洗濯とベナンの英語教育と H の発音と神様のふり

 10月6日、雷や雨の音もせず、鶏やヤギの鳴き声以外は聞こえない静かな朝であった。実は昨夜、クラリスに、

 
    "Tomorrow she will come to wash our clothes again."
 
と言われた。"She" と言われてすぐにピンと来た。クラリスは以前から、洗濯物がある程度溜まると、とある女性に代わりにやってもらうよう頼んでいたのだ。日本でいう、クリーニング屋さんとでも言うのだろうか。彼女は2歳くらいの男の子を連れて、1ヶ月ほど前にも来てくれていた。てっきり私は、服を彼女の家に持ち帰って彼女の家で洗ってまた持ってくるのかと思っていたが、そうではなく、クラリスの家に来て、クラリスの家で洗って干してくれるのだ。
 ああ、また彼女が来てくれるのか、と思ったのと同時に、まだ雨季が完全には終わっていないことを思い出した。
 
    "But if it rains tomorrow,..."
 
と言ったところで、クラリスに遮られた。
 
    "Maybe it's OK tomorrow. If it rains tomorrow morning, I'll call her."
 
出た。前回の記事にも記したが、ベナン人は天候を読めるらしい。なぜ雨続きの中で、明日は晴れると分かるのか。残念ながらクラリスに聞いても有力な情報は得られなかった。スピリチュアルなものではなく、科学で実証されたものを信じる私には不思議で仕方がない。まっさかー、雨はずっと降っているし、そんな都合良く晴れるかいな、と思っていた。
 ところが朝、晴れているではないか。どういうことだ。なぜ分かるのだ。クラリスはそんなことには気にも留めずせっせと洗濯物を集めていた。クラリスの1ヶ月分の服や蚊帳、カーテンなどもだ。気がついたら私の服も出されていた。
 彼女がやって来た。前回と同じように男の子を連れて来ている。彼は少し私に警戒心があり、じーっと興味深そうに見てはいるものの、お母さんにしがみついて離れようとしない。そして、彼女は手際よく洗濯をし始めた。その間、我々はリビングにいて朝ご飯を食べていた。クラリスに、
    
    "Is it common to ask someone to wash the clothes in Benin?"
 
と聞くと、
 
    "Yes, sometimes we are busy."
 
だそうだ。
 
    "How did you find her?"
 
と聞いた。クラウドワークスのように、ネット上で仕事を募集したりしているようには見えない。すると、クラリス
 
    "She was my friend's friend. One day I saw her crying, so I asked why she was crying. She said she had no job but had to take care of her son. So I decided to ask her to do something for me and to give money to her."
 
なるほどね。こういうところがクラリスの素晴らしいところだ。困っている人は放っておけないのだ。彼女はシングルマザーで夫もいないのだから、より一層途方に暮れていたのだろう。私は以前から不思議に思っていたのだ。私は2〜3日に1回洗濯をするのだが、クラリスが洗濯をしているところは見たことがない。私の洗濯の頻度が多いため、クラリスが水を節約するために我慢しているのかと思って聞いてみたのだが、そうではないと言い張った。洗濯なんて好きなタイミングでやればいい、とも。じゃあなぜ洗濯をしないのか、とは聞き辛かった。『溜め込まないで洗濯をしろ。』と言っているように聞こえるかもしれないと思ったのだ。しかし、滞在1ヶ月ほどで謎が解けた。彼女に仕事を与えられるように、そしてお金を与えられるように、クラリスは洗濯物をあえて溜めていたのだ。ちなみにクラリスは、彼女が申し出たお給料にいくらか上乗せして払っている。
 予定では、彼女の洗濯が終わるのを待って、今日は日曜日なので教会に行き、クラリスのお姉さんのところへ行き、最後に地元のお店で食料品を買いに行くことになっていたが、洗濯物が予想以上に多かったため、午前中には教会へは行けないため夜に行くことにした。
 洗濯がようやく終わると、クラリスは彼女と少し何かを話していた。その後、何やら買い物リストのようなものを作っていた。どうやらクラリスは、買い物も彼女に頼んだようだ。我々の今日のスケジュールが少々タイトであるからでもあるが、その分、彼女にお金を払えるようにということらしい。クラリスらしい図らいだ。
 彼女が買い物から戻って来て、一緒に昼ご飯を作り、食べていた。すると、遠くの方で雷が聞こえた。外を見ると、雨雲が見えた。急いで大量の洗濯物を取り込もうとすると、クラリスは、
 
    "Maybe it will rain but stop soon."
 
と言った。出た、まただ。予知能力シリーズ。
 
    "How did you know that?"
 
と聞くと、クラリスは雲を指差した。なるほど、確かに雨雲は近づいているが、その向こうは晴れている。それならば理にかなっている。とりあえず取り込まねばならない。今日はお隣のママさんは干していないようだ。
 取り込んでいるとき、クラリスは、
 
    "I like the way she hangs out the clothes."
 
