浅田真央

 2月14日(金)、今日はバレンタインデー。毎年バレンタインデーを迎えると、『ああ、もうあれから◯年経とうとするのか。』と胸が苦しくなる。あの日から私にとってバレンタインデーは、とろけるような甘い思い出などでは決してなく(というか、元からそんな思い出はない)、夜通し泣き明かすほど心がえぐられる苦しい思い出であり、かつ絶対に忘れられない感動を得た日を思い出す日なのだ。

 2014年2月14日(金)、ソチオリンピックフィギュアスケート男子シングルのフリースケーティングが行われた。町田樹高橋大輔パトリック・チャン、ハビエル・フェルナンデス、デニス・テン、数々の名プログラムが誕生した。金メダルは羽生結弦が取り、日本人男子として、初めてのオリンピックチャンピョンが誕生した。この時点でただでさえ、オタクである私の心臓は張り裂けそうになっていたのに、この6日後には、女子のフリースケーティングが行われるのだ。
 注目はもちろん浅田真央バンクーバーで取り損ねた金メダルを、今度こそ、ソチで。本人もそれを望んでいたし、オタクだって望んでいた。彼女の夢こそ人類の夢だからだ。私は高橋大輔のファンであると同時に、浅田真央のオタクでもある。どっちの方が好きか、という質問はナンセンスである。好きとかそういう次元ではない。
  スケート人生で、色んなことが彼女の身に降りかかった。幼い頃からどれほどのプレッシャーを背負ってきたのだろう。今度こそ金メダルを、と日本中の期待を一身に背負って、迎えたソチオリンピックショートプログラムは、まさかの16位。ジャンプがことごとく決まらなかった。上位陣との点差も20点近く離れた。失意の底に落ち、金メダルの夢は絶たれたと言って良い。この日、私は泣くに泣けなくて、放心状態で1日を過ごした。姉も仕事にならなかったと言っていた。母も気落ちして、父だけが妙に能天気であった。
 翌日のフリースケーティング。メダルどころか、入賞、いや、精神状態を考えると、無事に滑りきることが出来るかすらも危うい。もう、オリンピックという場でせめてフリースケーティングだけは、彼女の悔いが残らないようにだけしてくれれば。オタクたちは、とにかく彼女が無事に滑り切ることだけを考えていた。
 曲はラフマニノフのピアノ協奏曲第二番。耳を澄まさなければ聞き逃すような繊細な音から始まったフリースケーティング。冒頭のトリプルアクセルは、恐ろしいほどのスピードに乗ったまま、勢いよく回転をし、見事に降りた。私も姉も母も、始まる前から泣いていたが、このトリプルアクセルの成功とともに、涙腺はさらに崩壊し始めた。いつもよりスピードが出ている気がする。助走の段階で、ジャンプの成功を確信しているようだった。女子では史上初となる、6種類全てのジャンプを取り入れ、8回の3回転を取り入れた超高難度のプログラムであった。前日の絶不調を見事に払拭し、ノーミスで終えた浅田真央の涙の、なんと美しかったこと。頑張ってきた人の涙はこれほどまでに美しいのか。私も母も姉も、むせび泣いた。嗚咽すら漏れていた。今だに、動画を見てはハラハラして涙を流す。ロシア勢のソトニコワリプニツカヤへの声援が凄まじくて、完全アウェーの中、彼女は自分の演技を貫いた。最終順位は6位。入賞を果たした。この大逆転劇は、地元ロシアだけでなく、各国のメディアも賞賛の言葉とともに報じた。ある意味、こう言っちゃ悪いがメダリストよりも目立っていたと思う。というかはっきり言って、スケートオタクの私でも、たまに『ソチオリンピックって誰がメダリストだっけ?』と思い出せないときがある。
 そう、私にとって2月14日は、バレンタインなんぞどうでも良くて、このソチオリンピックを思い出す日なのだ。毎年2月14日を迎えては、何だか胸が苦しくなる。時差のため、放映は日本の真夜中から明け方で、母と姉と3人で泣き明かしたあの日を。そして、内定が決まっていた学校での研修を当日に控えていたため、泣きはらしたブサイクの顔を晒すはめになったことを。今日は、浅田真央のことを語ろうと思う。
