【お待たせしました】プロジェクト1日目

 10月5日(月)、いよいよプロジェクト1日目だ。Cove に向かうには、車で3時間以上かかる。3つの学校を周らなくてはならないので、9時には1つ目の学校に着いていなければならない。ということで、6時に家に出ることになった。

 ところが、これまたベナンあるあるではあるが、6時半を過ぎても一向にドライバーが来ない。クラリスもさすがに機嫌が悪くなった。結局、7時近くになってようやくドライバーが来て、そこから大荷物を搬入したので出発は1時間遅れの7時頃となった
 乗客は、ドライバーとクラリスと私の他に3人いる。Cove までの道案内をするクラリスのお兄さんと、クラリスの友人2人である。友人といっても、遊びに来たのではない。1人はプロのカメラマンで、1人はプロのジャーナリストだ。クラリスは、私たちにとって初めての大仕事となるこのプロジェクトをきちんとした形で残すべく、プロのカメラマンとジャーナリストを今日と明後日の2日間、雇ったのである。ちなみにプロのカメラマンというのは、その名の通りプロのカメラマンで、カメラのことは詳しくないが、明らかに高そうなカメラを持っているし、クラリスが雇ったのだからそりゃ腕は確かだろう。ジャーナリストも、そんじょそこらのではなく、しっかりそれを生業としている人だそうで、これまたクラリスが雇ったのだから、ちゃんとした記事を書くことは確かなのだろう。
 助手席にクラリスのお兄さん、その後ろに私とカメラマン、その後ろにクラリスとジャーナリスト、さらに足元にもトランクにも所狭しと荷物を載せて、ベナン人5人日本人1人という超絶アウェーの中、一向は Cove に向かった。
 道中、誰かの電話がなり、誰かが話し、誰かがゲラゲラと笑い、誰かが歌い、誰かと誰かが話したかと思えば、また誰かの電話が鳴っていた。本当にベナン人は明るいと思う。そして、外を見ればプップーとバイクも車も一斉にクラクションを鳴らしまくり、車間距離もへったくれもない。今日も賑やかだ。
 完全アウェーの中、私は寝ることにした。途中、目薬をしたりリップを塗るために鏡を見ると、クラリスが後ろからじーっと私を見ている。ギョッとして振り返ると、
 
     "You are already too beautiful."
 
と言った。私が身だしなみなどを確かめるために鏡を見ると、クラリスはよくこう言う。自分はしっかり鏡を見てメイクも髪型も抜かりない。
 10時近くになって、ようやく1つ目の学校に到着した。学校側は当然私たちの訪問を事前に知っているので、子どもたちが一斉に出迎えてくれた。懐かしい。一年前に会いに来た学校だ、子どもたちだ。

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出迎えてくれた子どもたち。
 時間がすでに押しているので、テキパキと動かなければならない。と言ってもここはアフリカ。どう見ても一番ひ弱そうな私には、誰も荷物を渡さなかった。ということで、私は応援係となって、荷物が次々に校内へ運ばれていくのを見守った。
 今日は、校長先生だけでなく親も見に来ている。ぞろぞろと色々な人が集まってくる中、ようやく始める手はずが整った。司会はクラリスのお兄さんがやってくれた。まだフランス語がままならない子が多いからか、時折現地語も入っていたようだ。
 このプロジェクトについての色々な説明がされて、ようやく授与式が始まった。授与式と言っても、教材が詰まっているバッグを1人1人に手渡すだけだが。
 何だか感慨深かった。去年の8月、クラリスベナンの子どもたちの支援をしようと決めて、雨季真っ只中にクラウドファンディングのための打ち合わせをスタッフの方と重ねた。あれからもう1年か。色んなことがあった。コロナのせいで一時帰国を余儀なくされるなんて、思いもしなかった。9月1日にベナンに戻る予定だったのに、それもキャンセルになって、どうしようと思った。運よくまた飛行機を取り直すことが出来たが。
 私は、ただバッグを渡すだけの任務を負っているのではない。1人1人に手渡す度に、支援者の方を思い浮かべた。このプロジェクトは、全ての支援者の方の協力があってこそ成り立っているのだ。私でもなく、クラリスでもなく、ここにはいないけれど、彼らこそが最も大きな基盤なのだ。そう思いながら、1つ1つ心を込めて手渡した。子どもたちは、受け取るととても嬉しそうであった。早速中を開けて、ペンやノートを手に取っていた。親御さんたちもとても眩しそうに見ていた。

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私と子ども。CHILDREN EDUC のバッグと共に。

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クラリスと子ども。CHILDREN EDUC のバッグと共に。

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教室から出た子ども。CHILDREN EDUC のバッグが存在感を放っている。