と言っていた。どうやら、彼女の干し方がなるべくシワがつかないように洗濯バサミがつけられているということだ。確かに、良い干し方であった。雨はすぐにザーッと強く降り始めた。幸い停電は起こらなかったが、これではしばらく出かけられない。
 数時間ほどで雨は止んだ。クラリスの言った通りであった。早速クラリスのお姉さんのところへ向かった。カカノをつかまえた。やはり外国人の私がいると、高確率で高い値段をふっかけてくるらしい。しかし、クラリスは絶対に払わない。次のカカノをつかまえた。今度も交渉決裂かと思いきや、ドライバーから再アプローチがかかってこのカカノに乗ることになった。なお、カカノでの交渉に関しての詳しいことは「カカノ一人乗りデビュー」に記してある。
 よっこらしょ、と乗るときに、クラリスが小さく悲鳴を上げて、私の太ももをペチンと叩いた。どうやらまたがるときに、私がスカートをたくし上げ過ぎたらしい。乗ってから延々クラリスは母親のように私を叱っていた。あの場に何人男がいたと思っている、彼らは絶対に見ていた、外国人はただでさえ目立つんだから、隙を見せるな、と。しかし、実は今日着ていた服はクラリスのお姉さんがクラリスのために作ったもので、またもやサイズが合わないから私がもらったものなのだ。だから雨上がりで泥がはねて汚すのを恐れて大げさにたくし上げていたのだが、もうそれは言わずにただただ黙って叱られ続けていた。
 道中、クラリスはお店に寄って、お姉さんの子どもたちへのお土産もしっかり買っていた。到着すると、甥っ子も姪っ子も総出で出迎えてくれた。甥っ子は私が来るなり走って私が座る椅子を取って来てくれた。今日来た目的は、クラリスが髪型を変えるためだ。クラリスのお姉さんは、ヘアドレッサーなのだ。ベナン人女性は、しょっちゅう髪型を変える。クラリスは先月は3回くらい変えていた。その間、私は姪っ子に英語を教えることになった。姪っ子は確かまだ12〜13歳で、学校では英語も習っているそうだ。以前から私に英語を教えてほしいと言ってくれていたのだが、なかなか時間が無かった。しかし、今日はクラリスがヘアアレンジをしてもらっている時間、私は暇なので、彼女に英語を教えてあげることが出来た。まだたどたどしい英語ではあるが、言いたいことはしっかり伝わる。
 テキストとノートを見せてもらった。テキストは、オールイングリッシュで書かれていた。しかも、その内容を見ておったまげた。Content-Based Approach という手法で、きちんと contents 、つまり内容や場面が提示されていて、その内容や場面に絡んだ英語を学習するものであった。ダイアログ形式で会話表現が学べるようになっていたり、ロールプレイが出来るアクティビティも入っていた。話し言葉がメインであるアフリカ人にとってはまさに大事なことである。日本はどちらかというと文法メインであるが、私はこの Content-Based Approach で英語を教えたいのだ。学習者がその内容や場面に入り込めるような現実的、実践的、かつオーセンティックな素材を使い、単語や表現をその内容や場面と関連付けて覚えさせ、学習者をその内容や場面、そして英語だけの空間に閉じ込める。つまり、とある文法事項を学ぶために無理やり場面を設定した Mary や Tom などの会話ではなく、内容中心でそこに付随する英語を英語で教えたいのだ。外国語は母語で教えるべきだという理論もあるし、その理論も理にかなっているので、否定をするつもりはないが、私がやりたいのは Content-Based Approach の英語教育の方だ。非常に興味が湧いた。ノートの方も見せてもらうと、これまたおったまげた。ノートは全て英語で書かれていた。当然先生も英語で英語を教えているそうだ。日本の小学生か中学1年生にあたる年齢の子どもが、現在形や現在完了形という文法用語まで present tense , present perfect と英語で記していることに本当に驚いた。しかも、ノートは至ってシンプルで、完了形などの作り方が書いてあるだけで、いわゆるドリルのようなものをやっている形跡が無かった。彼女に聞くと、パターンプラクティスやドリルは全て口頭でするそうだ。なるほど、これも話し言葉がメインであるアフリカならではのことか。
 再びテキストを見て、一緒に勉強をすることにした。最初の content は、health care であった。これも、衛生面で病気が心配されるアフリカならではのことだろう。非常に現実的、実践的、かつオーセンティックである。しかも、病院で想定される会話の中には、下痢(diarrhea) 、マラリア(malaria)などもあり、アフリカ人が実際に使うであろう単語がちゃんと用意されていた。彼女が、自分が英語を読むから発音などを直してほしい、と言ったので、黙って聞いていた。読み方が分からないものだけ教えたが、発音には総じて問題無かった。1つ興味深いことならあった。クラリスの英語にもよく起こる現象なのだが、フランス語話者であるベナン人の英語で、時折 H の発音に私は戸惑う。フランス語では H は読まれない(ですよね、フランスに住む私の従姉よ)。姪っ子も、hospital を「オスピタル」と読んでいた。H を発音して私が読むと、彼女は何とかそれに近づけようとするのだが、やはり自分の母語もしくは第2言語に無い音を聞き取ることが難しいようだ。こちらからすると何てことない hospital の発音が、フランス語話者には難しいのだ。ちなみに、以前、昼時にクラリスにいきなりこう言われたことがあった。
 
    "Maki, are you hungry?"
 
