お誕生日会とお別れ会
10月25日(日)、今夜日本に向けてベナンを発つ。
今回のベナン滞在は短かった。 本来であればもっと長くいるつもりであったが、 残念ながらコロナがそうさせてくれなかった。幸か不幸か、 コロナ禍においても日本からベナンに渡る道は閉ざされなかった。 予定していたプロジェクトを何としてでも実行したいと思う反面、 リスクを背負うことの恐怖もあった。 自分一人が感染するならまだしも、 私が持ち込んだウイルスでクラリスを感染させたらどうしよう、 重症化させたらどうしよう、そんな不安もあった。 日本にいる家族のことも心配だった。両親は共にもう若くない。 私がベナンにいる間に、もしものことがあったら... そんな事情もあり、プロジェクトを終えて、 クラリスの誕生日を一緒に祝ってから日本に帰ると決めていたのだ 。
そして今夜、私は出発する。日曜日なので、 クラリスも仕事はないし、私は夜に発つからゆっくり出来る。 午前中は、 以前からクラリスがよく洗濯を頼むママさんに来てもらった。 ママさんといってもまだ若い。シングルマザーで、 かわいい男の子を育てている。仕事がなく、 途方に暮れていた彼女にお金が渡せるように、 クラリスは以前から彼女に洗濯や掃除を頼んでいたのだ。 今日はパーティーを開催するので、 洗濯に加えて掃除もお願いした。
ベナンでの誕生日会は日本のそれとは少し異なる。 開催の準備をするのは、祝われる本人なのだ。日本では、 どちらかというと祝う側が会場のセッティングやら準備やらをして 、サプライズで本人が来て、という感じだが、 ベナンでは自宅で本人自ら食事の準備をするのだ。もちろん、 高齢者や子どもは別だが。
ということで、主催者である私たちは朝から大忙しである。 洗濯や掃除は頼んだものの、 買い出しは私たちが行かなくてはならない。 クラリスのバイクに跨って、近くのお店に向かった。 日本でいうコンビニみたいなところだ。ベナンでは、 ガソリンスタンドに併設されている。メニューは、 フルーツサラダに人参ご飯、ソーセージサラダに「マァ」 というベナン料理だ。
お祝い事なのだから、全てベナン料理になるのかと思いきや、 式典やお祝い事ではベナン人はヨーロピアンスタイルのご飯を 食べるのだそうだ。不思議な気はしたが、 そういえば日本でもそうだ。 クリスマスやお誕生日会では洋食がメインである。 さらにクラリスは、ピザも食べたいと言ったので、 ピザを頼むことにした。ベナンにもピザ屋さんはある。 都心に行った際にピザ屋さんを見かけたことはあるし、 外国人用のお店にはピザもメニューとして存在する。 一般的なベナン人が日常的に食べるものではないそうだが、 今日はお祝いだ。少し贅沢をすることにした。
今日の私は、サーブ係を担っている。 クラリスから直々のご指名である。お誕生日の人は、 食事を振舞ったり準備をしたりはするが、 それをサーブするのは周りの人がやるのだそうだ。 朝から大量に野菜やフルーツを切っていった。途中、 今日のパーティーの参加者でもあるクラリスの友人が手伝いに来て くれた。
夕方5時を過ぎた頃に、パーティーが始まった。 クラリスのお兄さんたちもやって来た。食事を盛り付けたり、 飲み物をついだりして、パーティーが始まった。クラリスは、 お姉さんに作ってもらった新作のワンピースを着ている。ピザは、 クラリスが頼んで、お兄さんたちが取りに行ってくれたようだ。 クラリスが楽しみにしていたピザだ。ベナンのピザはどんな感じなのか、私も楽しみにしていた。箱を見ると、 日本のと変わらない厚紙で作られたものだ。L サイズくらいありそうだ。楽しみにして開けると、驚いた。L サイズの箱に、入っていたピザは S サイズより小さいものであった。そして、 バイクで運ばれてゆさゆさと揺られたからだろうか。ピザの具が、 一方向に偏っていた。更に、丸いピザを想定していたのだが、 とても丸いとは言えなかった。
"Without mushroom, please."
