体の不調ともう少しお待ちください

 10月14日(水)、喉の痛みで目が覚めた。昨日夜から、何だか喉に違和感があったのだが、そのまま寝てしまった。乾燥していたのだろうか。マスクをして寝ていれば良かった。夜になると痛みは薄れたが、色々と体に不調が出ている。昨日まで目も痛かった。何か細菌が入ったようだ。

 2つのプロジェクトが終わってから、はや1週間。ストレスと疲れから Blog を休んでから、まだ幾日も経っていないが、この短期間にたくさんの人からあたたかい励ましのメッセージをもらった。その1つ1つに涙しながら過ごしていた。まだ、プロジェクトを振り返られるだけの力が蓄えられていないのだが、支援者の方に送らなければならない会計報告書やムービーの作成には取り掛かっているし、もうすぐ終わる。
 ストレスや疲れの原因は...何だろうか。本当に色々なことの積み重ねだ。ただ、自分が今ストレスを感じていても、ベナンを悪く思いたくないし、思われたくない。これまでの自分の Blog を見返してみても、たくさん良いこともあったことを思い出した。この Blog は私のベナン生活の真実を語るものだ。良いことも悪いこともだ。きちんとまとまってきたら、書こうと思う。
 ここ最近、たくさん泣いたし、たくさん悩んだ。しかし一方で冷静な自分もいる。こんな風にメンタルのことで悩むなんて、初めてのことだから記録もつけている。海外でメンタルがやられたときに、人からのどういう言葉や行動が嬉しかったかを記しておくと、いつか誰かの役に立つかもしれない。
 ご心配くださった皆様、本当にありがとうございます。今、少しずつではありますが、きちんと報告に向けて動いております。もう少し、お待ちいただけますと幸いです。いつか、『落ち込むこともあるけれど、私この街が好きです。』とどこかで聞いたことのあるようなセリフが言えることを信じています。

プロジェクトのご報告を少しお待ちください

プロジェクトの報告を楽しみにしてくださっている皆様

 

 10月7日(水)、2つのプロジェクトを無事に終えました。本来であれば、私が早急にするべきことは会計報告とプロジェクトのご報告であることは重々承知をしておりますが、今、それが出来ない状態でおります。

 今、人生で初めてと言っていいくらいに精神的に参っております。プロジェクトを終えて、色々な疲れとストレスが一気に押し寄せてきてしまいました。今回の渡航に限らず、これまでの滞在で積み重なっていたことが、はっきりストレスと感じるようになってしまいました。そして、孤独と絶望(は少し言い過ぎかもしれませんが)で、心が潰れそうになりながら、何とか持ちこたえています。

 楽しみにしてくださっている方がいることはもちろん承知をしております。今しばらく、時間をください。こんなことを書くと、余計に心配をさせてしまうかもしれません。そして、昨今の日本の自殺者が増えているという状況や、またタイミング悪く私がこの前自殺についての記事をアップしてしまったがために、更に余計な心配をさせてしまっているかもしれませんが、それだけは絶対にしないです。そうなる前に全て投げ出して帰ります。日本で待っている大事な人々のために、絶対に私は元気で帰らなくてはいけないのです。そのために、少しだけ時間をください。必ず元気になります。ご連絡は今まで通りしてくださって大丈夫です。むしろ日本語が精神安定剤なので、嬉しいです。

 

 

プロジェクト前日

 10月4日(日)、プロジェクト前日だ。教材や教科書は全てバッグに詰めて、そのまま子どもたちに渡すことが出来るように、準備をしなくてはならない。朝9時に、クラリスの友達も手伝いに来てくれた。

