一人で夜明かしと何を守っているのか分からないガードマンとベナン人の英語

 9月21日(月)、クラリスが帰って来ない。昨日は日曜日だったので、クラリスは教会に行き、その後お姉さんのところへ立ち寄った。すると、激しい雨が降ってきてしまって、帰れなくなったのだ。

 現在雨季のベナンでは、2日に1回は激しい雷雨となる。その際、道は洪水を起こすからバイクも車も運転が危なくなるので、雨が降っている間は大抵人の流れは止まる。いつ止むかも分からないので、クラリスは今日はお姉さんのところで泊まると言ったのだ。
 一人で夜を明かすことは、前の家でも何度かあった。新居では初めてのことだから、多少緊張したが、問題なく朝を迎えた。
 これまでにもこういうことはあったのだが、困るのは食事だ。我が家にあるガスコンロは、着火の仕方が非常に危ないため、私は調理が出来ない。かと言って、買ってこようにも、ここベナンでは持ち帰りが出来るものは衛生面が非常に不安だ。きちんと選ばないと、腹を壊す。コンビニのようなちょっとした商店はあるが、高いし値段をちょろまかされることも多いので、あまり好きではない。前の家であれば、クラリスがご近所のママさんに頼んで何かを作ってもらうことが出来たが、ここでは誰ともまだ友達になっていない。クラリスからも連絡が途絶えてしまった。電池が切れたか、電波が悪いのか。
 とりあえず、一人で ATM に向かうことにした。支援金を下ろすためだ。昨日、クラリスと一緒に行ったのだが、残念ながら ATM 自体にお金が入っていなくて下ろすことが出来なかった。今日もう一度行ってほしいと言われたので、一人で行った。新居に移ってから、初めてのお使いだ。帰りに何か食べられるものを探してこよう。
 やはり外は気持ち良い。曇ってはいるが、良い感じに太陽の光もあって、暑すぎないこの気候が好きだ。ベナン人のマスク率は、5割ほどだろうか。私からしてみれば、相当ちゃんとしている方だと思う。もっとしていないかと思った。道路には、STOP COVID 19 とか書かれている看板もあるから、思ったより人々の危機意識はあると思う。
 徒歩10分ほどで ATM に到着した。いつもサボっているガードマンがいた。ところが、昨日と同様、この ATM は今日も使えないそうだ。昨日、ATM を操作しようと思ったら、画面に何も映らなかったのだ。クラリスがガードマンに尋ねると、電気を切られて、接続されていないそうだ。そして我々はすごすごと戻ったのだ。今日なら出来ると思ったが、今日もダメだった。
 ガードマンは、電気も切れていて、接続もされていない ATM で一体何をガードしているのだろうか。という質問をクラリスにぶつけてみると、ガハハハと笑いながら、
 
     "I don't know."
 
と言った。
 今日もガードマンは何も出て来ない ATM をガードしているようだった。そして、私はまたすごすごと戻っていった。帰りに何か買えそうなものはないかとうろついていたのだが、残念ながら特に無かった。一箇所候補になっているのが、ガソリンスタンドに併設されているコンビニみたいなところだ。大抵、そういった小さなスーパーにはヨーグルトが置いてある。ベナン人にとっての栄養剤みたいなもので、クラリスもよく食べている。ところが残念ながら、このお店には置いていないようだ。少しビタミン不足になってきているので、フルーツジュースで補おうと、パイナップルジュースとクッキーを買った。朝ご飯としては十分だ。
 その後、クラリスとようやく連絡が取れた。どうやら、朝から仕事のミーティングに行っていたようだ。そのまま仕事を続けるため、昼ご飯と夜ご飯は、クラリスが甥っ子に頼んで買ってきてもらうことになった。
 ところで、先ほどの ATM のガードマンと、朝ご飯を買うために立ち寄ったお店のお姉さんと少し会話をして、気づいたことがある。2人とも、フランス語話者だが私はフランス語を話すことが出来ない。彼らは私にフレンドリーにフランス語で何かを話しかけてきたが、私が、
 
     "I'm sorry, but I cannot speak French. Do you speak English?"
 
と聞くと、2人とも、
 
     "Small, small."
 
と答えた。このやり取りは、初めてベナンに来て以来何度となく交わしている。ベナン人で英語を話すことが出来るのは、相当モチベーションがあるか、地位や役職が上の人くらいだ。大抵の人が、英語とは一切の関わりもなく過ごしている。
 だから、私が相手に英語を話すことが出来るかどうかを尋ねると、大抵の人は話せるとは言わない。その代わりに、
 
     "Small, small."
 