 浅田真央のことは、彼女がジュニアに上がる前から知っていた。ジュニアに上がっても、シニアになってもファンであり続けた。しかし、ファンというか教祖というか、とにかく彼女への見方が変わったのは、2008年の世界フィギュアのときだった。前年の世界フィギュアの金メダルを逃し、初の世界女王の座を見据えていた。彼女はショートプログラムで2位という好位置につけた。フリースケーティングでいつものような演技が出来れば逆転間違いなしだった。しかし、そのフリースケーティングの冒頭、トリプルアクセルで激しく転倒した。転倒というか、踏切の段階で転倒した。回転すら出来なかった。従って、何の点数にもならないどころか、減点まで食らってしまった。あまりにも激しい転倒で、観客は言葉を失い、各国の実況も小さく悲鳴を上げていた。誰もがその瞬間に、もうダメだと思った。ショートプログラムでの点差の開きはないし、逆転される可能性の方が高い。演技の続行すらも危ぶまれる転倒であった。
 しかし、浅田真央は数秒氷に体を滑らせた後、立ち上がった。そして、恐らく彼女の頭にも動揺が走っただろうに、音楽に合わせて再び滑走を始めた。演技を続行するとは私も思わなかった。さらに信じられないことに、その直後に大技の3回転ー3回転を見事に着氷した。その後も、彼女はジャンプの予定を1つも変えることなく全て着氷した。後半の大技3回転ー3回転すらも着氷した。そして、誰もが優勝を逃したと思ったにもかかわらず、彼女はショートプログラム2位からの逆転優勝を果たした。
 この年、2008年は私は浪人を終えた年であった。幸い、希望する大学に入ることが出来たが、浪人が決まったときの絶望感は今でもはっきりと覚えている。あのときの気持ちは浪人をした人にしか絶対に分からない。若干18歳にして、紙切れ1枚で人格までも全否定されたように感じた。惨めで、情けなくて、世の中から「お前は要らない」と言われているようであった。やっと浪人を終えても、またあんな惨めな思いをしたらどうしようとトラウマになるほどであった。
 そんなとき、この世界フィギュアでの浅田真央を見て、実にシンプルな答えを見つけた。そうか、転んだら立ち上がれば良いのか、と。彼女がそんなことを思っていたかどうかは分からないが、転倒してから立ち上がるまでほんの数秒だったことから、彼女は立ち上がることしか考えていなかったのでは、と思う。もちろん、重症な怪我を負わなかったからでもあると思うが。
 1年前、浪人という、それまでの人生で最も大きな挫折を味わって、1年経ってもなおその傷が癒えなくて怯えていたが、このときからだったと思う。どんなに転んでも立ち上がることが出来る気がしたのは。転ぶのを恐れずに、色んなことにチャレンジしてみようと思えたのは。以来、浅田真央の演技には、哲学が入っているような気がしてならない。哲学というか、生き方というか、人生とはどうあるべきなのか、というか。
 えげつないルール改正に泣かされても、明らかに不当な採点をされても、何一つ文句を言わなかった。最愛のお母さんを亡くしたときだって、亡くして初めて報道されたくらいで、母親の具合が悪いだなんて一言も漏らさなかった。そして、お母さんを亡くした直後の全日本選手権だって出場した。ゲスすぎる報道にオタクたちが一斉に抗議しても、彼女自身は何一つ不満を漏らさなかった。不愉快極まりないインタビューにも彼女は健気に答えた。正直言って、ここまでいじめ抜かれたら、やり返すべきだと思う。私だったらそうしてた。しかし、浅田真央は、外野の声には耳を貸さず、自分のスケートを極めることだけに集中してきた。それが彼女の哲学なのだと思う。並外れた強さが無いと、こんな生き方は出来まい。