 Primary 1 から順に、教材やら教科書やら制服の布を置いていった。日本との大きな違いは、ベナンでは、教科書といったらフランス語の教科書と算数の教科書しか無いようだ。日本だと、全ての教科書に最低1冊はあって、そこからさらに副読本やら資料集やらがあって、高校生ともなるとゆうに30冊は超えていそうだ。どっちが良いかという話ではないが、日本はありすぎる気もする。そして、使われていない教科書もある。
 教材に関しては、それほど大差ない。鉛筆や消しゴム、定規、コンパス、糊は同じだ。ベナンでは、クレヨンも付け加える。また、日本でいうボールペンもだ。青と赤と緑と黒のボールペンだ。ベナンでは、正式な文書ではよく青のボールペンを使うし、子どもたちも青のボールペンでノートを取ることが多い。
 また、ノートに関しても日本とやや異なる。ベナンでは、ノートの大きさは A5 サイズだ。また、興味深いのは、ベナン人は notebook のことを copybook と呼ぶ。私は copybook という言い方はベナンで初めて聞いたのだが、調べてみると、まさに copy するためのノートのことで、日本だと習字帳のことを指すようだ。表紙が少し柔らかいからか、カバーもつけた。
 並べてみると、カラフルで新品で、見ているこっちもワクワクしてきた。教材は全て支援者の方のお金で買ったり、ベナン国内の団体から寄贈されたものだ。本当に支援の力は大きいなと思う。

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 また、Primary 6 の子たちにはペンケースもついている。このペンケースは、私の友人の旦那さんのお母様が無償で作ってくださったものだ。ある日、友人が私の活動をお母様に話したところ、ベナンの子どもたちに使ってもらいたいということで、大量に作ってくださったのだ。趣味で裁縫をやっていらっしゃるとのことだが、明らかにこのクオリティ、趣味のレベルではなく、プロのレベルだ。ほころびも一つも無いし、チャックも頑丈だ。しかも、このペンケースを作るために布を購入したのではなく、元々あった布などを再利用して作ったとのことだから、エコでもある。数に限りがあるので、ちょうど Primary 6 の子たちの人数にちょうど良かったので、Primary 6 の子たちにあげることにした。

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Primary 6 のペンケース付きセット。
 教材をまとめ終わったら、それをバッグに詰めていった。水色のバッグについては、すでにこの Blog でも説明したが、紫色のナップサックは数日前に急遽買い足したものだ。個人的にお金をいただいたり、クラリスの友人やベナンの団体から教材を大量にいただくことが続いたため、バッグが足りなくなったのだ。
 ところが、夜になってトラブルが発生した。買い足した分を含めても27個ほど足りなかった。完全に私たちのカウントミスである。しかし、時すでに遅しで、今からバッグを買いに行く時間もお金もない。仕方なく、足りない分については、クリアファイルのようなものを渡すことにした。閉じることが出来るタイプのものであるが、マチは無いので、ものをそんなに多く入れることは出来ない。バッグを渡すことが出来ない子どもたちはがっかりしてしまうだろう。

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全て詰め終わった後のバッグの山。

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作業中のクラリスクラリスの友達。

 そのようなトラブルもあったが、日付が変わる前に何とか終えた。子どもたちの名前が書かれたリストや他の書類やらに目を通していたクラリスが、その書類を閉じるものが欲しいと言った。ホッチキスがあれば一番良さそうだが、そんなものはない。仕方なく、不恰好だが洗濯バサミでとめていた。しかし、ふと、私が以前勤めていた学校の校長先生が、何かに役立てれば、と言って大量にクリップをくださったことを思い出した。きっと何かの役に立つと思って、ベナンに持って来たのだ。それを使うことにした。クラリスは、初めて見たのか最初は使い方が分からなかったようだが、ちょうど良いサイズだったようで気に入っていた。
 教材やバッグ、教科書や布など、目立つものはもちろんご支援いただいた全ての皆様のおかげではあるが、善意で無償で作ってくださったペンケースや、書類や袋を閉じるクリップまでご支援いただいたものだと思うと、本当にこのプロジェクトは、私でもクラリスでもなくて、色々な人に支えられて成立しているものだと痛感した。
 明日は朝が早い。緊張もするが、頼むから雨だけは降りませんように。

