【お知らせ】と無事退院と忍び寄る老い

ブログを見て下さっている皆様
 
 いつも拙いブログを読んでくださり、本当にありがとうございます。恐ろしくブログの更新が途絶えておりますが、日本滞在をエンジョイしすぎて忘れていたわけでも、ネタが無いわけでもなく、日本にいながらも実は色々と水面下で動いておりました。少し落ち着いてきましたので、これからはもう少し更新出来るようにいたします。何をやっていたかと申しますと、色々ありますが、その1つがこちらです。
 
【オリジナルアフリカ柄商品の購入でベナンの教育を支援しよう〜アフリカ布ブランドによるベナン教育支援活動応援プロジェクト〜】
 
シェリーココ」さんという、アフリカ布を扱うブランドの社長さんの川口莉穂(かわぐち りほ)さん(以下、莉穂さん)とコラボをしております。
莉穂さんとは、昨年私がベナンに渡る前に一度日本でお会いしておりますが、そのときはまさか1年後にこのような形で関わることになるとは全く思いませんでした。上記のページ内にも書かれていますが、莉穂さんがオリジナル商品を作ろうと思ったところ、ベナンにお金を落とす方法として、私にお声がけいただいたのです。売上の一部を寄付して下さるという、とてもありがたいお話で、早速クラリスとも相談をしたところ、クラリスも是非お願いしたいと言ったので、このお申し出をありがたく受けることになりました。
 莉穂さん自身がとても素敵な方というのもありますが、シェリーココさんの商品は私も大好きです。リターンの商品がこれまたとても豪華ですので、是非ご覧になっていただけましたら幸いでございます。そして、ご支援やシェアなど、よろしくお願い申し上げます。すでにご支援いただいた皆様、本当に毎度ありがとうございます。
 そして以下は、3ヶ月前のブログです。ベトナム人の女の子とブータン人の彼氏の完結編です。
 
.......................................................................................................................................................................................................
 
 4月24日(金)、ベトナム人の女の子が無事に退院した。充電器を届けたので、入院中もずっと連絡が取れていたから、術後の経過は良好であることも知っていたが、やはり直接目で無事が確認が取れて安心した。ブータン人の彼氏もついてきてくれるとのことだ。
    病院に着いて、退院の手続きを進めていたところ、彼氏の方もやってきた。待合室で待っていると、看護師さんに連れられて、彼女がやって来た。看護師さんから、術後の様子や今後気をつけるべきことを聞いて、会計の手続きが始まるまで待合室で待った。
 
『手術の跡、痛い?』
 
と聞くと、患部をさすりながら、
 
『少し…。』
 
と笑って答えた。強い子だな、と思った。私はそもそも身体的な痛みには5歳児より弱いのだが、こんな大きな手術をして、しかもそれが外国で、言葉も通じないのに、取り乱したりパニックにならずに、常に冷静であった。弱音も吐かなかった。31歳で火傷でヒーンと泣いていた私は、体にメスが入っても泣かない19歳を見習わなければならない。
 
 『元気になったら美味しいもの食べに行こう。』
 
と言うと、喜んでいた。日本料理か、ベトナム料理か、はたまたブータン料理か。
    会計の順番が回ってきた。前回病院で、彼氏の方に、会計はどうしようかを相談したところ、彼女と話し合っておくとのことであった。入院中に2人で取り決めて、払える目処が立ったようだ。無事に全額を払うことが出来た。これでもう、何も心配事はない。
    外に出ると、久しぶりに太陽が見えた。私たちが病院に行く日は決まって雨で、気分までどんよりしていたが、退院の日が晴れならば、これまでの雨も許そう。
     彼氏の方が、お兄さんにお願いをして、車を出してもらっていたようだ。彼女はまだ今まで通り歩くことが出来ないので、車で家まで送り届けるとのことだ。私は、このカップルと病院で別れることにした。
    2人は、どこでそんな日本語を覚えたんだ、というような丁寧な日本語で、
 
    『この度は本当にお世話になりまして…』
 
と頭を下げ始めた。彼らのために病院に付き添ったというより、単に見捨てる気にはなれなかっただけだ。私も外国人として、外国に住むことの辛さや不安を知った。でも、色んな人が助けてくれて、そのあたたかさも知った。そして、ホストとして、外国人を受け入れることの責任の重さも知った。東京オリンピックは色んな意味で延期されてしかるべきであったと思う。コロナが蔓延している国で、選手も観客も心から楽しむことなど出来ない。ホストは、迎える人の命を危険にさらすことなどしてはならない。日本は、私が大好きな母国だから、誇りに思うからこそ、たくさんの人に訪れ続けてほしいし、もう一度行きたい国であってほしい。クラリスやリオネルもよく言ってる。彼ら自身がベナンが大好きだから、外国人に来てもらうことはとても嬉しいのだ、と。
    家に帰ると、事の成り行きを見守っていた家族も心配していた。無事に退院して、彼氏が車で家まで送っているはずだ、と伝えておいた。
    長引く自粛生活で、最近、いつ何を食べたかを覚えられない。
 
『今日はなに食べようか。』
 
『昨日は○○を食べたよね。』
 
『えっ、それは1週間前だよ?』
 
という生産性のない会話をいつも繰り返している気がする。家族で昼ごはんを食べ始めた。父は相変わらず、
 
『この料理は昨日も食べなかったか?』
 
と、本気で心配することを言っている。お父さん、この料理は今年初です。母は、ベトナム人の女の子のことを話しているときに、
 
『じゃあ、その子もこれからまた"ホームステイ"ね!』
 
と言った。お母さん、ホームステイではなく、ステイホームです。そういえば母は、この前ホンジュラス産のコーヒーを飲んでいたときに、私が
 
『へー、このコーヒー、ホンジュラスのイケカス農園ってとこのみたい。』
 
と言うと、
 
『すごい名前ね、ボケカス農園なんて。』
 
と言っていた。凄まじい聞き間違いだな、と思った。
    父はここ最近、よく目をつむりながら『忍び寄る老いとの戦いだ…。』と言っているが、多分もう、「忍び寄っている」のレベルではない。「音を立ててやってきている」である。
    私はまだ30代だ。私に老いなどまだやって来ていない。
    夜、洗顔中に、何だかすごく肌がざらつく気がした。気のせいだ。ちょっと肌の調子が悪いだけだ。
   努めて明るく、
 
『私もお肌の曲がり角ってやつかな~。なんか肌がざらつくんだよね。』
 
と言ってみた。すると母に、
 
ベナンで強い日差し浴びまくってたからね。だいぶ焼けてるし。』
 
と言われた。さらに、
 
『日焼けは年取ってからシミになるからね~。
 
とも。ぎく。実は、肌の老いはベナンに行ってから明らかに加速している。ついでに言うと、髪の毛もだ。痛みきった肌と髪の毛が、ベナンの紫外線の強さを激しく物語っている。若さで取り戻すことが出来ないほどに。そこに更に、コロナという奴が外出を禁じるものだから、肉付きだけはしっかりと良くなっていく。こうやって、人は歳をとっていくのか。いや、私はまだ30代だ。まだまだ老いなんて、感じてたまるものか。
 そして布団に入ったところで気がついた。何だか寒い。私は、風呂上がりに暑くて下着姿で髪を乾かし、しばらくその姿で老いについて悶々と考えて、パジャマを着るのを忘れていた。