために捧げるクラリスに、何かしら栄誉ある賞が与えられても良いと思った。そう考えた私は、パソコンに向かって、推薦状を書き始めた。

夢と老いへの第一歩

 5月10日(月)、ようやく新しい就職先が決まった。この1ヶ月ほど、非常に焦っていた。調理師免許を取ろうと決めてから、2年間の実務経験を踏むためにお世話になるところを探していたのだが、どうにもうまくいかなかった。夢がたち消えになるところだった。

 実務経験を積む2年間、学校の先生として働くことは出来ないが、どのような形態でも英語を教えていないと自分の英語力も落ちると思って、日中は調理の仕事、夕方から英語を教える仕事をすることにした。英語を教える仕事はすでに決まっていたが、調理の方は、夕方から別の仕事をするために移動するとなると、なかなか見つからなかった。しかし、幸運にも、とある保育園で、こちらの条件も私が全くの未経験であることも受け入れてくれるところが見つかった。子どもは好きだし、本当に良かった。来週から早速、その調理の仕事も始まる。これまで、のんべんだらりと過ごしてきたが、来週から朝から晩まで働くことになるのだ。
 これまで教育畑で働いてきた私にとって、調理の仕事は全く初めての経験である。新しいことにチャレンジするのは好きだし、好きなことを仕事に出来るのは良いことだ。仕事が決まるまでの間、あまりにも暇すぎて、今後の自分の人生設計をしてみた。
 こう見えて、御年32歳の私。そろそろ自分のこれからを考えてみよう。まず、ベナンに行けない期間は、日本でまたお金を貯め直して、日本からベナンのための活動をするのだ。クラリスともすでに次の計画も立てている。クラリスとの活動は、クラリスが私を必要としなくなるまでは、続けるつもりだし、出来るなら一生続けたい。ただし、骨を埋める場所は日本と決めているから、私も日本で生活基盤をしっかり築かないといけない。前まで不思議なくらいになかった結婚願望も芽生え、子どもも欲しいなと思う。クラリスとの CHILDREN EDUC も続けつつ、日本で貧困にあえぐ子どもたちの役にも立ちたい。30代になっても、まだまだやりたいことが多すぎて、体も時間も足りない。でも全部叶えたい。前からずっと、やりたいことには全てチャレンジしてきたと思ったが、それでも何でもっと早くからやらなかったのだろうと後悔する。世の若い子たちが羨ましい。後悔する一方、つくづく、2年前にベナンに踏み出して良かったと思う。もしまだ迷っていたら、今はコロナでそんな海外に行ってる場合ではなかった。やりたいと思っているときが、ベストなタイミングなのだろうと思う。
 32歳とは、世の中から見れば若者に分類されると思うのだが、ここ最近、衰えを感じざるを得ない。体力というより、恐怖心が出てきた。今更ながら、よく女一人でアフリカに渡ったよな、と思う。数年前は、新年早々スカイダイビングなんかやっていたが、今は出来る気がしない。転ぶのが怖くてヒールのある靴が履けない。老いは確実にやって来ているから、今出来ることは今のうちにやっておこう。

学校を語ってみる

 4月6日(火)、学校の先生として務めていたら新学期が始まる頃だ。社会人になってから、学校で務めていない年は無かった。毎年この時期は新学期でてんやわんやで、初めて会う生徒がどんな子たちか、楽しみにしているのに、今年は違う。

 調理師免許を取ろうと決めてから、お世話になる飲食店を探す...はずであったが、何だか学校を辞めてから腑抜けになってしまい、気がつけば4月になってしまっていた。慌てて就活を始めている。

 何だか学校が懐かしいなぁと思って、今日は学校を語ってみようと思う。

 大変な仕事ではあったが、何だかんだ楽しかった。思春期真っ只中の子どもたちと1日の大半を過ごすわけだから、衝突も当然起こる。あっちも本気、こっちも本気で、本気と本気がぶつかると、そりゃまあ凄まじいバトルになる。しかし、これもまた不思議なことに、こっちから謝ると、生徒は「ま、いいけど」という態度になる。

 世の中には、わいせつだの盗撮だの体罰だの、本当に人間としてくだらない先生も多いが、不思議なことに、生徒は変わらない。それは家庭教育がしっかりしているから、という考えもあるだろうが、家庭教育が機能していなかった生徒だって優しかった。私がどれほどクズな授業をしてしまっても、感情的に怒ってしまっても、翌日には必ず笑って「おはようございます」と言ってくれる。私が「ごめんなさい」と言えば、生徒は必ず分かってくれる。学校って、衝突も起こりやすいが、そういう優しさが生まれる場所でもあると思うのだ。