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クリップの活用場所。


 
 

 

 

 

 









 

プロジェクト始動まであともう少しと女性の力と例え私が...でも

 10月1日(木)、もうすぐプロジェクトが始動する。緊張してきた。当初の予定より、ものすごく大規模になってきた。

 私とクラリスが昨年行なったクラウドファンディング、そしてシェリーココ代表の莉穂さんとコラボして行なったクラウドファンディング、この2つのクラウドファンディングだけでも大金が集まったというのに、それ以降、個人的にお金をいただくことが続いた。また、クラリスの伝手で、ベナン国内の団体からも大量に教材が届いている。

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クラリスの伝手で届いた教材。

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クラリスの伝手で届いた教材。

 そこで我々は、元々予定していた支援先 Cove(コヴェ)の他にも Akassato(アカサト)というエリアでも支援をすることにした。当初の予定では、莉穂さんとのクラウドファンディングで入ってくるお金で、別のエリアの子どもたちを支援する予定でいた。プロジェクトを分けた方が良いと思っていたのだ。そのつもりで、クラリスは色々な学校の先生と繋がり、相談もしていた。ところが、やはり色々とあって Cove に絞ることになったのだが、結局9月に入ってからも色々なところから支援金が入り、教材も届いているので、クラリスは以前連絡を取っていた他の学校との縁も大事にしたいと思い、エリアを1つ増やすことにしたのだ。

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赤いピンのところが Cove(コヴェ)。私たちが住んでいるのは、Cotonou(コトヌー)付近。

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赤いピンのところが Akassato(アカサト)。
 予定では、10月5日に Cove に向かう。約1年前にも訪れた場所だ。そして、7日に Akassato だ。この2日間で我々のプロジェクトは終了する。色々と精神的にも疲れてきた。あと少しだ。

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クラリスが作ってくれた宣伝用のチラシ。
 クラリスは朝から晩までがっつり仕事をしているので、打ち合わせは夜に行なっている。話していると、つくづくクラリスがパートナーで良かったと思う。もし、同じベナン人でもクラリスではなかったら、もっと色々なトラブルがあったと思う。交渉力は抜群にあるし、大方の支援者は日本人なので、日本人の考え方や気持ちも汲んでくれる。お金だけ渡す支援ではなく、ちゃんと支援者の思いも届けたい。
 そして、私自身が本当にこのプロジェクトを誇りに思うのは、クラリスがパートナーであることと、現地人のクラリスがしっかりリーダーとなっていることだ。いつまでに何が必要で、何をしたら子どもたちが喜ぶか、CHILDREN EDUC の未来を考えると、今どういうアクションが必要なのかをクラリスが次々に提案をしてくる。私からクラリスのお尻を叩いて何かをやらせたことは一度たりとも無い。
 ただでさえこのように思っていたのに、今日また、クラリスが嬉しいことを言っていた。私たちのプロジェクトには、色々な人が関わっている。しかし、現場で先頭となってこのプロジェクトを進めているのは私たちだ。アドバイスをくれたり、手伝ったりしてくれるのは大変ありがたいことだが、私たちは、実際の行動は私たち2人でやることにこだわりがある。それはなぜか。
 ベナンでも女性の地位は非常に低い。女の子は家事をやるものという考えが根強くあって、ビジネスを始めたり仕事で外に出かけることはあまり良いことだと思われていない。しかも、大事なポジションに女性が任命されることも少ないそうだ。日本でも、だいぶ変わってきてはいるが、それでも女性が先導して何かを推し進めることにくだらない茶々を入れてくる人はいる。
 今回のプロジェクトは、クラリスが知る限りでは、ベナン国内で女性だけでやるプロジェクトとしては他に類を見ないし、何しろ支援先が Cove というのも、誰の援助も入っていないという意味で、私たちがパイオニアとなる。クラリスが言った嬉しい言葉というのは、
 
     "We will show that women can change the world."
 