 2008年の世界フィギュアも、2014年のオリンピックも、劇的な大逆転を果たした。本当に、映画の主人公みたいだな、と思う。映画にしても出来過ぎな展開だ。どれほど叩かれても、どれほど苦しくても、それでも諦めなかった。私と姉と母が、あまりにも「真央ちゃん真央ちゃん」と言うので、嫉妬していたあの頑固な父ですら、ソチオリンピック浅田真央を見て、ようやく彼女の素晴らしさを認めた。彼女はすでに競技から引退をしているので、結果として、オリンピックでの金メダルという夢は破れたものの、少なくとも私はそんなものどうでもいいと、今は思っている。オリンピックのメダルの価値がかすむくらい、彼女の功績に価値があることを知っているからだ。
 今でこそ、女子は新時代に突入して、トリプルアクセルどころか4回転までもが普通の時代になってきているが、浅田真央はもっと前から果敢にトリプルアクセルに挑んできたし、試合でも何度も成功させてきた。他にも挑んでいた選手はいたが、代名詞とも言えるほどに挑み続けてきたのは浅田真央ただ1人だ。大技を入れるリスクを背負うよりも、安全策をとってクリーンな演技を、と言われる風潮の中で、ただ一人孤高の挑戦を続けてきた。苦手な種類のジャンプは取り入れない選手が多い中で、ただ一人全ての種類のジャンプを試合に取り入れた。苦手なサルコウジャンプも一生懸命練習した。ルッツの踏切違反が取られたら、他の全てのジャンプも一から見直して、減点されないジャンプを追求してきた。そのときのシーズンはジャンプがボロボロで、何もそこまで一からやり直さなくても、と思ったが、彼女は幼い頃から身につけてきたジャンプを一度全て崩して、ルール改正に乗っ取ったジャンプを手に入れる道を選んだ。世界女王になったプライドも捨てて、ズタボロの演技をして、毎度悲惨な順位になっても、それでも何シーズンもかけて新しいジャンプを手に入れた。目先の試合に勝つことではなく、もっと大きな目標のために、何年もかけて新たなジャンプを習得した。ジャンプだけでなく、毎年新しいスピンを取り入れたり、ステップも常に高難度で休憩する場所なんて一つもなかった。あのときは、そんな彼女の努力をジャッジは認めてくれなかった。それどころか、浅田真央の武器になるものは全て次のルール改正でもぎ取っていった。私ほどのオタクが見れば、いかに高難度のことをやっているかは一目瞭然なのに、平均的なジャンプと平均的な技術でクリーンに滑る人が優勝するとメディアもこぞって、『浅田真央もそうするべきだ。』とトンチンカンなことを言い始めた。素人は黙ってろ、と言いたかった。
 個人的には、大げさなほどに顔の表情などで演技をするより、表情はむしろいらないから体全体で音楽を解釈する演技の方が好きだ。表情はインパクトがでかい。悲しい顔をされると、「これは悲しい曲である」と解釈を押し付けられているように感じる。だから、どちらかというと、解釈が万人に共通の音楽より、クラシック音楽で滑るプログラムの方が好きだ。浅田真央は、幼い頃から続けてきたバレエの動きを取り入れて、顔の表情より体全体で音楽を捉える演技をする。それが彼女の魅力だと思っている。私は、解釈が最初から決まっているプログラムより、スケーターがその曲をどう解釈したのかを演技を通して考えるのが好きなのだ。色んなスケーターがいていいはずなのに、最も公平でなければならないジャッジまでもが扇情的で叙情的なプログラムを好んだ。ジャッジもメディアも、そして時にスケート連盟すら冷酷な扱いをしたが、私たちオタクは知っている。どれほどの苦しみにも、彼女は決して屈しなかったことを。外野の声を封じて、一心不乱に自分が求めるものを追求してきたことを。多分、人に媚を売ってのし上がるタイプではないから、余計に応援したくなるのかもしれない。