 何とかというユーチューバーが学校に行く行かないについて論じていたが、人によって考えは様々だし、クソみたいな先生も当然いるわけで、そりゃそんなところには行きたくないよなとは思う。選択の機会も増えてきているから、権利の幅は広がると思う。つまり、どの学校に行くかではなく、学校に行くか行かないかという選択をすることや、学校に行かないという、教育の権利を捨てることもあり得る時代になるんだろうなと思う。

 私にも昔、学校に行きたくない時期があった。あまり覚えていないが、父の転勤で、新しい学校に通い始めてからだったと思う。なぜか、慣れてきた頃に、行きたくなくなった。親には、行きたくないと正直に言ったか、お腹が痛いなどと仮病を使ったかは覚えていないが、とにかく学校を休みたい旨を母に伝えると、『あっそう。』くらいにあっさりしていた気がする。母としては、1日限りのことと思ったのかもしれないが、これが長引いた。あまり当時のことは覚えていない。理由を聞かれたかもしれないが、理由なんてなかった。今思い出しても、何で行きたくなくなったのかは分からない。別にいじめられたわけでもないし、勉強についていけなかったわけでもない。でも、はっきり覚えているのは、父にも母にも姉にも、学校に行くことを強要されることはなかったし、なぜ行かないんだと問いただされることもなかった。仕事が激務だった父も、さすがに心配はしていたと思うが、それでも何も言わなかった。幼少期から学校で優秀だったという父は、学校に行きたがらない私を責めることはなく、代わりに父が家に帰るなり発していた言葉は、『今日は元気に過ごしていたのか。』だった。

 学校に行ったかどうかではなく、元気だったかどうかを心配していた父と、私の大好物を作り続けてくれた母を強力な味方として得た不登校児は、「家にいれば安全」という安心感がしっかり育まれて、充電期間が済んだのか、しばらくして学校に戻った。それも何かきっかけがあったわけではないと思う。ふと、行ってみるか、という気持ちになった。私の感覚では数ヶ月くらい続いていたように思ったが、後の母の記憶では、わずか数週間足らずだったようだ。

 我が親ながらすごいよなぁと思う。私ももう親になってもおかしくない年齢になって、親の気持ちが分かるようになった。きっと私なら『なぜ行かないんだ?』と問いただし、より一層追い詰めていたと思う。待つ、ということが、子育てでどれほど難しいことか。

 私の場合、家でも学校でも深刻なトラブルがあったわけではないからラッキーだったが、日本全国、いじめや家庭での問題を抱えていて、明日を迎えるのが怖いと思っている子がどれほどいるのだろう。特にこのコロナ禍、凄まじく学校現場に爪痕を残してくれた。こいつのせいで、どれほどの子が学校に来れなくなってしまったか。政府としては、ワクチンも大事だろうが、ネット環境をしっかり整備して全ての子どもに教育へのアクセスを保証することも同じくらい大事な仕事だと思う。今はまだ目に見えないかもしれないが、多分数年後にははっきり数値で現れると思う、学力と幸福度で。

新しい挑戦

 3月13日(土)、期末試験も終わり、採点や成績配布も無事に済み、怒涛のような3学期がようやく終わった。今日で学校の先生を辞めることにした。これからしばらく学校の先生に戻ることはない。