である。私はこの言葉にとても感銘を受けた。クラリスとは、こういう考えを持っているところが本当に似ているなと思う。嬉しかった、本当に。ベナン人だろうが日本人だろうが、世界を変えたいと思っているのは変わらないということだ。
 さて、そろそろ寝ようということになった。すると、あることに気づいた。ここ数日、上の階から何やらドリルで穴を開けているような音や、トンカチで何かを叩く音が聞こえており、住人がやっていたとのことだ。それが、夜10時以降になっても続くから私たちは気になっていたのだ。クラリスは相当イライラしていた。
 ところが、今日は聞こえない。だから私が、
 
     "Nobody is disturbing us today."
 
と言ったら、何とクラリスは、家のオーナーに言ったのだそうだ。ここのオーナーは本当に良い人で、外国人の私のことをよく心配してくれているそうだ。オーナーから住人に、夜遅くにやるのは止めるよう言ってくれたのだろうか。クラリスのこういうところも本当にすごいなと思う。クラリスは、自分たちの寝る権利をしっかり守ったのだ。また恐喝みたいな電話をしたのだろうか。
 シャワー室に向かいながらも、まだクラリスはこの数日睡眠を妨害されたことに文句を言っていた。
 
     "They have to respect me even if I am a woman!"
 
と。女だから妨害されていることはないだろう、と思ったが、そうだね、と相槌を打つとさらに、
 
     "They have to respect me even if I am single!"
 
と言った。独身かどうかは絶対に関係ないと思う。でも、これも笑いながら、そうだね、と相槌を打つと、
 
     "They have to respect me even if I am fat!"
 
と言い放ち、シャワー室の扉をバタンと閉めた。本当にこの子は面白いなと思った。

ベナンの秘密

 9月29日(火)、朝から雨が降っている。今日も ATM へ行って、お金を引き出さなければならないが、この雨の中出歩くことは出来ない。少し様子を見ることにした。

 ヤフーニュースを見ていた。海外で暮らしていると、日本のニュースに疎くなるから、ヤフーニュースはこまめに見ているようにしている。最近気になっているのは、瀬戸大也の不倫だ。なんてのは冗談だ。人の恋路には一ミリたりとも興味が無い。むしろ、この不倫が発覚してから何日も経つのに、よくこんなに盛り上がれるよなとすら思う。
 私が最も気になっているのは、芸能人の自殺が相次いでいることだ。というか、芸能人に限らずだが、日本で自殺の報道を目にすることは本当に多い。何でこんなに多いのか。社会的病理と位置付けられているが、これはやはり日本社会に大きなひずみがあると思う。残された人は日常生活が奪われたわけだから、その理由を探ろうとするなんて愚かなことはしないが、単に私はどうしてベナンでは自殺者が出ないのかに興味がある。クラリスに聞いてみたのだ。ベナンで自殺者はいるのか、と。するとクラリスは間髪入れずに "No." と言った。その理由も、
 
     "I don't know."
 
だそうだ。 知らないということは、そんな理由なんて考える必要すらないということなのか。そして、日本で今自殺者が増えていることを伝えると、驚いていた。
 日本で起こる自殺の理由は、大人なら借金とか生活苦とか、子どもならいじめとか、もうそれこそ悲惨過ぎる理由だろう。ベナンで自殺が起きないということは、そういう悲惨なことが無いということなのか。
 確かに、クラリスを見ているとやたらポジティブだなと思う。そして、この根っからの面白い性格と愛嬌で、逆境を乗り越えている気もする。クラリスはそりゃ、未来に絶望することは無さそうだ。
 いじめに関しても、前にとあるベナン人の少年に聞いたことがある。ベナンの学校では、いじめという問題は起こらないと。嫌いな人や苦手な人はいても、その子をいじめたり攻撃することは無いそうだ。自殺やいじめの話だけ切り取ると、どっちが先進国だよ、と思いたくもなる。
 日本とベナンの決定的な違いは、宗教の有る無しではないかと思う。ベナンには色々な宗教があるが、クラリスが信仰しているキリスト教では、
 
     "You have to love and respect your family and your friends."
 
