2回目の PCR 検査結果とパラオがくれたヒント

 9月25日(金)、今日もまた、朝から国際展示場に向かう。水曜日に受けた、2回目の PCR 検査の結果を受け取るのだ。郵送やネットで見ることが出来れば良いのだが、残念ながらそういったサービスは無いようだ。交通費が痛い。

 朝9時にバイクタクシーに迎えに来てもらえるよう、クラリスにまた手配をしてもらった。クラリスは、私よりも少し早く家を出た。ところが、数分後に戻って来た。バイクタクシーがちょうど到着したので、クラリスも一緒に乗っけてもらうことにしたのだ。
 ということで、バイクに3ケツしながら目的地へ向かった。バイクに乗るのは本当に楽しい。窓もヘルメットも無いから、人々の様子を間近に見ることが出来るのが良い。
 クラリスを下ろし、私は先日と同じ場所に向かった。先日2回目の検査を受けた場所で結果が受け取れるとのことだったので、まっすぐにそこに向かうと、真ん中辺りで何やら人だかりが出来ていた。大きな声も聞こえる。何だ、どうしたというのだ。私が向かうべき場所はそこを通り過ぎたところにある。遠巻きに見ていると、大勢の人が何かを言い争っている。先日も思ったのだが、あまり番号札が機能していないようだった。自分も1度目はそうであったが、来たはいいがパソコンが接続されていないということもあった。言い争っていた理由は、順番争いか、遅いとかシステマティックでないとか、そんな感じだろうか。
 結果を受け取る場所に着いて、また受付の男性に自分が検査結果を取りに来たことを告げた。彼も、英語が通じるかどうか聞いた際に、
 
     "Small, small."
 
と言っていた。やはり、これはベナン人特有の英語なのだろうか。
 彼は、自分が座っている数メートル隣に置いてあるテーブルと椅子を指差し、
 
     "Someone will come. You can ask him."
 
と言った。"will" と言ったので、これからやって来るということだ。だから、それまで椅子に座って待つことにした。それから40分経っても、誰も来なかった。
 言い争いは遠くの方でまだやっている。その辺りでは多くの人が並んでいるのだが、一体何に並んでいるのだろうか。私はどうしてここで検査を受けることが出来たのだろうか。ここにはほどんど人がいない。
 先程の男性にもう一度聞いてみた。
 
     "Could you tell me when I can get the result? I've been waiting for more than 40 minutes. Nobody is there."
 
と、誰もいないテーブルと椅子を指しながら言うと、彼は、
 
     "Nobody is there!? Really!?"
 
と目を真ん丸くして言った。いや、真横やんけ、見えないんか。と思ったのだが、彼は立ち上がって、
 
     "Come."
 
と言った。そして、その誰もいないテーブルと椅子のさらに隣にある小部屋に連れて行った。そっちのことを意味していたのか。その小部屋には、最初から医療関係者と見られる人や私のような入国者と見られる人が出入りしていた。
 彼は、その部屋に入るために並んでいた人に私を割り込ませてくれた。そして、その部屋に一緒に入り、中にいた女性に何かを説明した。パスポートを出すと、その女性が自らのスマホで探し始めた。データは全てそこに入っているということか。数十秒後に、女性が何かを言った。男性が、
 
     "You are negative."
 
と言った。おお、まさか口頭で来ると思わなくて一瞬ビックリしてしまった。てっきり、紙が渡されると思ったのがだ、口頭で一言、「陰性」で終わりであった。念のため、証明となる紙は無いのかと聞いたのだが、2回目の検査では紙での証明は無いようだ。よって、検査の結果はものの数十秒で聞くことが出来たのだ。40分以上待っていた私は何だったのだろうか。
 家に帰り、そのことを友人に話した。すると、面白いことを言われた。私が40分以上待つ羽目になったのは、私が英語が出来るからだというのだ。
 英語が出来ない人ならば、男性が言った、
 
     "Someone will come."
 
の、"will" なんて気に留めないそうだ。誰もいないテーブルと椅子ではなく、誰かが来ている小部屋の方にとりあえず行ってみるとのことだ。なるほど、全く考えなかった。男性はきっと間違えて "will" を使ってしまったのだろうが、私はそこに注目してしまい「これから誰かが来る」と解釈してしまった。なるほど、実に面白い。
 今週だけで3回もこの場所に来た。クラリスがいなくて、言語の面で不安であったが、対応してくれたベナン人は皆親切であった。郵送にしてほしいとかネットで見ることが出来ればいいのにとも思ったが、真摯に対応してくれたので、またベナン人の優しさに触れることが出来た。私が英語しか話すことが出来ないというと、一生懸命身振り手振りを使って説明してくれたし、次にどこに行けば良いか分からないというと、皆その場所までちゃんと連れて行ってくれた。やはり外に出て、現地人と触れ合うのは楽しい。ベナン人のこういうところが好きだ。外国人だとか英語だとか、色々壁はあるだろうに、ちゃんと人として扱ってくれる。困っている私を助けてくれる。こういう経験は本当に貴重だと思う。そして、こういう経験こそが、私がベナンクラリスと教育支援を行いたいと思った理由なのだ。
 私はつい数日前、自分がなぜ大金を払ってでもベナンへ来て、ベナンの子どもたちを学校に通わせたいのか、根本的な理由に気がついた。子どもたちに望む将来を選べるようになってほしいとか、自分は先生なのだから、子どもたちを学校に通わせられないなんて見ていられないとかは、付随的な理由だと思っている。もっと、自分の細胞というか本能で、「これはやらなくてはいけないこと」と思っているような気がしていたのだ。
 きっかけとなったのは、友人と4年前に行ったパラオへの旅を思い出していたときだ。パラオは、観光資源である海を守るために、日焼け止めを使用して海に入ることを禁じるそうだ。観光客が減るかもしれないリスクを冒して、大事なものを守る決断を下した。海が大切だから、素晴らしい海だから守るということではないだろうか。
 私がベナンの子どもたちのために、頭を下げて支援金を集めて自費で何度もベナン渡航しているのは、ベナンが貧しい国だからとか、貧しい子どもたちのためではない。ベナンが素晴らしい国だから、ベナン人の優しさにたくさん助けられたから、この国で育った子どもたちは、きっとまた誰かに優しくなれる大人になるから、そう思っているからだ。
 ようやく腑に落ちた。『なぜそこまでしてでもベナンの子どもたちを?』という質問をされたときに、何だかうまく答えられなかったり、『貧しい国のために偉いね。』と言われたときに、何だか違和感を持っていたのだが、今はもう自分でも納得している答えを得られた気がする。『貧しいから助けるんじゃない、素晴らしいから助けるんです。』と。