何たる偶然と新米カカノとヨボ価格の日本食と初めてのゲストハウス

 11月23日(土)、今日をとても楽しみにしていた。実は、自分が卒業した大学の先生と連絡を取っていたときに、ひょんなことから同じく卒業生で、青年海外協力隊としてベナンに渡った人がいるということを聞いた。先生があらゆる手段を尽くして、その方と連絡が取れるように取り計らって下さった。ベナンに渡った卒業生同士、色々情報交換が出来たら私もありがたい。

    その方は、山崎尚子さんという方で、早速メールでのやり取りをした。すると、何と11月22日からベナンに遊びに来る予定だと言うではないか。何というタイミング。早速ベナンで会いましょうという話になった。
    山崎さんは24日まで私のいる南部に滞在して、25日から協力隊の任地であった北部に移動するそうだ。23日と24日は幸い土日なので、彼女が泊まるゲストハウスに私も泊まればたくさん話もできると思い、承諾を得るために聞いてみた。
    すると、山崎さんは荷物が多いのでダブルルームを取ったため、何と、もし良かったら一緒に泊まりませんか、と素敵な提案を下さった。こういうところが私の大学の良いところなのだ。まだ会ってもない方なのに、ベナンという共通点だけで妙に安心感がある。
    ところでクラリスはというと、友達が警察官になる試験に受かったとかでなぜか今週ずっとパーティーがあるため、朝からたくさん料理を作っている。忙しいときのクラリスは感情的になりやすいので、なるべく関わらないでおいた。
    ところが私のそのドライな態度が気に入らなかったのか、いつも通り感情的に怒り始めたので、やれやれ、と逃げるように家を出た。
    山崎さんと会う場所はコトヌー中心部。久しぶりに大都会に行った。1人でもカカノ(現地語で「バイクタクシー」のこと)をつかまえられるようになった。というか、今思えば、何で今までずっとクラリスに頼っていたのだろうと自分を叱りたくなる。言語が通じないことと、ぼったくられることと、違う場所に連れていかれたときに手が打てないから、と心配性のクラリスに禁じられていたが、言語に関してはGoogleマップで目的地を見せれば良いし、ぼったくられることに関してはもうさすがに相場が分かり始めたので、納得のいく値段でなければ断ればいいだけだ。違う場所に連れていかれたら、Googleマップを再度見せれば良い。
    つかまえたバイクタクシーは、学生風の若いお兄ちゃんだった。つかまえておいてちょっと後悔したのは、こういう新米そうな子だと、道に不慣れなだけでなく、人を乗せることも慣れていないので運転が荒いことだ。
    案の定、このお兄ちゃんは目的地の場所があまりよく分かっていないようだった。しかし、私は1500セファを覚悟していたが、彼が要求した額は1200セファ。思ったより安く済んだ、と思ってバイクにまたがった。
    数分走ると、彼は他のバイクタクシーのドライバーたちが何やら談笑しているところに向かって、何かを聞き始めた。やはり、場所が分かっていなかった。
    他のドライバーたちに教えられて、彼は走り出したが、何と逆方向に向かったのですかさず止めた。Googleマップと、現在地を見せて、さらに手で「逆方向だ」と示すと、彼はようやく分かったようだが、何と増額を要求してきた。
    ふざけるな、と思い要求は無視した。しかし、道を間違えたことは確かでそんなに遠いと思わなかったのだろう。100歩譲って元から想定していた1500までは許す。しかし、彼は2000を要求してきたので、鼻で笑って要求を突っぱねた。こちとら無給である。外国人だからといって、金があると思われちゃあ困る。1500じゃないなら乗らない、と言うと、ようやく納得した。
    ちなみにこのやり取りをフランス語か現地語でしたんだ、すごーい、と思われたかもしれないが、数字は全てスマホの電卓を使った。あとは表情とジェスチャーと、あっちはフランス語、こっちは英語でコミュニケーションを取った。面倒くさいし、トラブルも起こりやすいが、自分でやる方が自立のためにも私は良い。
    再び走り始めた。今度は間違えていないようだ。久しぶりの大都会。ベナンの大都会は、もはやベナンぽくない。外国の企業ばっかりで、歩いている人の層も違う。
    待ち合わせ場所に着いた瞬間に、背後から『こんにちは。』と言われた。振り向くと、何とも人の良さそうな、初対面なのに会ったことのあるような歓迎の笑顔で山崎さんが迎えてくれた。初対面というより、再会、のような感じであった。
    山崎さんに連れられて、周りを散策した。さすが2年協力隊をしていただけに、慣れていてどこに何があるかをよく知っていた。お店は、全てヨボ(現地語で「外国人」のこと)価格ではあるが、久しぶりに色々なレストランを覗かせてもらった。普段外食をしないので金銭感覚が分からなかったのだが、ここでは単価が5000セファ以上であることを知った。通常、5000セファあったら1週間分の食材はゆうに買える。
 スーパーに寄って、日本に持って帰るお土産を買ったが、うっかり買う必要のないものまで買いそうになってしまった。
 乾季に入ったベナンは、少し歩くだけで汗だくになるため、どこか涼しいところでお茶でもしようということになり、アイスクリーム屋さんに入ることにした。
 アイスクリームなんて、いつぶりだろうか。しかも、小洒落たカフェで。ここは東京でいう霞ヶ関みたいなものだ。事実、入ったアイスクリーム屋さんも内装がピンクで統一されていて、ザ・女子カフェのようなものである。

