ベナンに行って良かったことと全日本フィギュア
12月25日(水)、
ボケーっと並びながら、そういえば日本に帰って来て、ベナンに行く前と変わったことは何だろうかと考えていた。
まず、足の裏が赤ちゃん並みにツルツルになったことだ。 日本で働いていたときは、毎日結構歩いていたし、 ヒールを履いていたので足の裏はガサガサであった。あの、 皮がツルンと剥ける話題のやつを何度使ったことか。しかし、 ベナンに行ってから本当に歩かなくなった。 道が歩きづらいから移動はバイクタクシーか車ばかりだったのだ。 足に負荷がかからなくなったからか、 とにかくツルンツルンである。良いことだ。
また、自覚は無いが、痩せた&焼けた&老けた そうだ。まず、痩せたという件に関しては、 体重計が数値で証明してくれたので、確かに痩せていた。 これは間違いなくベナンに渡ってから病気三昧だったし、 下痢も続いたし、 日本みたいに美味しくて甘いお菓子が常に手に入る状況でもないから だろう。高額なお金を出してダイエットをするくらいなら、 ベナンに1ヶ月滞在すれば十分に痩せられると思う。 飛行機代を含めても、多分後者の方が安いのでは、と思う。
焼けたことに関しては、最初は自覚が無かったものの、 人と比べると確かに焼けた。 自分より色が白い男性を見るのは実に新鮮であった。
『老けた』というのは、家族に言われた。 最初は反論したものの、4ヶ月の滞在で色々苦労したからか、 確かにシワは増えた気がする。しかし、 人に言われるとなかなかショックである。よく母に、
『白髪増えたね。』
と、事実を突きつけていたが、もう言わないでおこう。
あと、日本人の良さがとにかく目に入る。これは、 クラファンをやったからだと思う。 赤の他人である私とクラリスのプロジェクトに賛同し、 見たこともないベナンの子どもたちのためにお金を出してくれた支 援者がいるということを知って、 同じ日本人であることに心の底から誇りを持つことが出来た。
よく、海外から帰ってくると日本や日本人のことを悪く言ったり『 海外では~だったのに、日本では…だ。』 と両者を比べて日本人を悪く言う人もいるが、私は逆で、 日本人は何て素晴らしい民族、と思っている。 重いスーツケースを2つも持ち帰って成田に着いたとき、 多くの人がエレベーターのボタンを押して待っていてくれたり、 私が東京駅でおむすびころりんのように転げ落ちたときにも、 エスカレーターを逆走して助けに来てくれたおじさまもいた。 都会に住んで、 その暮らしに慣れると見逃していたであろう日本人の良さが、 今はとことん目に入る。
結局のところ、 物事の良いところはそれを見ようとしなければ目に入らない。 私は幸い、日本人のあたたかさを知ったから、 見ようとしなくても自然にそれが目に入る。そして、自分が日本人であることをとても誇りに思うことが出来ている。
というようなことを考えていたからか、気がつくと自分の手にケーキがあった。ここ最近、疲れが溜まっていたのか、列に並び始めてからケーキを買うまでの記憶が曖昧である。時間的には30分ほど並んでいたようだが、最初の5分ほどくらいしか覚えていない。とりあえず、無事に家には着いていた。
今日は、帰ってから絶対にやらなければならないこと、というかやりたいことがある。それは、フィギュアスケートの全日本選手権を見ることだ。テレビではすでに放送されたが、私はテレビで見ることがあまり好きではない。はっきり言って、解説が邪魔だからだ。私ほどのオタクになると、解説なんぞ無くてもジャンプやスピンの種類も分かる。演技と曲以外は雑音なので、私は YouTube で解説無しのやつを探すか、どっかの国の全く知らない言語による解説付きのものを見る。
