パン屋での救世主と cake と最近の私の悩み

 10月7日、目が覚めるとクラリスがいなかった。昨日夜、クラリスのお姉さんのところに行った後、クラリスは親戚の家に再び出かけたのだ。そして、帰りが遅くなったためそこに泊まり、翌日そこから仕事に向かうとのことだ。私が先に寝ている間に、そのようなメッセージが入っていた。
 昨日のご飯の残りもあったので、食べ物には困らなかったのだが、クラリスは近所のママさんに頼んで、一緒に近くのお店まで朝ご飯のためのパンを買いに行く手はずを整えてくれた。ママさんは小さな子どもの世話があるため、実際について来てくれたのは、中学生くらいの娘の方であった。彼女も英語を話さないので、会話は弾まなかったが、私が道中ちゃんとついて来ているかを確認しながら一緒に歩いてくれた。15分ほど歩いて着いた先は、こじんまりとしたお店ではあったが、7〜8種類くらいのパンがあった。どれも美味しそうで、少し迷ったが2つに絞り、店員さんにフランス語で挨拶をした後、ジェスチャーでこれとこれ、というように注文をした。2つで850セファ。私は1050セファを出した。ここは値段が予め決まっているため交渉をする必要は無い。すると、店員さんに現地語で何かを言われた。少し困った顔をしている。全く分からない。店員さんは私の後ろにいる、私について来てくれた彼女に助けを求めたが、お手上げである。お金が絡んでいることなので、これは分からなくてはならない。どうしよう、と思っていると、横にいた別の客である親子のお父さんが、
 
    "You speak English?"
 
と聞いてきた。救世主、現る。
 
    "Yes."
 
と答えると、彼はこう通訳してくれた。
 
    "He doesn't have 200, so you will come later or tomorrow to take it or you can choose another one."
 
とのことだ。ベナンではよくあることなのだが、時としてお釣りが正確にもらえないことがある。今回の場合、200セファをお店側が持ち合わせていなかったため、後ほどまた取りに来るか、200セファ分の別のパンを選ぶか、ということだったらしい。それならば、と思って、
 
    "OK. I'll take this one."
 
と、別のパンを選んだ。通訳は好きではない、とどこかの記事で記したが、双方の共通言語も無いし、英語と日本語以外は私は仕方がないと割り切っている。このお父さんが運よく英語を話せて、しかも助けてくれたことがとても感激であった。やはり私は強運なのか。出かけるタイミングが少しでもずれていたらこのお父さんとは出会えなかった。「メルシー」と何度もお礼を言って、店を出た。
 家に帰ってパンを食べていると、ふと思い出した。クラリスは私に、
 
    "She will help you go outside to buy some cake for your breakfast."
 
と言った。"She" とは私について来てくれた女の子のことである。このメッセージを受け取ったとき、『ケーキ?朝ご飯に…?』と思ったのだ。しかし連れて行ったところはパン屋さんであった。この件、前からよくあった。クラリスが、
 
    "I'll go to buy some cakes."
 
と言うので、わーい、と思っているとパンを買って来た。パンと言っても菓子パンなので、bread ではなく、(sweet) bun とか pastry になるはずだ。言い間違えたか、sweet bun や pastry という単語が出て来ず、cake で代用したのか、と思っていた。しかしクラリスに、
 
    "This is not a cake. This is a sweet bun."
 
と何度言っても、
 
    "Ah, yes, something like that."
 
と言われるばかりであった。そして今回も菓子パンのことを cake と呼んだ。もはやあえてのような気がしてならない。これもフランス語からの転用なのか。そう思って、フランスに住む従姉に聞いてみた。すると、フランス語では、甘いパンは Viennoiseries(ヴィエノワズリー)と呼ぶそうだ。しかしこちらではそんな単語は使われていない。また、パンケーキのようなものは cake となるそうだ。玉ねぎもトマトも vegitable と呼ぶベナン人ならば、確かに食パンは bread 、それ以外は cake と呼ぶのも分かる気がする。何れにしても、今日は付き添いがあったとは言え、一応1人買い物デビューに着実に近づいている気がする。
 夕方頃、私は人と会う約束をしていた。Mr. ドソウという人で、12月に来たときにも会っている。クラリスが卒業した大学の先生である。クラリスは2つ大学を出ており、1つはベナンの国立大学であるアボメ・カラビ大学で、その後、私が勤める予定の大学を出ている。ドソウさんは、クラリスがアボメ・カラビ大学の学生のときの先生であり、ベナンの小学校から大学まで色々なコネクションを持っている。私から連絡を取り、2日後には会うことになっていた。非常にフットワークの軽い方である。
 待ち合わせ場所は、大学近くにある野外レストランである。そこまではバイクタクシーをつかまえなければならない。しかし、クラリスは仕事に出ている。ということで、クラリスの甥にバイクタクシーをつかまえてもらい、場所も案内してもらった。彼は大学生で、英語を今学んでいる最中なので、そこまで流暢ではない。しかし、彼とは会うのは2回目だが、いつもグーグル翻訳で機械的にフランス語から英語にするのではなく、自分で英語の表現を調べてから私にそれを口で伝えてくれるのがとても心地良い。機械ではなく、人間と話しているという実感を得られる。しかし今日、普段自分が話す人は皆英語を流暢に話すので、うっかりそのスピードで話してしまった。すると彼は面食らって、手で私を制しながら、
 
    "Speak slowly."
 