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バナナとパンナコッタのアイスクリーム。
 山崎さんは、本当につい最近、9月までベナンにいたそうだ。任期を終えて、今回は協力隊員や任地を訪れるための旅行としてやって来たそうだ。ベナンあるあるについて話したり、大学のことを話したり、お互いの身の上のことを話してとても盛り上がった。今日の夜は、他の現役協力隊員の方とご飯会があるとのことで、それにも誘っていただいた。本来しっかり遠慮をするべきなのだろうが、お言葉に甘えて参加させてもらうのが私である。
 夜ご飯を食べるまでまだ時間があるため、一度彼女が泊まっているゲストハウスに荷物を置かせていただくことになった。ベナンのゲストハウスには泊まったことが無いため、とても楽しみであった。
 入ってみると、さすがダブルルームとあって、めちゃくちゃ広かった。しかも、入り口から見た感じですでに『ひろっ!!』と思ったのだが、さらにその奥にシャワールームとトイレもあり、ダブルルームと言いながら3〜4人はゆうに泊まれるほどであった。思った以上のクオリティである。
 荷物を置いて、また夜の街に繰り出した。協力隊員と落ち合い、挨拶をして、お店に向かった。向かった先は、何と日本料理屋「わさび」である。ベナンでの日本料理に興味があったし、帰国前とはいえ、醤油の味が恋しくなったのだ。しかし、ここは大都会コトヌー。ましてや寿司を出す日本料理屋ならば、メニューを見たら心臓に悪いのでは、と思った。案の定、ケタが違った。4人分のお寿司、しかも色んな種類があってお腹は満たされるほどではあるが、こちらは50000セファ(日本円で10000円)。たまにならばまだしも、こんなところでご飯を食べるベナン人は一体どんな層の人たちなのだろうか。と思ったら、客はあまりいないが、やはり外国人が多かった。
 

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こちらが50000セファ(日本円で10000円)の寿司4人分。

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久しぶりの寿司にご満悦の私。
 サラダも久しぶりであった。ベナンでは、あまり生野菜は食べない。大抵火が通っている。日本の、しかも私がよく野菜をお願いしていた鳥取や福島の瑞穂さんの野菜にはかなわないにしても、生野菜の味はやはり良い。
 協力隊員の話はとても面白かった。はっきり言って、これまで人生で一度たりとも興味を持ったことが無かった。ベナンに渡る前によく、『協力隊で?』と聞かれたが、私はそのつもりは微塵もなかった。しかし、現役隊員は、今まさにベナン人と接しながら働いている人たちなので、『分かる分かる!!』とこれまたベナンあるあるや、困ったことや大変なこと、でも時にある嬉しい話などを共有出来た。やっぱり、母語は良い。久しぶりに日本語を話して、しかも内容も興味深いもので、とても楽しい時間を過ごした。しかも、ほぼ山崎さんの奢りに近い形で、私たちはこの豪勢な寿司を平らげた。

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協力隊員の方々と。
 ゲストハウスに戻り、シャワーを浴びた。明日は、山崎さんの協力隊 OB が運営しているというパン屋さんに朝ご飯に行こうということになった。山崎さんは、時差もあってお疲れだろうに、私の話や相談に快く応じてくれ、色々と教えてくれた。よくよく考えると、初対面で一緒に泊まるなんて、普通考えにくいことだが、協力隊はとてもオープンマインドで、ましてや母校も同じということで、こちらも本当に安心感に包まれた。
 ダブルベッドは2人で寝てもスペースが余るほどであった。安心感に包まれた、と言ったばかりではあるが、普段ダブルベッドに1人で寝ているものだから、寝相の悪さが再発して、山崎さんを蹴り飛ばしたりしないか、と今度は不安感に駆られながら床についた。