さて、読者の皆様。私がこれをどう聞き取ったか、お分かりでしょうか。なお、こう聞かれて私は以下のように答えた。
 
    "...Why? I'm not angry."
   
そう、ベナン人の英語では、hungry は angry と聞こえるのだ。この後やたら会話が噛み合わないことに気がついた私たちは、話し合いを重ねてようやくお互いの言いたいことが分かった。クラリスからしてみると、hungry と angry は違うように発音しているらしい。しかし、私が聞くと全くその違いが分からず、両方共 angry に聞こえたのだ。
 さて、話を元に戻す。health care の話だ。下痢やマラリアなどの病名がキーワードとして挙げられており、それぞれの病状がどのようにして起こるのかをマッチングさせるアクティビティがあった。例えば、stomachache を to drink dirty water とマッチングさせるのだ。さらに、次のアクティビティではそれぞれの病状と解決策をマッチングさせる。例えば、stomachace と to boil and filter tap water のようにだ。ちなみにこのアクティビティをやっているとき、彼女に、
 
    "What is 'filter'?"
 
と聞かれた。グーグル翻訳で英語からフランス語に切り替えれば一発で済む話だが、先進的な道具をなるべく使わずに英語を教えることが私の目標だ。使える道具は、たまたま我々の近くにあった水道と、自分が持ってきたペットボトルの水と、地面の砂だ。幸い、dirty と pure の違いは分かっていたので、地面の砂を手のひらに乗せ、その上に水道水を垂らし、濾過する様を見せた。そして、濾過した後の水はペットボトルの水と同じくらいに pure であることを説明すると、笑顔で納得してくれた(と思う)。他にも、
 
    "What is 'traditional medicine'?"
 
と質問をされた。面白いのが、彼女は traditional と medicine の意味は分かっているのに、traditional medicine となるとイメージが湧かないようなのだ。そこで、近くにあった葉っぱを medicine に例え、injection と比較をした。また、幸か不幸か、私がマラリア感染症のときにもらった薬や打たれた注射の写真がスマホにあったので、ここはスマホという道具を使って写真を見せて、これらが modern medicine であることを説明した。…のだが、これに関しては残念ながら、先ほどの filter ほど「分かってもらえた」という感触は得られなかった。とりあえず、modern medicine のイメージは掴めたようであったが。
 2時間ほどだろうか。彼女と英語を勉強して思ったことは、ベナンの英語教育は決して遅れをとっていないということだ。どうしてもアフリカというと、何かにつけて遅れをとっているイメージがつきまとうが、英語教育は日本ほど普及はしていないものの、その質は決して劣っていない。また、使っているテキストも現実的かつ実践的なもので、何なら明日にでもすぐに使えそうである。そして、この Content-Based Approach の英語教育において私が最も良いと思うことは、英語を勉強していながら、学んでいることは英語に限らないということだ。この health care というテーマでは、水道水を飲む際には煮沸や濾過をすることや、食事の前に手を洗うこと、また伝統医療に頼るだけでなく、先進的な医療を受けること、などを学ぶのだ。つまり、英語の授業であるだけでなく、彼らは衛生学や健康についても学ぶのだ。日本でいうと、保健の授業を英語で受ける、というようなものだ。まさに一石二鳥の英語教育なのだ。彼女に英語を教えているつもりであったが、今日はどちらかというと私の方が色々と学んでいた気がする。殊に英語教育については非常に興味深い。またぜひ彼女と英語を勉強したいと思った。

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彼女に見せてもらったテキスト
 
 気がつけば18時近くになっていた。もう今からでは教会は間に合わない。クラリスはクリスチャンなので、週1回の礼拝を逃すことは良いことではないと言って、少ししょげていた。しかも、なかなかカカノが通らず、つかまえることが出来なかった。なので、
 
    "OK. Today, I'll be your God."
 
というと、クラリスは、
 
     "My god, please I want to go home soon. Please help me."
 
と嘆いた。すると、我々の目の前に大量の牛が通りかかった。
 
     "OK, then you can get on a cow. It'll bring you home."
 
と言うと、
 
    "Oh, my God...my friend Maki loves beef. So can I get on a cow and eat it?"
 
と言った。2人で大笑いをしていると、何と、私が神様になったことが効いたのだろうか、カカノがやって来た。無事に家に帰れることになった。今度はスカートをたくし上げ過ぎないようにドヤ顔で乗ると、クラリスはまた満足そうに笑っていた。
 

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私たちが乗ろうとしていた牛たち。ベナンでは時折このように牛やヤギの群れが道を独占して歩いている。