日本の子どもたちに伝えたいこと
6月30日(火)、ここ数日、本が読みたいなと思っている。 先日、私に影響を与えた本を3冊思い出していたが、 やはり本は大切だなと思う。特に、自分が書く側に回ったときに、 それはより一層強く感じる。Blog を書く際にも、もっと文才豊かで語彙力があればと常に思う。 しかし、この1ヶ月は Blog の他に、あるものを書き上げなければならず、 それに苦戦をしていた。
5月の初め頃だっただろうか。日頃お世話になっているある方に、 ベナンについての記事を書いてくれないかと依頼された。その方は、 二松学舎大学と関わりがあり、そこの会報に載せるのだと言う。 読者層は卒業生と在校生が主で、 二松学舎大学大学では特に国語と社会の教員を目指す方が多いそうだ 。もちろん、そのような機会は願ってもないチャンスなので、 引き受けることにした。締め切りは6月中なので、 それを書き上げるべく、この1ヶ月は悩みに悩み抜いた。
字数的には1000字程度だ。 先生を目指す卒業生の方々が読む可能性もあるのだから、 その方たちにもためになる内容が良いだろう。しかし、 ベナンのことを書いてくれ、と頼まれたのだから、 ベナンのことに絞った方が良いのだろうか。試しに書いてみると、 何とベナンに行くまでのヒストリーですでに2000字を超えてし まった。削っても削っても、序章でもう上限に達する。我ながら、 よくこんなにネタがあるよな、と感心するくらいであった。では、 序章を削ってベナンの話に絞ってみると、 1つのトピックにしても字数がオーバーする。一体、 世の作家たちは、 こういう、書きたいありったけの思いをどうやって限られたページに収め る術を身につけたのだろうか。
大いに悩んだ。マラリアの話か、給料未払い事件か。いや、 それよりもクラウドファンディングだろう。いやいや、 クラウドファンディングは経緯だけで字数をオーバーする。 いっそ、クラリスの爆笑話か。いや、将来先生を目指す人たちに、 クラリスの天然ボケ集を読ませて一体何の役に立つというのか。では、 ベナンでナンパされた話か。いやいや、 そんな話をして誰の得になる。 せっかく自分がベナンに行って学んだことを記す機会を得 たのだぞ。もっと役に立つことはないのか。 根っからふざけた性格だからか、 考えても考えてもおちゃらけた内容しか浮かばない。果ては、 ベナンに行ってゴキブリに耐性が出来たとか、下痢で痩せたとか、 無免許のバイクタクシーにヘルメット無しで乗ることも何とも思わ なくなったとか、 何の自慢にならないことを述べるのはどうかと本気で考えていた。
タイトルは、「西アフリカ、ベナンの地で見えた、日本の生徒たちに今伝えたいこと〜「異文化理解」も「国際理解」ももう要らない〜」にした。兼ねてから疑問に思っていたのだが、「異文化理解」とか「国際理解」とは一体何なのだろうか。とても美しい響きがするし、ネガティブなイメージも持たないが、どうにもこれらの言葉を好きになれない。殊に、学校教育ほどこれらの言葉が形骸化している場面は無いと思う。
修学旅行で海外に行くことが「国際理解教育」なのか。ネイティブの先生を配置することは「異文化理解」と言えるのか。肝心な中身はと言えば、高額なお金を出して修学旅行で海外に行っても、碌に現地の人と関わることもなく帰ってくる。『修学旅行の思い出は?』と聞くと、現地のことは一切話さず、夜誰それが誰それに告白しただの、パスポートを失くしただの、まあそれはそれで良い思い出なのだろうが、『海外まで行く必要あったかな?』と疑問を抱く。ホストファミリーとのやりとりは、英語が出来る誰かに全てを委ねて、英語を使う機会どころか、ホストファミリーと会話をすることなく帰ってくることが関の山だ。せっかく意気込んで英語を使う機会を存分に得ようと思っても、ホストファミリーが全く構ってくれなくて、結局、ただ外国に行って友達と日本語でお泊まり会をしただけになっている事例だってある。本来ならば、修学旅行は子どもたちにとっての学びの場であるはずだ。それなのに、大人たちのビジネスに利用されている。それは「国際理解教育」などでは断じてない。
また、英語学習においてネイティブの配置はマストにしても、ネイティブがただの歩くラジカセになっている。発音やイントネーションのお手本にするだけなんて、何と勿体無い。ネイティブは人間だ。機械ではない。先生として配置されているならば、日本人教師は存分に彼らの能力を発揮させる方法を考えなくてはならないのに、単にいるだけ、発音させるだけ、ならば、日本人教師にだって出来るはずだ。ネイティブは、ただの話し相手でもない。歌のお兄さんお姉さんでもない。ネイティブがいるだけで、「異文化理解教育」と名打てることにも違和感を感じる。