と答える。「少し」と答えたいのだろう。これは、一人二人ではなく、ほぼ全員がこう答える。そしてこの表現は、英語としては一般的ではない。ということは、これは現地語か、フランス語からの転用だろうか。現地語かフランス語で、「少し」を意味する言葉が、「小さい」と同じなのだろうか。そして、絶対に "small" を2回重ねるところまで皆同じである辺り、明らかに現地語かフランス語の影響だと思う。どうでしょう、フランス在住歴10年以上の従姉よ。
 また、この2人での会話では出て来なかったが、他にもベナン人特有の英語がある。"I'm coming." だ。ベナン人はこれを、『ちょっと待ってて。』のような意味で使う。初めてこれを聞いたとき、戸惑った。確か、初めて私がベナンに行ったときだ。ホームステイをしたお宅で、私が何かを必要としていて、それを借りたかったのだ。目の前にいるステイ先の人は、目の前にいる私にこの言葉を言ったのだ。そしてそれを取りに行って、戻って来た。"I'm coming." と言われた私は、『え、今目の前にいるやんけ。』と思ったのだ。"I'm coming." と言われたら、普通は、離れているところから、自分のところに向かってきている、つまり『今向かってるよ。』の意味になると思う。目の前にいる私に向かって、"I'm coming." と言ったので、戸惑ったのだ。「どこに」、そして「どこから」というハテナマークが頭の中を駆け巡った。それ以来、何度となくこの "I'm coming." には出くわすし、クラリスもしょっちゅう使うから、今なら分かる。『すぐに戻るよ、ちょっと待ってて。』の意味で用いているのだ。
 まだある。"please" だ。これは何となく分かる。フランス語の "s'il vous plaît" の影響だろう。"please" が、フランス語の "s'il vous plaît" に当たる語だからだ。だから、ベナン人は、『ちょっと来て。』の意味で、"Please!" と言ったり、"Please, I want to ~." のような使い方をする。これも初めて聞いたときは、混乱した。私の名前を「プリーズ」だと間違えているのだろうかと思った。さらに、聞き取れなかったときや『もう一度言って。』という意味でもベナン人は、"Please?" と言うので、これも最初は何を要求されているのか分からなかった。その後に何か続くのかなと思ったら、相手も私が喋るのを待っているので、ようやくこれが『もう一度言って。』の意味であることが分かった。
 あとは、"Are you there?" だ。思い出すと懐かしいが、これも最初は全く分からなかった。英語では、"Are you there?" は、電話をしている際に、電波が悪くて相手の声が聞こえなくなったら、相手がまだ電話口にいるか確認するために使ったり、あるいは待ち合わせ場所に相手が到着しているかを確認する際に使ったりする。だから、私は、 "Are you there?" は、相手の姿が見えない際に使うものだと理解している。ところがベナン人は目の前にいる私に向かって、"Are you there?" と聞くのだ。目の前にいるではないか、見えていないのか、と思ったほどであった。だから、最初はすごい訝しげに、
 
     "Yes...?"
 
と答えた。これは実は、現地語からの転用だ。私が住んでいるベナン南部では、フォン語という現地語が話されている。クラリス母語もフォン語である。フォン語では、親しい間柄や家族、友達に対して親しみを込めて、『ああ、そこにちゃんといるのね。』というような、生存確認というか、これは私の勝手な解釈だが、『そこにいてくれて良かった。』という存在を認める表現なのだ(と思う)。クラリスもよく仕事から帰って来て、出迎えた私に言う。バイクで2ケツをしている際に後ろを振り返って尋ねたりもする。住んでみて分かるようになったから、これも今は全く何も不思議に思わず、聞かれたら、
 
     "Yes, I'm here."
 
と答えている。
 まだあるような気がするが、とりあえず今思いついたのはこれくらいだ。"normally" については以前触れたから、今回は割愛しよう。
 言語って面白いなと思う。私とクラリスは、英語という共通言語がありながら、そこに投影されているのは、それぞれの異なる文化や思考だ。私は日本人だから、どうしても日本人の文化と思考回路での英語となる。クラリスベナン人だから、現地語のフォン語や第二言語のフランス語の転用が多く見られる。私が初めてベナン人の英語を聞いたときに、"I'm coming."、"Please."、"Are you there?" で戸惑ったのは、彼らの思考回路や文化を知らなかったからだ。長くいるようになって、彼らと深く関わり始めて、ようやくその意味が分かった。言語を学ぶと、単に文法やスキルを得るだけでなく、その言葉を話す人の頭の中が見えてくる。ああ、こういう風に考えるからこういう言い方なんだな、と。
 ということで、そろそろフランス語を本格的に学ぼうかなと思っている今日この頃であった。