再び病院の付き添いとコロナ禍で浮き彫りになったこと

 4月20日(月)、今日も病院に行くことになっている。先週、ひょんなことから知り合ったブータン人の男性の彼女であるベトナム人の女の子の付き添いで病院に行ったのだ。ところが、先週の段階ではまだ検査が出来ないということで、今日出直すことにしたのだ。

 あいにく、今日も雨であった。寒い中、また彼女と一緒に病院に向かった。1週間様子を見ることになったのだが、病状は悪化していないかが心配であった。幸いなことに少しお腹が痛むくらいで悪化したというほどではなかった。また、彼女は未成年であるため、親の同意を得て手術をしなくてはならない。どういうわけかは聞いていないが、彼女にはお父さんがいない。果たして、お母さんにきちんと話せただろうか。尋ねてみると、お母さんの同意は取れたとのことだが、とにかく心配していて、一刻も早く手術をしてほしいと言っているそうだ。彼女もそれを望んでいる。お母さんは、顔も見たこともない私に大層感謝をしてくれているそうだ。顔も見たことのない外国人に娘を託すというのは、親としては辛いだろう。すぐに駆けつけることも出来ず、歯がゆさもあるに違いない。
 彼女の周りの留学生友達は皆、このコロナ禍故にそれぞれの国へ大急ぎで帰ったそうだ。しかし、残念ながらベトナムへの飛行機代が跳ね上がってしまい、帰るに帰れないそうだ。私は医者でもないし、医療知識もゼロだ。私とて、何も分からないがとにかく医者の言うことを信じるしかない。
 先週、病院に付き添った後、私はベトナム語と日本語が出来る通訳がいないかを探した。病院から言われたのだ。医療行為は本人の同意なしには出来ないので、自分が何をされるのかを1つ1つ分かっていないと何も出来ない、と。そうすると、日本語が通じない彼女には当然通訳が必要になる。しかし、ただの通訳ではなく、医療用語にも精通していていないとダメだそうだ。さらに、このコロナ禍故に本来患者以外を病院や診察室に入れることが出来ないので、通訳を入れるのならば、私は入ることが出来ない。つまり、彼女の不安を軽減するためにも、そんじょそこらの通訳ではなく、ある程度信用のおける人ではないと彼女がかわいそうではないか、と病院側に言われた。出会ってまだ1週間の私もまた、「そんじょそこらの友人」ではあるが。
 病院の人としばらく相談した結果、彼女が住んでいる町に外国人を支援するサービスがないか、あるいは都庁に連絡してみてはどうかと言われた。早速家に帰って、この2つに当たってみた。すると、色々とたらい回しにされた結果、とある所と繋がった。紹介された通訳は、ベトナム人か日本人か、どっちかは分からないがとりあえずどちらの言語も問題無いようだ。
 ただ、残念ながら病院の付き添いには行くことが出来ないそうで、電話などで相談を受け付けたり、電話を通して医者と彼女の通訳をすることは出来るそうだ。とりあえず、心強い味方は出来た。
 ところが、何と彼女が通訳をつけることを嫌がってしまった。自分の病状のことを人に知られるのが嫌だということであった。もちろん、プロの通訳だから情報を漏らすことは有り得ないが、彼女が嫌がってしまったものは仕方ない。ただでさえ異国の地で手術をしようとしているのだ。少しでも不安や心配があるものは、取り除いておいた方が良い。今日も朝会うなり、『通訳は来てないですよね?』と心配げに聞いてきたほどであった。
 さて、朝イチで病院に着いた。今日は、この後彼氏の方も付き添いでやってくる。まずは2人で先週と同じように病院の中に入った。受付を済ませていると、彼氏の方も到着した。ブータン人の彼氏の方は、まあまあ日本語が通じる。私より丁寧な日本語で、『この度は本当にお世話になっております。』と挨拶をされた。
 彼女の体調不良、というか病気は、やはりプライベートなことなのでここでも言わないが、今すぐに命の危険があるものではない。ただし、薬で散らすことが出来ないので、やはり手術が必要であろうとのことだ。今日、より詳しい検査をすれば、手術が必要かどうかが分かるようだ。ということを、彼氏の方にも改めて説明をした。
 すると、私が英語の先生であることを知っているブータン人の彼は、英語で事細かに聞いてきた。おい、やめてくれ。言語の切り替えは本当に苦手なのだ。ましてや、朝イチでまだ頭が働いていない。例によって、彼が英語を話し始めて数秒後にようやくそれが英語であることに気がついた。彼は切り替えが早い。日本語を話していたと思ったら英語になり、気がついたらまた日本語に戻っていた。ルー大柴もビックリな切り替えの速さであった。
 変な冷や汗をかいて、しどろもどろになっていると、私たちの番号が呼ばれた。先週と同じお医者さんで、事情も覚えていてくれた。今日は検査が出来るとのことで、早速始まった。検査中は、着替える場面もあったので、私だけが付き添った。
 小一時間ほどの検査を終えて、結果が出るまでさらに待った。待っている間に、彼氏の方が、私にマスクが何枚か入っている袋を差し出した。
 
