私の晴れの舞台

 1月13日(月)、ブログが全く追いつかない。日々ネタはたくさんあるのだが、毎日人と会い、朝から夜まで出稼ぎをし、引越しの準備をしていると、気がつけば1日が終わっている。あまりにもリア充な生活である。年が明けてからは、いつにも増して忙しかった。なぜかというと、今日は、私が初めて公の場でベナン生活についての講演をする日だからだ。
 ベナンから日本に戻る直前に、ひょんなことから「一社(一般社団法人)大学女性協会」の会長さんと繋がった。その会長さんと、私が日本に着いた直後に初めてお会いし、私のベナン生活についてのお話をしたのだった。その後、その会長さんから、より開かれた場で話してみないか、というお話をいただいたのだった。
 私のベナン生活なんぞ、たかだか4ヶ月で、もっと他にその場にふさわしい方もいたかもしれない。しかし、会長さんはわざわざ若輩者の私に声をかけてくださった。偉そうに語れることなどないが、私が4ヶ月で見たもの、聞いたことならば、私にしか語れない。ありがたくそのお話を受けることにした。
 さて、前日の夜、翌日に着ていく服を着て、髪型もシミュレーションをしてみようとしたところ、プチ事件は起きた。着ていく服はもちろんメイドインベナンのもので、一昨年12月に初めてベナンに行ったときにベナン人に作ってもらったものだ。布や色が割とフォーマル向けで、かしこまった場に着ていけるものなので、講演会にもそれを着ていこうと思ったのだが、なんと、入らないではないか。
 ベナン人に服を作ってもらうときの注意点として、寸法を測るくせにそれ通り作らないのか、大抵きついということがある。最初にこのドレスを作ってもらったときも入らなくて、その場で作り直させた。しかし、作り直させても、ギリギリ入るという感じで、きつさは残っていた。ベナン人女性はピタッとした服を好むらしく、これ以上幅をもたせることに難色を示され、私もそれ以上広げてくれとは言えなかったのだ。
 それでも、あのときは何とかチャックは上がっていたのに、この1ヶ月の日本滞在で私は順調に体重を取り戻し、そのドレスのチャックはこれ以上上に行くことを断固として拒み続けた。母と姉と2人がかりで肉を押しのけてももダメだった。もちろん、中に着るTシャツも脱いだがダメであった。こんなとき、女は胸があるから困る、と思ったが、胸も無いくせに入らなかった。母には、
 
 『どうせ無いんだから、下着も取れば?』
 
と言われたが、それをしたら倫理的に問題がある気がするのでやめておいた。
 結論から言うと、最終的には入った。チャックを上げるときの姿勢がポイントであった。若干前屈の姿勢になって、重力で肉を下に垂らした状態でチャックを上げるのだ。実に理にかなった方法だ。惨めなスタイルではあるが、目的のためならば手段なんぞどうでも良い。今の私には、このドレスを着るということ以外に達成すべきことなど無い。
 他にもたくさんベナン服は持って帰っているし、別にベナン服でなくても着て行くものはある。しかし、ここはやはりベナン服だろう。しかも、このドレスは唯一まだ誰にもお披露目をしていないものだったのだ。フォーマル感があるゆえに、着る場面が無かった。お金を出して着てくださる方にこそ、意地でもお披露目したかったのだ。
 あとは髪型だ。ここはやはり、クラリスのお姉さんが作ってくれたカツラだろう。何の躊躇もなく、カツラを装着してみると、母も姉も、宇宙人を見る目つきで私を見ていた。
 
 『あんた、講演会の前に職質かけられない?』
 
と言われた。そんなことあるわけなかろう、と思っていたが、確かに4ヶ月ベナンにいると、日本の常識が分からなくなる。姉は素人ではあるが、ヘアアレンジが得意で自分のも人のもまあまあ立派に出来る。そんな姉が、
 
 『このドレスだったらカツラじゃなくて、もっとドレスに合うアレンジしてあげるから。』
 
と言ったので、大人しく従うことにした。講演当日は、父も母も姉も祖母も来る。家族総出で来てくれるのだから、多少は言うことを聞かねばと思ったのだ。
 そして迎えた当日。念のため前日の食事の量を押さえておいたのだが、前夜と同様、前屈の姿勢から何とかチャックを上げ、若干の呼吸困難になりながらも体裁は整えた。
 私は準備のため、そして姉も手伝ってくれると言うので一緒に一足先に出た。そしてまたもやプチ事件が起こった。何と、電車の乗り換えのタイミングで、姉とはぐれたのだ。これが東京駅などの大きな駅ならまだしも、中野駅ではぐれたのだ。私は正しく、次の電車のホームに向かっていたのだが、後ろからついて来ていると思った姉がいないことに気がついた。結局姉は、乗り換える電車に乗り遅れ、バラバラに到着することになった。一方、東京の街を歩き慣れない祖母の歩くスピードも鑑みて、父と母もかなり余裕を持って予定を立てていた。
 そしてここで再びプチ事件が起きた。講演が始まる5分前になっても、父と母と祖母が来ない。スマホを見ると、大量に LINE が入っていた。道に迷っているらしい。姉が対応してくれたが、ついに講演の時間になってしまった。3人はまだ来ない。目が悪い祖母のために一番前の席を空けてもらっていたのに、ポッカリ不自然に空いたまま、私の講演は幕を開けた。
 今日の参加者には、お母さんに連れられた7歳の男の子もいる。だから私は、
 