と教えられているそうだ。そして子どもに関しては、
 
     "Children have to obey their parents."
 
という教えを施されているから、家庭内での問題も起こらないそうだ。これは非常に興味深い。しかし、そう教えられたら、それを遵守出来るのか。でも日本だって、家庭教育や学校教育でも、人を傷つけてはいけませんと教えられている。親や先生という、「人間」からの教えと、「神」という絶対的な存在からの教えでは、遵守する心の持ちようも異なるということか。いじめや家庭内の問題も無いことが、宗教の教えがあるからというのなら、宗教がベナンの治安を守っているのか。しかし、同じ宗教を持つ国でも、戦争やら強奪やらで治安が悪い国だってある。とすると、宗教ではなく、ベナン人の国民性か。
 日本人だって、世界的に見たら相当穏やかな人種であると思うが、子どものときからストレス社会の中にいるのだから、ある種の攻撃性も持っている。小さいうちから人と比べられて、人を蹴落とせと言われて、でも人と同じでなくてはいけなくて、見えない圧力を感じながら生きている人は多いと思う。こんな子どもたちが一緒くたに教室に放り込まれたら、そりゃいじめは起きると思う。でも、人生に絶望したときに、その攻撃性が他者に向かうのではなく自分を傷つけることを選んでしまうのは、人を傷つけたくないという日本人の国民性なのだろうか。でも別にベナン人だって、人を傷つけているわけでもない。
 ベナンには、何の秘密があるのだろう。経済は逼迫して、国民の生活も決して豊かではないし、貧富の格差もある。日本のように社会保障制度や年金制度もないし、マラリアの危険性もあるし、乳幼児が安全に生まれてくる確率も高いとは言えない。交通事故も多いし、日本より圧倒的に死ぬ確率は高い。前に聞いたことがあるのだが、発展途上国ほど宗教の信仰心は強いそうだ。過酷な状況を乗り越えるためなのだろうか。だとすると、信じるものがあれば人は死なないのだろうか。
 1つ思い当たるのが、日本だとストレスやイライラに繋がることが、ベナンでは「仕方ない」で片付けられることだ。日本だと、時間にものすごく厳しくて、人との待ち合わせには何が何でも間に合わせようとする。首都圏だと特に、電車やバスの路線はおびただしいほどだから、遅刻する理由を作ることが出来ない。ある路線がダメでも、別の路線で迂回出来る。遅刻をしようものなら、もっと早く家を出ればいいことだと言われる。でもベナンでは、雨が降ったら車もバイクタクシーも水はけの悪い道路を走ることが出来ないから、移動する手段は全て断たれる。だから、雨が降れば誰も移動が出来ないことは、皆が知っている。加えて、停電や断水もあるから、連絡が遅れたり、ご飯を作ることが出来ず、人から分けてもらうことだってある。学校に行けば、必要な教材や教科書を持っていなくても、誰かとシェアをしている。買うことが出来ない状況も皆が知っているから、「仕方ないね」で済んでいる気がする。しかし、日本だったら全てが整い過ぎていて、遅刻も連絡手段が断たれるのもご飯を作ることが出来ないのも、全て自己責任となる。教材や教科書が買えないことなんてほぼ有り得ないから、忘れたり無くしたりしたら自費で再購入するし、お説教が待っている。何不自由がないからこそ、どんどん追い込まれている気がする。
 もしかしたら、ベナンのこの不自由さこそが、人々の寛容さを保っているのかもしれない。経済や技術の発展は、100パーセント人々に幸福をもたらすとは限らない。ベナンがもし日本と同じように競争を重んじるようになって、人々の生活が大きく変わってしまったら、同じようにストレス社会となっていじめや自殺者が出てしまうかもしれない。そのとき、果たしてベナンは宗教を手放しているのだろうか。それとも、経済が発展しても、神の教えも変わらず遵守するのだろうか。あるいは、経済の発展に伴って神の教えやその解釈も変化していくのだろうか。うーん、分からない。