以前に、高橋大輔について記事を書いた。彼は、ソチオリンピックの後に一度は引退をしたものの、現役復帰を果たした。そして、何と来季からはアイスダンスに転向するという。同じフィギュアスケートでも、全く異なる競技とも言える。現行ルールでは彼に勝ち目が無いことは誰の目にも明らかであった。それなのに、彼は競技の世界に戻って来た。30歳を過ぎてからアフリカに夢を叶えに行くという私は、高橋大輔から何度勇気をもらったことか。今日は彼の、シングルとして最後の全日本選手権である。
同じくオタクである姉は、すでに見終えていて、しばらく放心状態になっていた。引退ではないものの、シングルとしての競技人生は終える高橋大輔の演技を、私は心して見た。
またもや王道な曲ではなく、難解な曲に乗せて、高橋大輔の演技が始まった。ジャンプのレベルは、現役のときより下げているし、本番の緊張ゆえか、いつもより体力的に厳しそうであった。しかし、なぜだろう。才能に溢れていながら、なかなかメダルが取れなくて、ファンをやきもきさせても、それでも高橋大輔の演技は見飽きない。本当に、1人の人生の映画を見ているようなのだ。映画でありながら決して終わらない、でも何か劇的な展開があるわけでもなく、でも何回かに1回に、神がかった演技をして、映画より映画っぽくなる。
2007年の東京で行われた世界フィギュアもそうだった。それまでガラスのハートと揶揄されて、プレッシャーに打ちのめされて惨敗し続けてきた高橋大輔が、見事に「オペラ座の怪人」を演じきった。怪人のマスクを剥ぎ取って終わるフィニッシュポーズが妙に記憶に残っている。マスクを剥ぎ取った高橋大輔の目には涙が浮かんでいた。あのとき、剥ぎ取ったのはマスクではなく、プレッシャーや弱さだったのではないか。初めて銀メダルを取って、日本男子フィギュアが世界で戦えることを示した演技だった。
そして今、彼のシングルとしての最後のステップに差し掛かったとき、やっぱりまた神が降臨した。体力が持たないだろうと誰もが思っていたのに、最後のステップでは、まるで今から演技を始めたかのように、体力の心配を微塵も感じさせないほど、スピード感に溢れていて、本当に良い笑顔だった。現役のときの技術力にも、現行フィギュアで求められる技術力にも、ずっとずっと届かないものではあったが、初めて世界フィギュアで銀メダルを取ったときのように、少年のような笑顔で、それでいて少し寂しそうな、そんな表情だった。演技を終えた後、私は彼が現役選手として存在しているこの時代に生きていて良かったと、本当に心から思ったのだ。
毎年、全日本フィギュアにはドラマがある。世界フィギュアやオリンピックの代表選手が決まるだけに、全ての選手がここに照準を合わせてくる。トリノ、バンクーバー、ソチ、ピョンチャンを目指して、夢散った選手も、夢を叶えた選手もいた。女子では現在、選手の低年齢化が問題視されていて、10代のメダリストがもはや普通になった。浅田真央が、2006年に当時の絶対女王のスルツカヤをグランプリファイナルで破ったときも、『勝ったのは15歳、浅田真央!!』と驚かれていたが、もはやここ最近は20代の選手が勝てない。若い方が良い、という風潮になった。だからこそ、浅田真央もソチオリンピックの後、一度は現役を離れたものの、競技に復帰してきたことが本当に勇気を与えてくれた。
高橋大輔も浅田真央も、ジュニアのときから注目度が高くて、メディアに出るたびに『オリンピックで金メダルを。』と目標を掲げていた。しかし、いつからだろうか、2人も言わなくなった。注目度が高くなるにつれて、品のないマスコミが追いかけ回して、下らないメディアが下らなさすぎる報道ばかりして、それに嫌気がさしてフィギュアを辞めてしまうのではと心配したこともあった。夢を語らなくなった2人だが、浅田真央は20代で、高橋大輔は30代で競技に戻った。言葉にしなくても、フィギュアスケートへの情熱がまだあったことが、私には嬉しくて仕方なかった。夢を見るのは10代だけではない、大人になっても夢を持っていいのだと、彼らから教えてもらった。何歳になっても、「◯◯になりたい」「◯◯したい」と、無邪気に語っても良いのだ。