夜逃げ

 3月17日(火)、その日私は、ここ最近と同じように飛行機をサーチングしていた。そろそろ取らなければならない。私がいつも使うルートは、韓国とエチオピアを経由するエチオピア航空の便である。安いし、乗り換え時間もかからないところが良い。ただし、遅延率は高い。ところが、コロナの影響で残念ながら韓国を経由することが出来ないので、違うルートを探しているのだ。

 違うルートとなると、エールフランスを使ってフランス経由で日本に入るものがある。乗り換えは1回で済む。しかし、バカ高い。エチオピアを経由したのち、タイや香港などアジアを経由して日本に入ることも出来るが、日程や時間が合わない。トルコ経由もあるが、時間がかかり過ぎる。いつもこの堂々巡りにあって、結局飛行機が取れないままであった。
 しかし、もういい加減取らなければならない。3月末には何としてでも日本にいなければならないのだ。それに、コロナの波が確実にアフリカを襲い始めていることには私も気づいている。エチオピアで感染者が出たので、近いうちにエチオピアも封鎖されるだろうという噂も耳に入っている。エチオピアは、アフリカ大陸の玄関とも言われているので、エチオピアが封鎖されるということは、すなわちアフリカ大陸の国のほとんどが封鎖されることになる。そうなったら、脱出は不可能だ。
 何もバックがついていなくて、青年海外協力隊のような組織の一員でもない私は、その国に危険が迫っているときは大使館職員や青年海外協力隊員の動きを見る。彼らが避難をし始めたら、それはかなり危険度が高いということだ。そして、ベナンでも協力隊員に帰国命令が出たので、慌てて飛行機を取り始めているそうだ。国際 NGO 系もダッシュで避難を始めている。こりゃ本格的に危なくなってきた。
 夜までかかって飛行機のサーチングをしていたが、結局今日もダメか。と思ったときであった。同じくベナンにいる友人から、連絡が入った。出るなら早くした方が良い、とのことであった。何と、空港が近いうちに封鎖されるかもしれないとのことだ。ベナンの近隣諸国でも続々と感染者が出始め、政府が何らかの方針を出すはずだ、と。ここ数日、ベナンの政府が沈黙を続けているのも不気味である。
 おいおい、脅しはやめてくれよ、と思ったが、これは脅しではない。アフリカには猶予なんてものは無いので、やると言ったら即やる。しかも、日本より圧倒的に物資も乏しく医療体制も充実していないので、そんな未知なウイルスを入れてしまったらどうなるかという危険性は、先進国より分かっている。だから、ある意味独裁的に国を封じる政策を断行する。民衆の意見なんぞ二の次である。日本は、医療体制が充実し過ぎていて、お医者さんも看護師さんも身を粉にして従事するので、市民は甘えが出るのだと思う。コロナにかかっても、日本なら大丈夫、というように。
 万が一、明日の朝声明が出されて、明日中に空港を封鎖するとなった場合、明日脱出しなければ、コロナが終息するまで私は日本に戻ることが出来ない。政府はきっと、空港封鎖だけでなく物流を除いて陸路も閉ざそうとするだろう。市民にも外出を禁ずるかもしれない。となれば、もう明日にでも出なくてはいけないのか。いや、明日は primary school での仕事だ。私が最も楽しみにしている仕事だ。これはやっていきたい。それに、土曜日のドソウさんとの仕事も楽しみにしている。しかし、もう一刻の猶予も許されない。親をこれ以上心配させることも出来ない。色々な葛藤の中、試しに明日乗れる便があるかどうかを調べた。良い便があれば、もう明日にしよう。すると、エチオピアシンガポールを経由する便があった。シンガポール航空は世界一とも言われているし、チャンギ空港も前に経由地で使ったことがあるが、とても広くて綺麗であった。しかし、シンガポール航空を使うと、このチャンギ空港での待ち時間が8時間程あるのだ。それが嫌で候補から外していた。感染者が出ているエチオピア空港を通過するのは少々危険ではあるし、シンガポールでの待ち時間も長いが、もはや仕方ない。この便にしよう。ポチッとクリックをして、ついに翌日の出発が決まった。割り切れない気持ちもあったが、私は自分自身を犠牲にしてこの地に留まるほどの覚悟はない。危険が迫れば、命を守る行動をするのが最優先である、と自分自身を納得させた。
 キッチンにいるクラリスに、
 
     "Unfortunately, I have to leave tomorrow."
 
と伝えた。クラリスはもちろん3月末に私が帰ろうとしていることを知っている。たった今友人から聞いたことを踏まえ、明日出るのが賢明であると判断した、と。クラリスは驚いて聞いていたが、聞き終えた後、
 
     "OK, then who will eat this soup?"
 
とおどけて言った。さっきから何か料理していることは知っていたが、てっきり自分の夜ご飯を作っているのだと思っていたら、何と私の明日の昼ご飯だったようだ。
 
     "I'm so sorry, I'll eat it tomorrow before leaving."
 
と言うと、クラリスは笑って、
 
     "No worries. It's just a joke."
 
と言っていた。クラリスには本当に申し訳ないことをしている。2月に帰ってきたかと思えば、わずか1ヶ月ちょっとでまた日本に戻るなんて。色々と振り回してしまった。この借りは、必ず日本に招待して返そう。
 その後、仕事関係で関わっている人に電話をかけまくった。3月末に出発することは伝えていたが、急に明日になったと言われれば、誰だって驚く。しかし、皆理解を示してくれた。色々とゆるいベナンに辟易することもあるが、こういうときゆるくて助かる。リオネルとクレオパトラには連絡しようかどうか、迷った。散々今まで放置されて、雇われてるのか何だか分からない状況ではあったが、念のためメッセージだけは送っておいた。
 空港に向かうには、タクシーを使うしかない。前回の帰国のときは、もっと前に日程が分かっていたので、クラリスも仕事を休む許可を得て、タクシーに一緒に乗って空港までついてきてくれた。しかし今回は、もはや夜中にさしかかっているので、今更明日休む許可を取ることが出来ない。1人で空港に向かうことになった。しかしクラリスは、私がボッタクリにあったりしないよう、事前にクラリスの名前でタクシーを呼んで、家の前まで来てくれる手はずを整えてくれた。問題は、鍵の受け渡しである。2人とも1つずつ家の鍵を持っているが、私が使っている鍵を日本まで持って帰るわけにはいかない。ただ、クラリスは私より先に仕事に出かける。話し合った結果、ドライバーに、空港に行く前にクラリスの仕事場まで寄ってもらうよう頼み、そこで鍵を渡そうということになった。
 そうと決まれば、早速パッキングを始めなければならない。どでかい2つのスーツケースをリビングに広げ、寝室にある私の物を持って来てはまた戻り、を繰り返していった。こんな夜更けに私は一体何をやっているのか。まるで夜逃げではないか。緊急とはいえ、お土産を買って帰れないことが悔やまれる。もちろん、私の家族や友人ならば、『お土産なんて要らないから、無事に帰っておいで。』と言ってくれるに決まっている。しかし、はるばるベナンまで来て、ベナンのものを持って帰ることが出来ないのは残念である。先週自分用に買った布くらいだ。今日本で一番喜ばれるお土産であろう、トイレットペーパーとマスクを買って帰って英雄になるという夢は儚く砕け散った。
 私はまだ気がつかなかった。このとき私は、とんでもないお土産を、知らずにスーツケースに入れていたということを。