と言った。大変申し訳ない、と思って、ゆっくり言い直そうと思ったら、何を思ったのか私は、
 
     "Speak slowly."
 
とゆっくりと言ってしまった。彼は、『だからお前がだよ。』という目で心底不思議そうに私を見ていた。
 彼がバイクタクシーに案内をしながら、待ち合わせ場所に着いた。予定では、彼は一度家に帰り、私が終わるとまた迎えに来てくれることになっていた。しかし、音楽を聴きながら同じレストランで勉強をして待っている方が良いということになった。
 ドソウさんははっきり言って、見た目が怖い。一見すごくシリアスな雰囲気を持っていて、あまりベナン人ぽくないのだ。しかし、話すととても軽快でよく笑う。彼は、私がベナンへ再び来たことをとても喜んでくれた。しかも野外レストランゆえに、蚊に襲われまくった私のために、ウェイターさんに私の足元を覆う布を持ってくるようお願いしてくれる紳士的な面もあった。
 ドソウさんの気遣いで、夕食をご馳走になってしまった。食べながら、色々な教育の話をした。大学ではアカデミックライティングの授業を担当しているそうだ。色々な国に英語を教えに行ったり、会議に出たりしていると言う。近々コートジボワールでも会議があるそうだ。日本にはまだ来たことが無いそうだが、是非行ってみたいとのことだ。
 実は、ドソウさんともう一度会いたいと思ったのは、教育の話をするためだけではない。私はある目的を持って彼に会いたいと申し出たのだ。7月に学校を辞めてから早くも3ヶ月、私は今、仕事らしい仕事はしていない。会議に呼ばれたり、家でパソコンで出来る仕事はしているものの、研修もまだ本格的に始まっておらず、教壇にも立っていない。だから、教えることに自信が無くなってきたのだ。長らく教えていないせいで、今まで自分がどうやって教えていたのかも忘れかけてきており、本当に自分にベナンで学校の先生なんて務まるのかも分からなくなってしまったのだ。同じ教育者として、客観的に冷静に的確なアドバイスをくれそうな人と思ったのがドソウさんだったため、彼に相談をしてみようと思ったのだ。
 素直にそれを伝えた。すると彼は、彼が持っているコネクションであったり、他の誰かに頼んでもいいから色々な学校に見学に行ってみてはどうかと言ってくれた。あるいは、彼が出席する会議や研修にも都合が合えば連れて行ってくれるとのことだ。彼が指導するところも見せてくれることになった。ちょうどつい先日、ウィルからウィルが英語を教えている学校に一緒に行かないかというお誘いがあったので、それを話すとドソウさんはとても良い経験になるだろうと言ってくれた。
 これまで何度となく英語を教えてきたのに、そして時には正直『あぁ、今日も仕事か…』などと思っていたのに、3ヶ月教えていないと感覚も鈍り、やりたいのにやれるのかが不安、という状況に陥ってしまった。最初の1ヶ月はベナンに来たばかりでテンションも高く、そんなことは考えていなかった。しかし、ここ最近、ベナンの色々な面を見たからこそ、自分にやれるのかどうかに不安を感じ始めてきたのだ。そんなの私らしくなくて嫌だ。それでは自信がいつもあったのかと言われるとそうではない。私が勤めてた学校の生徒たちはとても優しかった。私に自信が無くても、下手くそな説明をしても、私が教壇に立てば彼らはついてきてくれた。だから自信が無くても楽しかった。
 しかし、私はそれに甘えていたとも言える。そして、ここはベナンだ。日本とは勝手が違う。甘えられる環境ではない。日本語はおろか英語だって通じない。そんなこと分かってここまで来たはずなのに、ここ最近、教壇に立つのが怖いと思っていたのだ。どうにかしなくては、と思っていたところにドソウさんのことを思い出し、色々話をすることが出来て良かった。悩んだときはとりあえず外に出て、人と話す。これが自分にとっての一番の解決策だ。
 2時間ほど彼と話して、クラリスの甥のところへ向かった。そこから本来は、またバイクタクシーをつかまえて家まで送ってくれることになっていたのだが、甥はこの辺りに住んでいるということが分かったドソウさんは、とある提案をしてくれた。ここは大学に近く、ドソウさんの教え子がいっぱいいるとのことなので、学生にバイクを借り、甥が運転をして私を家まで送り届け、甥はバイクを返しに戻り、歩いて帰るとバイクタクシー代がもかからず、甥にとっても好都合だということでそうすることにした。彼の運転は極めて安全で、何度も
 
    "Are you OK?"
 
と聞いてくれた。英語を話さなくとも、彼が本当に優しくてコミュニケーションを図ろうとしてくれているのがよく分かる。おかげさまで無事に家まで帰ることが出来た。バイクを降りるときに、彼が何かを言いたそうにしたのだが、英語で何て言うのかが分からないようであった。するとすかさずグーグル翻訳を使って、
 
    "Have a good night."
 
と言ってくれた。英語が分からないなら、とりあえずバイバイと手を振ってその場をすぐに離れることだって出来るのに、彼はわざわざ頭を悩ませてこの一言を言ってくれた。迎えに来てくれただけでなく、2時間も私を待って、さらに送り届けてくれた。ドソウさんも色々な仕事をしていて忙しい中、私のために即時間を割いてくれて、色々な話をしてくれた。悩んでいた私は、ベナン人の優しさに触れて、少し心が軽くなった気がした。