ベナン服で第2の母校へ

*「銀座の高級カフェでベナン話」が連投されていますが、また自分の操作ミスです。でもなぜこうなったのかが分かりません。星をつけてくださった方、ごめんなさい。せっかくなので、2つとも残しておきます。

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 12月11日(水)、とある場所で久しぶりに日本の学生に英語を教えてきた。授業中、日本語が出てくるか心配ではあったが、心配しなくても元々日本語は不得意であった。漢字がとっさに書けなかったらどうしよう、とも思ったが、これまた元々漢字は壊滅的であった。結果、授業中に「報酬」が書けなかったが、多分ベナンに行ってなくても書けなかったと思う。

   そのあと、私が5年間お世話になった学校に挨拶に行ってきた。埼玉県の大宮開成中学高校というところだ。一時帰国をしていることを知った先生方や校長先生まで会って下さることになった。もはや、私の第2の母校とも言える。
    この学校には、ベナン出発前にも挨拶に行った。そのときにもたくさんの応援をされ、心配もされ、励まされた。学校の先生は、とにかく忙しい。朝は早いし夜は遅い。昼ごはんもしょっちゅう逃す。そんな先生たちが、私のベナン行きを知るや否や、わざわざ時間を取って、真剣にベナンのことも私の夢のことも聞いてくれた。ブログから一時帰国をしていることを知り、到着早々安否を気遣うメッセージまでくれた。そんな先生たちがいて、かわいい生徒たちにも恵まれた学校に、5年もお世話になった私は本当にラッキーだったと思う。
    ところで、私は今日ベナン服で出向いている。親には『校長先生に会うのにそれで良いのか?』と聞かれたが、ベナンでは正装、とまではいかなくとも普通の格好である。迷ったが、ベナンの布を紹介出来れば、と思い、まあまあ派手な柄のワンピースを着て行った。校長先生は、その服を見ると、とても誉めてくださった。素敵な布である、と。そして、ベナンの話にも本当に興味を持ってくださり、たくさん質問もしてくださった。ベナンについて初めて知る人に自分が教えるときは、とにかく感情を入れないように、断定しないように、自分が見たことや聞いたことでも根拠があることだけを話すようにしている。ましてや、社会の先生でもある校長先生に不確かなことを教えることなど出来ない。慎重に記憶を辿りながら話をして、本当に自分はわずかなことしか知らないのだな、と思った。数年経てば、もっと多くのことを知るのだろうが、そのとき私はどんな顔でベナンについて語っているのだろうか。わずかなことしか知らない今の状況ももどかしいが、多くのことを見聞きして、ベラベラと得意げにベナンについて語っている自分にもなりたくない。
 校長先生はとてもお忙しい中、熱心に私の話に耳を傾けてくださった。さらにベナンの子どもたちや、私のベナン人の友達に配るようにとたくさんの文房具まで用意してくださった。あまりにも興味を持ってくださり、残念ながら時間が足りないほどであった。よって、来週また同じ時間にお邪魔することになった。
 私の都合でその日は早めに失礼してしまったが、また来週この学校に来ることが出来ることになって、私としては良かった。校門を後にしたとき、こんなあたたかな巣を後にして自分はベナンに行ったのだな、としみじみと思った。
 

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校長先生に渡したお土産。ベナンの学生(ブルーノ)がオーダーメイドで作ってくれた。注:High のスペルミスは直してもらってから渡した。