再び第2の母校へ

 12月18日(水)、今日は再び第2の母校である、大宮開成中学高校にお邪魔することになっている。私が社会人になってから、5年間お世話になった学校だ。私のベナン生活に関して、校長先生がとても興味を持ってくださった。先週お邪魔したときは、時間が足りなくて十分にお話が出来ず、今日またお話の続きをしましょうと言ってくださったのだ。

    先週はベナンの布で作られた服を着て行ったところ、校長先生がとても誉めてくださった。それが嬉しかったので、今日はまた別の服を着て行くことにした。だんだん、感覚が日本人離れしていってる気がする。
    校舎に入ると、色々な先生とすれ違った。覚えていてくださっているのが嬉しい。先週も会った先生方もまた、わざわざ会いに来て歓迎してくださるのには泣けてくる。
    ところで、学校の先生というと、当然中には運動部の顧問の先生がいる。運動部の顧問というと、まあまあ日焼けをしている。ふと気がついたのだが、ベナンに渡る前は『わ~、焼けましたねぇ!』とか言っていたのだが、今見ると、白いではないか。というか、成田空港に着いたときも思ったのだが、日本人はこんなに色白だったか。こりゃ確かにベナン人からすると、日本人は "ヨボ (現地語で「外国人、白人」) "である。私は元々色白の方だったが、ベナンに4ヶ月いて相当焼けた。今や運動部の顧問の先生より、自分の方が日焼けしていた。
    校長先生にお会いする前に、お世話になった先生方が次々に来てくださった。写真を撮りましょうということになった。学校で先生と写真を撮るなんて、働いていたときには機会がなかったので、新鮮である。きちんとした格好の先生たちと比べると、やはり自分は浮いていた。

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神聖なる校舎で大好きな先生とベナン服で。
    校長先生とは、再びベナンの話をした。マラリア感染症にかかったこと、停電や断水が頻繁に起こること、ゴミ処理が追いついていないこと…ベナンの問題点は挙げれば次々に出てくるが、同時に自分が給料未払いで生活していたときにクラリスが養ってくれたことや日本に憧れを持つ若者であふれていること、私が決して拒絶されておらず、あたたかい人たちに囲まれていることも話した。ちなみに、治安に関してはおそらく東京や埼玉よりベナンの方が良いと話すと、とても驚かれた。良いところも悪いところも、真実は包み隠さず話した。
    ここで働いていたときは、まさか私が2週に渡って校長先生と校長室でお話しすることになるとは思わなかった。しかも、ベナンの話で盛り上がるなんて。さらに、校長先生は先週に引き続いて、ベナンの子どもたちや私の友達のために、色々な文房具を用意してくださっていた。なかなか文房具は手に入らないし、ペン一本が買えない子もいる。ありがたく全ていただいて帰った。
    校長室を後にして、校舎内のとある場所に向かおうとした。そこにいる先生に会いに行こうとしていたのだ。すると、また色々な先生とすれ違った。話ながら歩いていたからだろうか、目的の場所を見失った。3月まで働いていたとはいえ、超方向音痴の私は即座に迷子になった。自分が信じられなかった。辞めて1年も経っていないのに、普通迷子になるだろうか。そしてその辺にいた生徒に聞くと、その生徒も確信が無かったのか、全然違う場所に連れていかれた。
    結局、その先生には会えずじまいで校舎を後にした。我ながらよくこの方向音痴の状態でベナンに渡ったな、と思った。