 毎年、バレンタインデーが近づくと胸が張り裂けそうになるのは、頭にも心にも、あのときのあの浅田真央の演技が蘇るからだ。でも同時に、どれほど倒れても苦しんでも、彼女のように何度でも立ち上がる勇気をもらえる日でもある。金メダルの数とか記録のように、一目で栄誉を示すものだけではなく、何度でも立ち上がることにも価値があることを知った日である。どちらかというと、私は後者の方に価値を見出す。失敗のない演技よりも、リスクを冒して挑戦をして、たとえ転倒続きであっても、どんなに人から評価されなくても、何度でも立ち上がる人の演技の方が好きだ。そして今、女子シングルでは高難度の技が重視される流れになってきている。時代がようやく浅田真央に追いついた。あのときは認められるどころか、やめた方がいいとまで言われていたトリプルアクセルに挑む選手が増え始めた。本当に価値あることをする人間は、きっとそのときは認められないのだろう。エジソンだってアインシュタインだってガリレオだって、その当時は変人扱いされて、世間からも認められなかった。ガリレオの理論をローマ教皇が認めたのは、400年も経ってからだ。
 浅田真央が本当に偉大で、いかに価値あることを成し遂げたかを、私たちはずっと見てきた。だから、ジャッジにもメディアなんかに認められなくても、私たち真のオタクが知っているからいいのだ。とは言いつつ、ジャッジにもメディアにも『それ見たことか。浅田真央はお前たちが今こぞって評価している高難度のプログラムを、もっと前からやっていたのだ。』と言ってやりたいが。そして無邪気に『今の女子フィギュアってすごいねー。ロシアレベルたかっ。』と言っているにわかファン共にも、『いや、日本の浅田真央はもっと前からやっています。4回転は安藤美姫がパイオニアです。』と言ってやりたいが。
 今、ベナンにいて、こういう場面にしょっちゅう出くわす。ベナンのゴミ問題や教育問題など、どうして日本人の私が気にかける必要があるのか、もっと人生を楽しめ、と。教育問題はさすがに問題視している人も多いが、ゴミ問題に関しては、クラリスでさえ関心を示さない。こっちで出会う日本人には分かってもらえるが、ベナン人にはことごとく理解されない。それよりも日本人ならもっと稼げるだろう、何もベナンに来てそんなことで頭を悩ませなくても、と一蹴される。確かに、よそ者の私が言ったところで現地の人の心には響かない。だからこそ、心強い現地の味方が欲しいのだが、残念ながらゴミ問題に関してはお手上げた。このゴミ山の上を子どもたちが裸足で歩いたり、絶対に自然に返らないプラスチックやビンやカンが無造作に道に捨てられていることに、何も心を痛めないのか。プラスチックもビンもカンもベナン人が生み出したものではないが、ベナン人にすでに完全に浸透している今、このゴミと向き合っていく術を考えなくてはならないと思うのは、私だけなのか。この問題だけではなく、色んなことがあったし、ベナンの嫌なところも見え始めて、疲れてきた。帰りたいと思うことも増えた。
 2月14日、浅田真央の演技を見て、そりゃ彼女とは次元が違うが、何となく彼女の気持ちがほんの少し分かった気がした。自分は正しいと思っていることが、人には理解されないって孤独だなと思う。私に浅田真央ほどの強さがあるとは思えないが、何度でも立ち上がる勇気はもらった。もう少し頑張ってみるか。何年後かに、今頑張れなかった自分を責めることが無いように、『もうあれ以上は頑張れなかった。』と思えるまで、浅田真央のファンとして恥じないように。
 
The greatest glory in living lies not in never falling, but in rising every time we fall.
生きるうえで最も偉大な栄光は、決して転ばないことにあるのではない。転ぶたびに起き上がり続けることにある。ーNelson Mandela (ネルソン・マンデラ