津田梅子とクラリス

 6月15日(火)、ついに33歳になってしまった。年々、誕生日は特に楽しみでなくなるというが、本当にそうだった。クリスマスからお正月にかけてはゆっくり過ごせるし、食事も豪華になるから楽しみだが、6月なんて雨ばかりで何も楽しくない。

 母校の津田塾大学で、1年に1回、「津田梅子賞」なるものが授けられるらしい。OG に届くメールで要項が送られてきた。見た瞬間に決めた。クラリスを推薦しようっと。
 津田梅子とは、津田塾大学創立者で、新5000円札の顔となる人物だ。クリスチャンゆえに、津田塾大学も一応クリスチャンの大学らしいが、私は入学して初めて知った。在学生でも知らない人は多いと思う。その代わり、大学構内に梅子の墓があることは、津田塾の人間ならば知っている。法律上、墓を大学構内に作るのは極めて不可能に近いそうだが、なぜか梅子は特例だったらしい。都市伝説があって、墓参りに1回行くと結婚が出来ないとかなんとか。2回行けば結婚が出来るとかなんとか。3回行けば離婚するとかなんとか。そんなことしなくても津田塾卒業生の独身率が高いのは私の気のせいだろうか。そして、梅子自身が生涯独身を貫いた。
 結婚云々は置いといて、明治時代に6歳で(諸説あり)アメリカに留学したなんて、令和になった今でも驚くべきことだ。そして結婚の話もことごとく突っぱねて、女性の教育と地位向上に努めたなんて、周りの人はどう思っていたんだろうか。きっと、変な人とか変わってるとか、思われたんだろうか。令和の時代ならば、新札の顔になるくらいだし、「津田梅子ってすごい」と社会的に思われるのに、今よりも男尊女卑の風潮が強かった明治時代に、彼女はどうやって生きていたんだろうか。
 そう考えると、多分今のベナンでのクラリスは、明治時代の日本の津田梅子と似ている気がする。ベナンでは、日本よりもっと女性の地位が低い。他人の私に対しては、男性もあからさまな態度をとることはなかったが、クラリス曰く、家庭内では男性が一番偉くて、子どもや老人の世話は女性がやるらしい。以前、日本とベナンでの結婚観や結婚生活の違いについて話したことがあるが、話を聞いただけで、ベナン人との結婚は無理だなと思った。でも、そんな中、男性に臆することなく男性に喧嘩をふっかけたり、ベナンでは適齢期と呼ばれる年齢にさしかかっても結婚云々に振り回されずに、自分のやりたいことを貫くクラリスは、どこか津田梅子と重なる。働いて得た給料をベナンの子どもの教育のために捧げるクラリスに、何かしら栄誉ある賞が与えられても良いと思った。そう考えた私は、パソコンに向かって、推薦状を書き始めた。