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見送ってくれた子どもたち。

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見送ってくれた子どもたち。

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最後に子どもたちと。

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先生や親御さんたちも見送ってくれた。

 1つ目の学校でやや問題があった以外は、2つ目の学校でも3つ目の学校でも同じように進行して、無事に終えた。1つ目の学校であった問題というのは、何と事前に決めていた子どもたちのリストと実際にいる子どもたちに齟齬があったようだ。ちょっと信じられない話だが、先生が勝手に変えてしまったようだ。クラリスが、勝手なことをするなと言ってくれて、結局、時間はかかったが予定していた通りに進むことが出来た。
 2つ目、3つ目と行くうちに気づいたのだが、昨年は挨拶の際にハグなり握手なりをしていたのに、今日は皆肘と肘を合わせるような挨拶をしていた。コロナウイルスに警戒してのことだろうか。そういえば、ここの子たちはマスクをしていない。というか、昨年聞いた話では、ここでは生活に必要な水も手に入らないそうだ。
 ここには外国人も来ないから、コロナの心配は無いだろうが、衛生面という点で水は絶対に必要だ。事実、昨年もそうだったが、お腹を壊している子どもが多い。今日もいた。また、何か菌が入ったのか、明らかに目が腫れている子もいた。アフリカの子は菌への耐性があるとは聞いていたが、それにしたって限界がある。
 元気に走り回って、力一杯手を振って、パッと見た感じどこにでもいるベナンの子どもたちではあるが、よく見ると、靴を履いていない子の方が多い。これは昨年も気づいたことではあるが、ここが私たちが住むカラビやコトヌーの子どもたちとは全く異なる。服装もだ。汚れていない、破れていない服を来ている子なんて皆無だ。皆何かしら汚れていて、破れている。手や体も、お世辞にも綺麗とは言えない。
 私は、写真を撮る際にマスクを取った方が良いのかなと思って外したのだが、クラリスに小声で外すなと言われた。さすがに子どもたちや親の前でマスクを外すなとは言いづらかったのか、小声ではあったが、ここではマスクを絶対に外さないようにと注意をした。菌に耐性のない外国人はさらに危険だということだろう。
 3つの学校で、学校の先生だけでなく親までも見に来たのは、クラリスの計らいだ。見に来た、というか、見に来させたのだ。
 入学金と朝食代は、学校に振り込むことにしたのだが、親と先生の前で、それを宣言するためだ。考えたくないことだが、親と先生に直接お金を渡してしまうと、着服してしまう可能性があるのだ。子どもたちの入学金と朝食代が、別のお金に消えることはあってはならない。だからクラリスは、子どもたちと先生と親の前で、入学金と朝食代は学校に直接振り込むからすでに子どもたちは学校に通う権利と朝食を食べる権利を得たと宣言し、すなわち誰もそのお金に手をつけてはならないことを知らしめたのだ。もし、この1年の間に学校に通うことが出来なくなったり朝食を食べられないということがあれば、すぐにクラリスに電話をするようにと、黒板にしっかりクラリスの電話番号を記して言った。着服や不正使用をさせない最善の方法であった。クラリスも私もベストは尽くした。あとは先生と親の良心を信じるしかない。
 3つ目の学校を終えて、私はカメラマンと外に出た。ここで支援者の方に送るムービーを撮るのだ。プロのカメラマンのカメラで、きちんと音も拾ってもらえるようにマイクもつけた。2分以内で収めるべく、車の中で何度もシミュレーションをした。もちろん日本語で話すのだが、母語だからこそ2分以内に言いたいことをまとめるのが難しいのだ
 性能の良いカメラなのだから、一応もう一度顔と髪を確認しておくか、と鏡を開いて気づいてしまった。何と、今更ながらすっぴんであった。というか、今回の渡航ではメイク道具すら持ってきていない。ここで私のムービーを撮るということもすっかり抜けていた。あまりアップでは写りたくないな、と思い後ずさりすると、カメラマンが一歩近づいた。半歩下がると、カメラマンが半歩近づいた。仕方ない、この距離でないと彼が撮りづらいのだろう。もう諦めた。久しぶりの日本語で、変な緊張感もあったが、どうにか喋り終えた。

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しどろもどろと喋っている私。
 帰りに、クラリスの親戚の家に立ち寄った。ここでお昼をご馳走になるのだ。昨年もここを訪れた。私のことを覚えていてくれたようだ。子どもがハグをして出迎えてくれた。
 お昼休憩といっても、時はすでに4時を回っていた。11時くらいに車の中で、クラリスが作って持ってきてくれたパスタを食べたが、腹ペコだ。のんびりと食べて、休憩をして、5時ごろに Cove を出発した。
 途中、魚売り場に寄ったり、渋滞にはまったりしたが、案外早く帰ることが出来た。家に着いたのは8時ごろであった。1日がかりでかなり疲れた。達成感は無い。Akassato の方がまだ残っているし、何より Cove に行って、教育問題と同じくらい衛生問題も深刻であることに気づいたからだベナンでは、頻繁に断水が起こるが、Cove のような村では、水が出る場所がそもそも遠くにあるから、断水はもはや問題ではない。何なら毎日が断水だ。人々は、時に子どもが何キロも往復して、必要な生活水を汲みに行くのだそうだ。日本で生まれて育った私には、全く想像が出来ない世界だ。日本では、水道水だってきっと十分飲めるのに、さらに浄水器をつける人もいる。日本人の綺麗好きというか衛生面への厳しさは世界一だ。厳しすぎる気もするが。そんな世界で生まれ育った私には、手が洗えない、安全な水が手に入らないなんて、相当の恐怖に感じる。3月以降、日本でウエットティッシュやアルコール除菌が手に入らなくて人々が殺気立っていたのは、恐怖から来るものだったのだろう。コロナに対してというより、衛生面が脅かされることへの。
 今日は、97名の子どもたちへの支援が完了した。毎日ボロボロの汚れた服を着て、靴も無くて、きっと何日も体を洗えていなくて、体どころか手も洗えずにいて、そんな手で目を触ったりして菌を入れて、何かを食べたらお腹を壊して、それが日常となっている彼らなのだ。アフリカを、というかベナンを取り巻く問題の壁は果てしなく高い。やっと、1年がかりでプロジェクトの1つを成し遂げたのに、得たのは達成感ではなくまた新たな壁であった。さて、安全な水を手に入れるには、どうしたら良いのだろうか。