 その理由は、仕事が大変だったから、なんていうものではない。社会人になってからの生活なんて、大学院生時代に比べたらなんてことない。学校の先生を辞める決心をしたのは、新たな夢を見つけたからだ。
 30歳になって、夢を追いかけてベナンに飛び出し、予想以上に行ったり来たりの生活を繰り返したが、ベナンと日本を交互に見ていくうちに、日本の貧困に目が行き始めた。正直に言って、今まで全く貧困問題に興味は無かった。ベナンに行ったのだって、別にベナンのために何かしたいと思ったからではなく、単に夢を叶えに行っただけだ。しかし、ベナンで生活していくうちに否が応でも目にする貧困問題は、もはや目をそらすことすら出来なかった。その目を持ったまま日本に帰ってくると、今度は日本の貧困問題が見えてきてしまった。特に今、コロナ禍で食べ物が満足に食べられない人が多いと見聞きした。日本だろうが先進国だろうが、貧困問題はどこにでも転がっている。一方、自分は実家暮らしで何の不自由もなく暮らして、この差は何なんだろうと思う。
 ということを考えているうちに、将来的に、日本で困っている人たちに食を提供する場を設けたいなと思ったのだ。ちょうど、このご時世だから教員免許以外に何か免許が欲しいなと思っていたから、いっちょ調理師免許でも取ろうと決めた。
 私は、恐ろしいほどに切り替えが速く、思い立ったが吉日、即行動に移す。調理師免許を取るには、学校に通って資格試験を受ける以外に、週4日、1日6時間以上飲食店で2年以上働いて実務経験を積んだ後に資格試験を受ける方法があるそうだ。言わずもがな、学校に通うお金などない。1日6時間以上飲食店で働いたら、そりゃ学校で非常勤も出来るわけがない。ということで、学校は辞めざるを得なかったのだ。
 我ながら、本当に落ち着かない人生だなと思う。家族も呆れていた。私に務まるかどうか分からないが、私みたいな自己肯定感の塊みたいな人は何だか出来る気がするのだ。とりあえずやってみよう。
 1つ大きな後悔というか、残念なことがある。これまで勤めていた学校には、もう少しいたかったなと思う。やはり学校は何年いたとしても生徒は毎年変わるから新鮮だし、自分が一番生き生きして働くことが出来る場所だなと思う。塾や予備校で教えるのも好きだが、学校という場所が一番好きだ。調理師免許を取得するまでの2年は、学校で勤めることが出来ないのが残念だ。でも、新たな夢が出来たことも、一方ではとても嬉しい。クラリスにも話したら、とても興味深そうであった。クラリスとのベナンでの活動は今後も変わらず続けていくが、どうせしばらくベナンには行けない。ということで、どんな飲食店で働こうか、就活を始めなくては。

アフリカ布、犬デビュー

 1月2日(土)、2021年が明けた。というのに、明るいニュースは無く、相変わらずコロナウイルスは猛威を振るっている。大晦日にまた感染者は爆発的に増えたから、きっとまた政府は慌てて緊急事態宣言を出すのだろう。

 帰国して3ヶ月。せっかくベナンに行って痩せたのに、帰国してたるみきったお腹はどうしようもないレベルに達していた。動物ならこのまま冬ごもりをするために栄養を蓄えているんだと言い訳になるのだが。それは分かっていても、正月くらいたくさん食べて寝ていたい、とゴロゴロしていたら、友達から連絡が入った。
 その友達、彼女は、私のベナンでの活動のことをとても応援してくれている。3ヶ月前の帰国の際、私はまたクラリスのお姉さんに服を作ってもらった。通常、女性1人分の服を作るくらいなら、布は相当余る。友達はその布の模様が気に入ったそうで、余った布を、彼女にプレゼントしたのだ。そしてその布を、飼っているワンコの服に使ったようだ。
 世の中、本当にありとあらゆることが可能になって、今では人間の服だけでなく、ワンコの服もオーダーメイドが出来るのだ。私の知り合いの知り合いに、ちょうどワンコの服を専門に扱っている人がいて、その人に頼んだのだ。クラリスに言ったらビックリするだろう。ベナンでは犬や猫はペットではなく、食用であるし、猫の場合はねずみ取りとして家に住みついていることもある。狂犬病の危険性があるから、犬には近寄らない。だから、犬や猫に服を作るだなんて、多分信じないだろう。
 その服が完成したのだ。アフリカ布を、日本人が身にまとうのはもはや驚かないとして、日本のワンコが着るというのは興味深い。さて、ワンコは気に入っただろうか。

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ワンコ、渾身の1枚。

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服の全貌。
何とも言えない表情である。アテレコをするなら、『何これ...?どこの布?』といった感じだろうか。犬だから当たり前だが、人間のように黙ってピースをして写真を撮らせてくれるわけではないから、この写真を撮るのも一苦労だったようだ。ものすごくベストショットに見えるが、きっと何回も撮り直しての渾身の1枚だったのだろう。家の中での「映えポジ」も追求してくれたそうだ。しかしこのワンコ、めちゃくちゃかわいい。ニヤニヤしてしまうではないか。そして、自分が選んだ布ではあるが、とても良い生地ではないか。デザインも、燕尾服のような作りでおしゃれだ。このワンコは『何かいつもの服と違うなあ。』と思いながら着ているのだろうか。断然犬派である私は、犬のアテレコも好きなのだ。今日こそは新学期の準備をしようと思っていたのに、私の正月はこのワンコのアテレコで終わった。