CHILDREN EDUC BENIN の存続方法と調理師免許を取りたい

 9月27日(日)、朝からクラリスは忙しい。お昼頃に帰ってきて、美味しい豚肉料理をランチとして持って帰ってくれた。その後、私たちは自分たちの今後の活動について話し合った。クラリスはすごい。よくこんなに次から次にアイディアが思い浮かぶよな、と思う。

 まだ全く何も決まっていないことだが、本当に色々やりたいことが出来てきた。私たちの一番の課題は、どうやって継続的に子どもたちの教育支援をしていくかである。これが決まらないと、私たちの活動は1回限りで終わってしまう。色々とアイディアを出し合って、何としてでも CHILDREN EDUC BENIN を存続させねばならない。今日はとりあえず案を出し合うだけに留まったが、実現に向けて出来ることはもう始めていきたい。
 そう言えば、私は日本に帰ってからも実現したいことが出来たのだ。それは、調理師免許を取ることだ。3月に日本に帰ってから、自粛期間などで取ろうとも考えたが、色々とあって出来なかった。しかし、次に日本に帰ったら結構本格的に考えようと思う。これは、CHILDREN EDUC BENIN とは直接的な関係は無いが、間接的には関わるかもしれない。
 3月からのコロナ禍で、日本で暮らす貧困家庭のことが気になり始めた。ニュースなどで、仕事が無くなった親が子どもにご飯を食べさせてあげられなかったり、給食が無くて困っている家庭があったと聞いた。日本にも、確実に貧困は存在する。
 一方で、私の家では何ら食べ物には困らなかった。私が帰ってきたことで肉の消費が増えたから食費が倍になったと母はぶつくさと言っていたが、それでも衣食住も全て保証され、食べることを我慢しなくてはならなかったことなんてなかった。しかし私がそんな贅沢をしているときに、今日食べるものをどうするかを考えなくてはいけない家庭があったのだ。
 安易な考えではあるが、自分が作ったものを提供出来ればな、と考えたのだ。しかし、それをするには衛生面やら何やら、色々とクリアしなければならない。だから、正々堂々と何の法律にも引っかかることなく、食べ物に困っている家庭に食を提供できたらいいなと思ったのだ。
 また、いつか日本の子どもとベナンの子どもを何らかの形で繋いで交流させたいなと考えていた。クラリスにも、日本にも貧困があることを知ってもらいたい。例えば、クラリスベナンで使う調味料や飛行機に持ち込める食材を買ってきてもらって、ベナン料理を子どもたちと一緒に作るなんてことが出来たら、良い経験になるだろうなと思ったのだ。
 なんて、それは私が貧困を知らないから考えつく、エゴみたいなものなのだろうか。しかし、クラウドファンディングでたくさんの人にベナンの子どもたちへの支援をしてもらったから、今度は私自身の力で日本の子どもたちを支援したいと思ったのだ。ベナンの子どもたちにしても、日本の子どもたちにしても、「支援」というか、子どもたちが survive していくことを支援したいのだ。最終的には、しっかり自分の足で立たせなければならない。
 私の勝手な理論ではあるが、食育は全ての勉強の根幹を成すと思っている。まずは、きちんと栄養を摂取しなければ、勉強どころではない。さらに、食べているだけでなくて、自分が食べているものがどんなものであるのか、何を摂取しなければならないのかを知ることで、自分で料理をして、自分で栄養を摂取することが出来る。それが出来れば、限られたお金の中でも、何を優先して食べなくてはいけないのかが分かるようになり、健康を保つことに繋がるのでは、と思っている。
 私の家の近所で、とても美味しい料理を出すお店がある。ジャンルとしては完全に和食であるが、女将さんの食材の使い方が徹底していて、本当に尊敬しているのだ。全くもって無駄が無い。ナメロウを頼んだら、身を取り終えた後、魚の頭から骨を含めて尻尾までをカリッカリに揚げて、それすらも食べられるようにしてくれるのだ。とにかく食べられるものは全て食べる。しかも、食材の良さを熟知しているから、いかに美味しく食べられるかを知っている。食べ物が美味しいと思うこと、そして美味しく食べるということは、人間の三大欲求の1つだ。そういう意味でも、子どもたちに食育が出来たらなと思うのだ。
 問題は、私の腕だ。料理は大好きだから、熱意はあると思うのだが、別に料理教室に通っていたことなどない。果たしてこの熱意だけで、私のこの夢は叶えられるのだろうか。