修士論文のテーマが、「小学校の外国語活動で環境問題を扱うことで、英語への興味を促す」だったのだが、まさしく「国際理解教育」の一環のようにも見える。しかし、私は修士論文の中で、「国際理解教育」を示す Education for International Understanding という言葉は使わなかった。代わりに、1974年以降、「国際理解教育」に代わってユネスコが用い始めた International Education「国際教育」という言葉を選んだ。「理解」という言葉が抜けた理由は、「理解」が線引き出来るものではなく、曖昧な概念であるが故に、現場でも何を持って達成したかが不透明であったからだ。また、「理解しましょう」という観念的な教育にとどまってしまったことも問題となった。今でもそうだが。ユネスコの考えには賛同するが、私が「国際教育」という言葉を使うのには、さらに別の理由がある。私は「理解」は必要ないと思っているからだ。
ベナンに行ってからまだ日は浅いにしても、クラリスと仲良くなって、一緒に暮らし始めて、もはや家族みたいに思っているが、理解出来ないことだらけである。ホームステイでお客さん扱いどころか、完全にクラリスと生活を共にすることで、クラリスや現地の人の考え方を知り、楽しいし、充実している一方で、ベナンの教育では慣習となっている体罰は絶対に理解出来ない。宗教的な考えも、相容れない。時間にルーズな点はもはや笑いのネタになっているにしても、怒りのネタでしかないようなことだってたくさんある。
でも、私はベナンもクラリスも好きだ。じゃあ、私は「異文化理解」も「国際理解」もしていないことになるのか。何をしたら「理解」と言えるのか。そして、「異文化理解」にしても「国際理解」にしても、最大の謎は、なぜ「異文化」と「国際」は理解を求められるのか。日本人同士だって、衝突や不和だってあるのに、なぜ外国のことや外国人のことは理解しましょうという発想になるのか。「国際理解」は百歩譲って、環境教育や平和教育なども含むにしても、「異文化理解」は日本国内だって出来る。日本人の友達の家に泊まりにって、夕食がパイナップル入りのカレーであったことがあったが、私にとってはそれだって「異文化」であった。つまり「異文化」なんて、その辺にゴロゴロ転がっているのに、なぜ「異文化」と言ったら「外国の文化」を意味することが多いのだろうか。そして、それでいくと、なぜ「外国の文化を理解すること」が学校教育に埋め込まれているのだろうか。その時点で、外国と自分の国とを大いに差別化している気がする。外国の文化は理解して "あげなくてはいけない" と言っているようなものだ。
外国人だろうが、日本人だろうが、同じ人間ではないか。愛があれば、憎悪だってある。憎いものや嫌いなものは避けたがるなんて、人間として当然の反応である。しかし、私はその拒否反応を、行動や発言に結びつかせない教育こそが大事であると思う。ベナン人の考え方も、クラリスの行動も、理解出来なくったって、私はクラリスが好きだ。それでいいではないか。拒否はしているが差別意識なんて微塵もない。子どもたちに、「理解」を求めなくったって、『外国人だろうが日本人だろうが、同じ人間だよ。仲の良い友達や家族を傷つけることはしないでしょ?それと同じ接し方でいいんだよ。』というメッセージが子どもたちに伝わる教育こそが大事なのであって、「外国人だから」という枕詞はいらない。だから私は、クラリスがアフリカ人だからとかベナン人だから、ではなく、クラリスという一人の人間が好きなのだ。彼女が日本人であってもそれは変わらない。家族と大喧嘩をしても、何日か経てば自然とまた笑い合っているように、クラリスとも喧嘩しまくっても、それでもやっぱりクラリスが好きなのだ。
異文化に出くわしたときに『先生、僕/私は、この文化は好きになれない。』と言い出す子どもはいるだろう。でも私は、その好きになれない気持ちも大事にしてあげたい。『いいんだよ、好きになれなくても理解出来なくても。でも、相手も同じ人間だからね。傷つけることはやめようね。』と言える寛容さを持っていたい。
今年は、コロナのせいで頓挫してしまったが、クラリスを日本に招待する計画は諦めていない。そのときに、私が願うことはただ一つ。どうか、クラリスを「アフリカ人」とか「貧しい国から来た人」という目で見ないでほしい。GDP の観点から言うと、ベナンが貧しい国であることは事実ではあるが。でも、クラリスが何か困っていたら、「貧しい国の人だから」助けるのではなく、「困っている人」だから助けてあげてほしい。自分の周りの友人や家族が困ったときに手を差し伸べるのと同じ目でクラリスを見て、同じ手で、クラリスを助けてあげてほしい。
二松学舎大学の先生からの記事の執筆の依頼は、こんなことを書き連ねて無事に掲載される運びとなった。日本の教育現場で、こんなことを子どもたちに伝えられる先生になりたいな、と思った。