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私、帰国前の渾身の1枚。いつかこのワンコとペアルックをすることを夢見て。

ベナンでのクリスマスイベント

 12月22日(火)、クリスマス直前。凄まじく激務であった。帰国して、またもや学校の英語の先生として働いているのだが、つい2ヶ月前までベナンニートのような生活を送っていたことが懐かしい。日本の学校で働くと、1日があっという間すぎて、自分だけ1日が24時間ではなく、15時間くらいなんじゃないかと思う。

 いよいよ、2学期が終わり、冬休みに入る。まさか、1学期だけ勤めた学校に、戻ることになるとは思わなかった。あのときは1学期限定の病欠代替として入ったし、9月にベナンに戻る予定でもあったから、もうこれっきりだと思っていた。ところが、また先生が足りなくなってしまったそうで、声がかかったのだ。「ちょっとベナンへ」と言って去ってから2ヶ月ほどで、しかも2学期の途中から再度やってきた私を、生徒たちも先生たちもあたたかく迎え入れてくれたことには感謝である。そんな怒涛の2学期も終えて、冬休みに入ろうとしている。
 日本でも、この時期になるとクリスマスに向けて忙しくなる。ベナンでもそうである。そして今日、私とクラリスにとっての一大イベントがベナンで開催されるのだ。
 この前、クラリスと電話でミーティングをした際、次の私たちの活動は、クリスマスイベントということになった。クラリスがサンタに扮し、私たちが以前支援した Cove の子どもたちに会いに行くのだ。もちろん、私は現地に行くことが出来ないため、クラリスが友人や家族に手伝ってもらって実行するのだ。クラリスは、このイベントのついでに、子どもたちがちゃんと学校に通っているかを確認してくるのだという。すなわち、クラウドファンディングで集めたお金が、有効活用しているかを偵察に行くのだ。抜かりないところが、さすがクラリスだなと思う。
 このイベントでは、子どもたちにクリスマスプレゼントとして食料品を渡す。さらに、1年に1回のクリスマスなのだから、子どもたちに目一杯良い思いをしてもらうために、Cove から一番近いところのホテルを会場としても借りるのだという。ホテルといっても、写真を見た感じゲストハウスのような感じだった。クラリス曰く、Cove という小さな村から出たことのない子どもたちばかりだから、ホテルでクリスマスパーティーをするなんて、きっと彼らの世界を広げることになるんじゃないかということだ。プレゼントの食料品などは、私とクラリスで折半しようということになった。ということで、クラリスにお金を送らなければならなくなった。日本からベナンへの送金手段として、Western Union を用いた。これがまたとてつもなく厄介で、受け取り手の名前を間違えてはいけないということは当たり前だが、私はクラリスのミドルネームの位置を何度も間違えていた。日本人の名前にはミドルネームがないから、概念がなくて難しい。正直、ミドルネームが果たす役割も分からない。しかし、便利な世の中になったものだ。相手の名前とメールアドレスだけで、現地通貨でお金を受け取れるなんて。そんなこんなで、ギリギリになってようやく送金も出来て、今日を迎えたのだ。
 私たちが11月にプロジェクトを実行したときにクラリスが雇った友人のカメラマンも、今回の旅に同行したようだ。プロが撮った写真の数々を、クラリスがドライブで共有してくれた。それを見る限り、大成功だったようだ。クラリスは持ち前の頭の良さを生かして、きっと色々とプランを練って、この日を迎えたのだろう。子どもたちの顔を直に見てみたかった。そうすれば、よりリアルな子どもたちの感想が分かっただろう。

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会場の様子。

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プレゼントを渡すクラリス

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サンタクラリス。このドレスの生地は、かつて私が作ってもらったドレスと同じ生地である。

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これは以前、クラリスが1人で行ったクリスマスイベント。

 今年のクリスマスイベントは、CHILDREN EDUC として行ったが、その前まではクラリスは1人でこのイベントを開催していた。今年は、子どもたちへのプレゼント代は私と折半だったとしても、Cove までの旅費やホテルの貸切代、その他の費用はクラリスが払った。そこまでする彼女のモチベーションには本当に感心する。自分のために使いたいお金や時間だってあるだろうに、1年に1回のクリスマスで、それらを子どもたちのために捧げるなんて。すごいなあ、と思いながら、私は Amazon で 自分用のクリスマスプレゼントとして、ムーミンの冬用パジャマをポチッとした。