注射嫌いの理由と姉のフルート演奏と最後のホームパーティー

 12月22日(日)、日本に一時帰国をして早くも2週間。相変わらずリア充な生活をしている、と言いたいところだが、今日はまず、狂犬病の予防接種がある。狂犬病の予防接種は、2度打つ必要がある。1度目はすでに終えており、今日2度目を打つのだ。これだけ注射を打ちまくっているのに、やはり慣れない。
 私は幼少期から注射嫌いであり、暴れまくっていた。一度、幼いときに何かの注射を打たれる場面で、やはり私が泣きわめき蹴散らしていたときに、お医者さんや看護師さんが私を羽交い締めにした。中から、休憩中であっただろう看護師さんまでもが出て来て、総出で私を押さえつけて注射を打った。母はどうすることも出来ず、じーっと見ていた。母からすると、「見守っていた」そうだが。それがトラウマなのだと思う。大人になった今でも、また押さえつけられるかもしれない、と思うと怖いのだ。
    いつも通り変顔で注射針を凝視して、看護師さんを不審がらせたが、見てない方が怖いのだ。この前打ってくれた、ギニアに行ったことのある看護師さんではなかったのが残念であった。注射を終えて、私は次の場所へ向かった。姉のフルートの演奏を聞きに行くのだ。
    姉は学生のときから趣味でフルートを習っており、社会人になっても続けてきた。今日は、姉が通っている教室の生徒によるミニクリスマスコンサートがあるのだ。
    姉が演奏する曲と言えば、たいていが浅田真央高橋大輔など、私たちが大好きなフィギュアスケーターたちが演技で使用した曲である。いつかの記事で記したように、私も姉も、何なら母も、フィギュアスケートオタクなのである。
    今日姉が演奏する曲は、浅田真央が2007年から2008年のショートプログラムで使用した『ラベンダーの咲く庭で』だ。父と母と祖母と、一番前の席を陣取ったが、私はカメラマンとなるべく、少し離れたところに動いた。
   フルートを習っていると言っても、趣味で続けてきたものだし、当然仕事をしながら休日に練習をする程度なので、そりゃ本番に音を外すことくらいある。しかし、プロの演奏ではないのだから、アットホームな雰囲気である。姉が音を外したときも、みんな暖かな目で見ていた。ただ1人をのぞいては。
    ビデオを撮っていると、一番前に座っている母が、下を向いていた。娘の演奏中に、なぜ下を向いているのか。何かあったのだろうか。
    姉の演奏中に、私の中では浅田真央の演技がしっかり脳内再生された。10年以上前の演技でも、私は彼女がどんな衣装で、どこでジャンプをして、どこでスピンをして、どういうポーズで終わるかも鮮明に思い出すことが出来る。ちょうどそのとき浅田真央は、ジュニアからシニアに完全に移行して、『かわいい』というイメージから脱却しようとしているときであった。体型の変化やえげつないルール改正もあって、苦しんだシーズンだったな、と感傷に浸っていると、姉が演奏を終えた。 
    私はカメラマンとしての役を終えて、再び母の隣に座った。次の演奏は、これまた奇遇にも同じくらいフィギュアスケートオタクである姉のフルート仲間によるものであった。母はまだ下を向いていた。曲は、ソチオリンピック高橋大輔がフリープログラムで使用したビートルズメドレーであった。またもや、高橋大輔の演技が脳内再生された。当時は、彼にとって最後のオリンピックだろうと言われていたから、正直に言うと、もっと彼らしい曲が良いのではないかと思っていた。ビートルズがダメとかではなく、高橋大輔ならば逆にもっと知名度が低い曲を使ってくると思ったのだ。なぜならば、彼は有名な曲を使うのではなく、彼がその曲を有名にするからだ。曲だけではない。振付師もコーチも、それまではそんなに知られていなかったのに、高橋大輔とタッグを組むことでみんな超有名になり、今や一流である。
 高橋大輔なりに、何か思い入れがあってビートルズを選んだのだろうな。演奏を聞きながら、2014年のソチオリンピックを思い出して、図らずしも泣いてしまった。思わず隣に座っている母に、
 
 『思い出すね。。。』
 
と話しかけた。すると、母に異変が起きていた。肩を震わせて、ハンカチで目を抑えているではないか。そりゃそうだ。母だって、立派なオタクだ。ビートルズを聞いて、高橋大輔を思い出さないわけがない。
 
 『お母さんも大ちゃんを思い出したの?』
 
と、聞こうとして気がついた。母のは、感傷による涙ではない。笑い涙であった。肩を震わせていたのは、笑い泣きをしていたからだ。
 
 『え!?何事!?』
 
と聞いた。何か笑うような出来事など、あっただろうか。すると母は、
 
 『〇〇(姉の名前)ちゃんよ…衝撃的だった…。』
 
と声を震わせて笑っていた。つまり母は、この方の前に演奏した姉が、音を外したときからずっと笑っていたのだった。衝撃的なのは、母の方である。娘の演奏を、そんなに笑うか。そういえば母は、私が小学校低学年のときに作った何かの作品も、授業参観で大爆笑していた気がする。
 結局母は、一番前の席で笑い飛ばすことも出来ず、でも笑いたくて堪えられず、終始下を向いていた。
 家族とは、途中で別れた。今日は久しぶりに、自分が1人暮らしをしている家に戻るのだ。友達 K と L が遊びに来るのだ。K もまた、アフリカに関係する仕事に携わっているし、L も海外事情に興味がある。L は大学の友達で、K は同い年の男の子だ。K と L はもともと友達で、2年前に L と共に K の家で年越しをしたこともある。そのとき、私は K とは初対面であった。複数人がいたとはいえ、初対面の男の家で年越しをするとは、なかなか私もやるではないか。
 この一時帰国中に、ついにこの私の城を解約することにした。約3年間1人暮らしをした家だ。静かで、綺麗で、全部ムーミンで、居心地の良い部屋であった。ベナンに行ってからも、4ヶ月だけ家賃を払い続けていたが、もうそんな生活も出来ない。解約する前に、K と L とホームパーティーをすることにしたのだ。もちろん、ベナン料理を食べた。メニューは、先週友達が来たときに振る舞った「ジャ」に加えて、K は絶対にそれだけでは足りないので、クスクスとオクラのソースを作った。クスクスは、世界最小のパスタである。オクラのソースとは、オクラとひき肉と玉ねぎを炒めて、ベナンの秘伝のパウダーとコンソメで味付けをしたものだ。

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クスクスとオクラのソース。
 K は仕事でしょっちゅうアフリカに行く。よくアフリカのことを色々聞くのだが、
 
 『え〜っと、どうだったかな?』
 
と言われたり、
 
 『そうだった気がするな〜。』
 
と言われたり、
 
 『うん、まあ大丈夫じゃない?』
 
と、言われたりした。アフリカで仕事をする男は、これくらい適当な方が良いのだろう。
    この家でKと Lとホームパーティーをするのは、これが最後だろう。男の子のKは、このムーミンだらけの家に度肝を抜かれて
 
    『このムーミン…必要?』
 
と、ムーミンの必要性を問うたこともあった。夜な夜な3人で、大量の酒とアイスをコンビニに買いに行ったこともあった。もうそんなことも出来ないのか。2人が帰ったあと、ムーミンたちが、『また来てね。』と言えなくて、ちょっと切なそうだった。

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最後のホームパーティー