 『今日は一番下は7歳から、そして一番上は私の祖母でしょうか、83の人まで来てくださり…』
 
と冒頭で笑いを取ろうと思ったのに、祖母がいなくては笑いも取れやしない。3人は15分ほど遅れてやって来て、気まずそうに一番前に座っていた。
 今日の講演のタイトルは、『30歳!夢を叶えにベナンへ〜滞在4ヶ月で私が見たもの、聞いたこと〜』である。現在31歳なので、年齢が若干サバを読んでいるように見えるが、30歳のときに人生の方向転換をしようと思った、ということである。タイトル名の通り、私がベナンに滞在した4ヶ月の間で、私自身が見たものや聞いたことを報告するものである。参加者は、この講演で初めてベナンについて知る方を想定している。なので、国旗や位置など、ベナンについての基本的なクイズから始めることにした。思ったより国旗や位置は知られていて、驚いたことに、参加者の7歳の少年も事前学習をしっかりと行ってきたため、全問正解であった。

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講演中の様子。
 メインとして話したのは、この Blog でも載せてきたが、9月の病気三昧のこと、給料未払い事件のこと、クラウドファンディングのことである。話していて、我ながら4ヶ月でよくこれほど体験してきたな、と思った。『これは本当に自分のことだろうか。』と思ったほどであった。
 参加者の中にはお医者さんもおり、マラリア感染症のことを話すときはドギマギとした。マラリアには予防接種は無いのだが、実はあったらどうしようとか、ベナンでは感染症と診断されたものが、実はもっと重症なものだったらどうしようとか、不安になった。
 与えられた時間は2時間で、1時間ちょっと自分の話をして、残った時間で質疑応答のつもりであったのだが、会場の雰囲気が良すぎてノリノリで話していたため、80分近くノンストップで話していた。
 最後の締めに、参加者として来てくれた私の卒業生に向けたメッセージも伝えた。私は親のためではなく、自分の夢のために生きていることを。「親のため」に生きるということは、いつか「親のせい」にする日が来るということを。若き卒業生はこれからきっと色々な葛藤にあうと思う。世間や親から求められる人生と、自分がやりたいことにギャップも感じることもあると思う。しかし、自分の人生の主人公は、自分でしかあり得ない。幸い、私の両親は私に何のプレッシャーも与えることはなかったし、『ああしてほしい、こうしてほしい。』という希望を押し付けることも無かった。強いていうならここ数年、『結婚はまだか?』『孫の顔が見たいなあ。』とぼやくくらいだ。しかし、私自身が勝手に「安定」を求めたり、「親を安心させなきゃ」と思って、やりたいことを押し通せなかった(ときもあった)。若き卒業生もまた、この先の将来の選択で色々と悩むかもしれないが、親や世間のためではなく、自分の人生は自分で決めてほしいなと思う。
 ということを、父と母と姉と祖母の前で伝えて、私の講演は拍手とともに幕を閉じた。講演が終わって、とある参加者が父と母に
 
 『すごいお嬢さんですね。よく1人でベナンに行かせましたねえ!』
 
と言ったらしい。すると父と母は、
 
 『いやぁ…。』
 
と言ったそうだ。謙遜ではなく、本当に『いやぁ…。』と思っていたのだと思われる。ちなみに、以前私も、
 
 『よく本当に許したねえ。』
 
と人ごとのように言ったら、
 
 『反対しようものなら、あんたに倍返しにされるから。』
 
と言われたことがあった。
 親なりに葛藤はあったと思うが、きっと「心配を押し殺して涙をこらえて娘を送り出した」という美談ではなく、心の底から私からの倍返しが面倒臭かったから許したのではないか、と思い始めている。
 運営側の大学女性協会の方と参加者からのお気遣いで、ベナンの子どもたちへの大量の文房具が寄付として集められた。ありがたく頂戴し、私は帰路に着いた。今日は家族で打ち上げをすることになっている。私の家族御用達の美登利寿司を頼んである。寿司を囲みながら、ワイワイと今日の講演を振り返った。姉はひたすらカメラマンに徹してくれたし、色々手伝ってくれた。父と母と祖母が、『良かったよ。』と言ってくれたのが嬉しかった。何歳になっても親に認められるのは嬉しい。至らない点もあったが、多分あの場で一番楽しかったのは自分なんじゃないかと思うほど、充実した講演だった。
 声をかけてくださった大学女性協会の皆様、そして足を運んでくださった皆様に、心より感謝申し上げます。

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姉と参加者の方々と。