2回目の PCR 検査結果とパラオがくれたヒント

 9月25日(金)、今日もまた、朝から国際展示場に向かう。水曜日に受けた、2回目の PCR 検査の結果を受け取るのだ。郵送やネットで見ることが出来れば良いのだが、残念ながらそういったサービスは無いようだ。交通費が痛い。

 朝9時にバイクタクシーに迎えに来てもらえるよう、クラリスにまた手配をしてもらった。クラリスは、私よりも少し早く家を出た。ところが、数分後に戻って来た。バイクタクシーがちょうど到着したので、クラリスも一緒に乗っけてもらうことにしたのだ。
 ということで、バイクに3ケツしながら目的地へ向かった。バイクに乗るのは本当に楽しい。窓もヘルメットも無いから、人々の様子を間近に見ることが出来るのが良い。
 クラリスを下ろし、私は先日と同じ場所に向かった。先日2回目の検査を受けた場所で結果が受け取れるとのことだったので、まっすぐにそこに向かうと、真ん中辺りで何やら人だかりが出来ていた。大きな声も聞こえる。何だ、どうしたというのだ。私が向かうべき場所はそこを通り過ぎたところにある。遠巻きに見ていると、大勢の人が何かを言い争っている。先日も思ったのだが、あまり番号札が機能していないようだった。自分も1度目はそうであったが、来たはいいがパソコンが接続されていないということもあった。言い争っていた理由は、順番争いか、遅いとかシステマティックでないとか、そんな感じだろうか。
 結果を受け取る場所に着いて、また受付の男性に自分が検査結果を取りに来たことを告げた。彼も、英語が通じるかどうか聞いた際に、
 
     "Small, small."
 
と言っていた。やはり、これはベナン人特有の英語なのだろうか。
 彼は、自分が座っている数メートル隣に置いてあるテーブルと椅子を指差し、
 
     "Someone will come. You can ask him."
 
と言った。"will" と言ったので、これからやって来るということだ。だから、それまで椅子に座って待つことにした。それから40分経っても、誰も来なかった。
 言い争いは遠くの方でまだやっている。その辺りでは多くの人が並んでいるのだが、一体何に並んでいるのだろうか。私はどうしてここで検査を受けることが出来たのだろうか。ここにはほどんど人がいない。
 先程の男性にもう一度聞いてみた。
 
     "Could you tell me when I can get the result? I've been waiting for more than 40 minutes. Nobody is there."
 
と、誰もいないテーブルと椅子を指しながら言うと、彼は、
 
     "Nobody is there!? Really!?"
 
と目を真ん丸くして言った。いや、真横やんけ、見えないんか。と思ったのだが、彼は立ち上がって、
 
     "Come."
 