 『マキさん、雨の中来てくれたから。』
 
と言って。これまた、どこで手に入れたのか。感謝するより先に驚いてしまった。幸い、もともと持っていた分のストックがあったとのことだ。彼はお兄さん夫妻やら親戚やら、とにかく一家で日本に移住しに来ているので大家族だそうだ。だったら、家族のために取っておいた方が良い、と言ったのだが、
 
 『マキさん、雨の中来てくれたから自分のこと守ってください。家族のために。』
 
と言われた。正直、これだけ品薄なマスクをもらうことには気が引けるし、雨の中来ることは全く問題無いのだが、彼の善意を受け取らないわけにもいかず、ありがたくもらうことにした。
 そんな風にして過ごしていると、検査結果が出て、またもや呼ばれた。緊張の一瞬だ。彼氏も同行して、診察室に入った。
 結果は、検査をしてもなお、この病院でははっきりとしたことが言えないとのことで、大きな病院に行かなければ分からないということであった。お医者さんは、当人の彼女にも分かりやすいように、図などを使って説明をしていた。違う病院に行かなければならないということを知って、彼女は少し落胆しているようにも見えた。ただ、お医者さんが紹介状を書いてくれるので、すぐに診察を受けられる手はずを整えてくれることが分かると、安心していた。
 と、そこでまた彼氏は英語で私に、今お医者さんが言ったことを英語で確認をしてきた。その言語が英語であると判断するのに数秒かかる。故に、最初の数秒は聞いていないのだ。考えてもみたまえ。最初の数秒とはいえ、数秒の間にどれほどの単語が流れているかを。それを全て聞き逃して、彼が言ったことを理解しなければならないのだ。何だか変な能力が身につく気がする。
 大きな病院の方は、完全予約制だから電話をしなければならない。それは私が代理でやっても良いとのことなので、私がすることにした。病院を出て、その病院に行く日はいつが良いかと彼女に尋ねると、すぐにでも行きたいとのことであった。それならば、予約が取れたら明日にしようと言って、その日はお開きになった。
 家に帰って、予約の電話を入れると幸い明日に空きがあるので、明日来て良いと言われた。彼女に連絡を入れると、とても安心をしていた。彼氏の方にも連絡をしておいた。
 このコロナ真っ只中に病院に、しかも大きな病院に行くというのはなかなか恐ろしいことだ。自分で言うのも何ではあるが、もしこのカップルに救いの手を差し出す人がいなかったら、本当にどうなっていただろう。もし、病院に行っても言葉が通じなくて検査や診察がうまくいかなかったら。今すぐに命に関わるものではないとは言え、手術をしなければ確実に死ぬ。何となく、外国人というと、英語が通じるのでは、と思ってしまうが、彼女の方は英語も通じない。2人ともアジア人で、見た目では外国人であると判断しづらい。通訳を探すために色々なところに電話をかけて思ったが、外国人への支援の輪は、思ったより無かった。たらい回し、というと大変言葉は悪いが、『うちではそういったサービスは無いんです。』とばかり言われた。自分がもしベナンでこういう事態にあったら、と思うと怖かった。このコロナ禍で浮き彫りになっているのは、強力な医療体制とは裏腹に、困っている人への支援の脆弱性なのかもしれない。しかし、その日本が誇る医療体制すら崩壊が起きようとしている。この先、困っている人はますます困って、支援の手すら届かなくなる。外国人だけでない。障がい者や虐待をされている子どもや、家庭内暴力を受けている人もだ。家にいれば安全とは限らない。外に出ていてもなかなか気づかれないのに、家に籠もればさらに気づかれない。本当に、どうなってしまうんだろう。多少の不便はあるとは言え、何不自由なく暮らしている私とは別の世界を見ている人がいると思うと、何だか怖くなった。