と言ったら、
"Here you are."
と言って、渡されたものは、手でちぎったピザのカケラであった。 ちぎっている間に具がボロボロと落ちて、 最終的に私がもらったカケラは、without mushroom ではなく、without anything のものであった。
その後、 少々お酒が入ったクラリスは陽気におしゃべりを楽しんでいた。 ベナン最終日に、クラリスがこれだけ笑ってくれている姿を見ること が出来て、私も嬉しかった。 ベナン料理もしばらく食べることが出来ない。クラリス特製の「 マァ」とも、フルーツサラダともソーセージサラダもと人参ご飯とも、 しばしのお別れだ。これから飛行機に乗るというのに、 こんなに食べて良いのかとも思ったが、モリモリと食べておいた。 私は飛行機ごときでは絶対に酔わない。なんてったって、 小笠原までの24時間の船旅にもビクともしなかったのだから。
2時間ほどで、パーティーはお開きとなった。特にしんみりすることもなく、楽しく終えた。皆が帰った後、私は出発の準備を始めた。今回のフライトプランでは、往路と同様エールフランスを使ってフランスまで行き、 フランスから日本に戻ってくる。27日の朝に成田に着くはずだ。 シャワーを済ませている間に、 クラリスが呼んでくれたタクシーが到着した。 いよいよ出発のとき。助手席に座ったクラリスが、 前を向きながら、お別れの言葉を口にした。クラファンを始めて、 2人で CHILDREN EDUC を立ち上げて、プロジェクト開始まで色々と作戦を練って、 コロナが私の滞在を大いに邪魔をするというまさかの出来事にも遭 遇して、そして今がある。喧嘩もいっぱいしたし、 正直私もメンタル的に色々ときつかった。しかし、 今日この日を迎えてみると、やっぱり来て良かったと思うし、 プロジェクトが成功だったことが何より良かった。 コロンが収束するまで、というか、 金銭的にもこの1年はベナンには渡れないだろう。色々あって、 大変ではあったが、 私の人生を大きく変えてくれたクラリスとベナンには感謝している 。
空港に着くと、わんさかと人がいた。 エチオピア航空やトルコ航空がストップしているからだろうか、 運行しているエールフランスをめがけて人が殺到しているようだ。 毎度このベナンの空港に来ると、私は少し悲しくなる。 ベナン人が空港にいるということは、 しかもフランスに向かう便に乗るということは、 ここに集まるベナン人は裕福なのだろう。プロジェクトで、 最貧困地域に行って、そこに暮らすベナン人を見てきた私は、 その差を歴然と感じてしまう。 多くのベナン人が言うことではあるが、 一度フランスに行ったベナン人はほぼ帰ってこないそうだ。 言葉の壁もないし、フランスの市民権を得て、 便利な生活にどっぷりと浸かると、 もうベナンに戻ることはないのだと。ここにいるベナン人は、 もう二度とベナンの地に足を踏み入れることはないのだろうか。 一方でベナン人ではない私のパスポートには、 実に4回もベナンのスタンプが押されている。
クラリスに最後の別れを告げて、一人で空港の中に入った。一応、 ベナンでもソーシャルディスタンスという概念が広まりつつあるの で、空港の中でも1列に並ばされた。 おかげで長蛇の列が出来ていたが、皆大人しく待っていた。 あまりにも進むのが遅くて、 今並んでいる人たちは乗り遅れるのではないかという不安もあった が。
保安ゲートも通り、出発までロビーで過ごした。結構人はいた。中には宇宙にでも行くような防具服を着ている人もいた。ここから長旅になる。感染者が爆発的に増えているフランスを経由するから、油断してはいけない。無事に成田までたどり着けると良いのだが。