と言った。そして、その誰もいないテーブルと椅子のさらに隣にある小部屋に連れて行った。そっちのことを意味していたのか。その小部屋には、最初から医療関係者と見られる人や私のような入国者と見られる人が出入りしていた。
 彼は、その部屋に入るために並んでいた人に私を割り込ませてくれた。そして、その部屋に一緒に入り、中にいた女性に何かを説明した。パスポートを出すと、その女性が自らのスマホで探し始めた。データは全てそこに入っているということか。数十秒後に、女性が何かを言った。男性が、
 
     "You are negative."
 
と言った。おお、まさか口頭で来ると思わなくて一瞬ビックリしてしまった。てっきり、紙が渡されると思ったのがだ、口頭で一言、「陰性」で終わりであった。念のため、証明となる紙は無いのかと聞いたのだが、2回目の検査では紙での証明は無いようだ。よって、検査の結果はものの数十秒で聞くことが出来たのだ。40分以上待っていた私は何だったのだろうか。
 家に帰り、そのことを友人に話した。すると、面白いことを言われた。私が40分以上待つ羽目になったのは、私が英語が出来るからだというのだ。
 英語が出来ない人ならば、男性が言った、
 
     "Someone will come."
 
の、"will" なんて気に留めないそうだ。誰もいないテーブルと椅子ではなく、誰かが来ている小部屋の方にとりあえず行ってみるとのことだ。なるほど、全く考えなかった。男性はきっと間違えて "will" を使ってしまったのだろうが、私はそこに注目してしまい「これから誰かが来る」と解釈してしまった。なるほど、実に面白い。
 今週だけで3回もこの場所に来た。クラリスがいなくて、言語の面で不安であったが、対応してくれたベナン人は皆親切であった。郵送にしてほしいとかネットで見ることが出来ればいいのにとも思ったが、真摯に対応してくれたので、またベナン人の優しさに触れることが出来た。私が英語しか話すことが出来ないというと、一生懸命身振り手振りを使って説明してくれたし、次にどこに行けば良いか分からないというと、皆その場所までちゃんと連れて行ってくれた。やはり外に出て、現地人と触れ合うのは楽しい。ベナン人のこういうところが好きだ。外国人だとか英語だとか、色々壁はあるだろうに、ちゃんと人として扱ってくれる。困っている私を助けてくれる。こういう経験は本当に貴重だと思う。そして、こういう経験こそが、私がベナンクラリスと教育支援を行いたいと思った理由なのだ。
 私はつい数日前、自分がなぜ大金を払ってでもベナンへ来て、ベナンの子どもたちを学校に通わせたいのか、根本的な理由に気がついた。子どもたちに望む将来を選べるようになってほしいとか、自分は先生なのだから、子どもたちを学校に通わせられないなんて見ていられないとかは、付随的な理由だと思っている。もっと、自分の細胞というか本能で、「これはやらなくてはいけないこと」と思っているような気がしていたのだ。
 きっかけとなったのは、友人と4年前に行ったパラオへの旅を思い出していたときだ。パラオは、観光資源である海を守るために、日焼け止めを使用して海に入ることを禁じるそうだ。観光客が減るかもしれないリスクを冒して、大事なものを守る決断を下した。海が大切だから、素晴らしい海だから守るということではないだろうか。
 私がベナンの子どもたちのために、頭を下げて支援金を集めて自費で何度もベナン渡航しているのは、ベナンが貧しい国だからとか、貧しい子どもたちのためではない。ベナンが素晴らしい国だから、ベナン人の優しさにたくさん助けられたから、この国で育った子どもたちは、きっとまた誰かに優しくなれる大人になるから、そう思っているからだ。
 ようやく腑に落ちた。『なぜそこまでしてでもベナンの子どもたちを?』という質問をされたときに、何だかうまく答えられなかったり、『貧しい国のために偉いね。』と言われたときに、何だか違和感を持っていたのだが、今はもう自分でも納得している答えを得られた気がする。『貧しいから助けるんじゃない、素晴らしいから助けるんです。』と。