ベナン出発と日本到着

 12月7日(土)、朝からバタバタであった。盲点なところに持って帰らなければいけないものがあり、何度もスーツケースを開けたり閉めたりする羽目になった。

 空港へは、タクシーで行くつもりであったが、オイルショックゆえにガソリン代が跳ね上がり、思ったより高くついてしまいそうになった。クラリスが電話で色んな人に車を出してくれないか聞いてくれたが、やはり当日にいきなり言われても無理な話で、結局やはりタクシーになった。幸い、クラリスがいくつか当たってくれたタクシードライバーのうち、1人だけ他のドライバーより安く行ってくれると言ってくれたので、彼にお願いすることにした。
 出る前に、しばらくクラリスとは会えなくなるので、私のお母さんとビデオチャットをすることにした。自慢では無いが、私とお母さんは笑えるくらいによく似ている。クラリスも爆笑しながらそれを言っていた。クラリスは私のお母さんと話せたことをとても喜んでくれた。
 クラリスは、朝からやたらハイテンションであった。お隣さんから爆音で音楽が流れていたため、それに合わせて踊ったり歌ったりしていた。私と離れることを喜んでいるようではないか。すかさず言った。
 
    "You look happy because I'm going back to Japan."
 
と。すると、クラリスは少し目線を落として、
 
    "This is the best way not to feel sad."
 
と言った。やはり、なんだかんだ言っても私と離れることが寂しいのだろう。かわいい奴ではないか。
 タクシーに乗り込んでからも、クラリスは車内で歌ったり、ドライバーとひたすらでかい声でしゃべっていた。この狭い車内でどうしてそこまで声を張り上げる必要があるのか、というほどに。そして、いきなり並走しているバイクに向かって怒鳴り声に近い声で話しかけた。その頃にはすでにクラリスのでかい声で耳が痛かった私は耳を抑えながら、
 
    "What happened?"
 
と聞いた。すると、父親と思しき人が運転しているバイクの後部に座っている女の子が、つかまりもせずに手を離して座っていたため、その子に向かって『ちゃんとつかまれ。』と注意したのだそうだ。ベナンの良いところは、こうして他人同士でも会話したり、注意したり、「共存している」という実感を得られるところだ。クラリスのでかい地声がしばらく聞けなくなるのは寂しいが、耳の静養のためには良い。
 空港には午前10時過ぎに着いた。私が使うエチオピア航空のチェックインがまだ始められないとのことで少し待たされることになった。その間、クラリスと別れを惜しんでいた。
 そしていよいよ、しばしの別れのとき。クラリスは最後まで、"I'm sad." とも "I'll miss you." とも言わなかった。言ったらより一層そう感じるからだそうだ。WhatsApp で連絡は取れるし、確かに一昔前と違って、海外にいても寂しさを感じることは無い。手を降って別れようとしたまさにそのとき。
 
    "Maki!!"
 
と言われたので、なんだなんだ、やはり寂しいのか、ハグでもしたいのか、と思ったら、
 
    "Modem!!"
 
と言われた。私がベナン滞在中に使っているモデムは、月ごとに15000セファを払って使い放題である。今回、12月は7日間しか使わないが、1週間使い放題というサービスもなく、1日ごとだと使用制限がありかつ毎日更新しに行くのが面倒くさいため、これまでと同様1ヶ月分払ってきたのだ。そして、私が出発してからはクラリスが使えば無駄にはならない。
 この別れ際に、クラリスはしっかりと私からモデムを受け取ることを覚えており、私たちの最後の会話は、"Modem!!" "Oh...here you are." となった。大方今頃、自分のスマホの使用料金を気にすることなく私のモデムを使って電話をしまくっていることだろう。

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クラリスとの別れの瞬間。
 エチオピア航空は頻繁に遅れると聞くが、空港に着いた時点では私が乗る便に遅延情報は入っていなかった。エチオピア航空を使った場合、ベナンからエチオピア、韓国を経由して成田に到着する。1日かかるフライトである。そして結論から言うと、今回は乗り継ぎ便も含めて最後まで順調過ぎるフライトで、予定より早めに成田に着いた。さらに幸いなことに、ベナンからエチオピアでも、エチオピアから成田でも(韓国では飛行機から降りるが、再び同じ機内かつ同じ席に座る)、3列に私1人だけで、思う存分寝ることが出来た。私は、実は飛行機のちょっとした揺れが好きで、ジェットコースターに乗っている気分になれるため、揺れるとワクワクしてしまう。なので、眠くてもそのワクワクを感じたくてわざわざ起きたりするのだが、今回は睡眠薬でも飲んだのではないかというくらいに爆睡していた。

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エチオピア航空の飛行機。

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機内からの眺め。
 揺れ以外に楽しみなことは、当然機内食である。やはり長時間のフライトで疲れがあるのか、エチオピア航空のややしょっぱい食事が意外とハマるのである。その楽しみにしている食事の時間になると、寝ていたとしても匂いで目が覚める。しかし今回は、ことごとくCA さんに起こされることになった。そのうち1回は、眠りを妨げられて、無意識に手を振り払ったほどであった。信じられないくらいによく寝ていた。

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機内食の牛肉とパスタ。肉はほどよく柔らかくて美味しい。
 基本的に私は出されたものは全て食べ切る。そして代謝が良いので、機内といえどしっかり排便もする。さらによく眠ったことで、想像以上に快適に過ごすことが出来た。
 あまりにも順調過ぎるフライトで、何の問題もなく成田に着いた。私は海外から帰ってきて成田に着くと、必ず見ては泣けるものがある。それは、「お帰りなさい」という有名な看板である。色んな人が言っているが、私もこの言葉が好きだ。英語では "Welcome to Japan" となっているが、違うんだよな、と思う。「お帰りなさい」は翻訳出来るのだろうか。少なくとも私は英語に当てはまる言葉は無いと思っている。海外に行って、海外の良さも当然感じるが、この「お帰りなさい」に泣けるあたり、私は根っからの日本人であり、日本人としてのアイデンティティがしっかりと確立されていることを知る。そして、日本語っていいな、日本っていいな、と思える。矛盾に見えるが、海外から帰ってきて身にしみて感じるのは、実は海外の良さよりも、日本の良さであると思う。
 ベナンに行ったり、ベナンから帰ってくるとき、最もナーバスになるのがフライト状況である。今回は全く遅れることは無かった。次にドキドキするのが、ロストバゲージをしていないかどうかだ。そしてこれも幸い、私の2つのスーツケースは問題なく到着していた。
 順調過ぎる。この後何かあるのではないか、と思っていた。無事に到着したことを知った友人からは、『日本は本当に寒いよ〜。』と言われたが、下はジーンズでも上は半袖にムーミンのストールを身にまとっているだけの私に、そんな追い討ちをかけるような言葉は言わないでいただきたい。『家に帰るまでが遠足です。』とも言われたので、その言葉だけありがたく受け取ることにした。そして実際、この後、私はその言葉の重みを嫌という程思い知ることになる。
 事件は、東京駅で起きた。成田からここまで、完全なるバリアフリーではない駅の中、エスカレーターは大変であった。そもそも、今回のスーツケースは1つが恐らく重量制限を越しているかしていないかのギリギリくらいだったと思う。空港で超過料金を払っていないので、超えていないのかもしれないが、もしかしたら見逃してもらえたのかもしれない。とにかく重かった。成田から東京まではどうにか運んだが、電車の中でもこの重いスーツケースが転がったりしないよう、手で抑えていたりしたため、東京駅に着いてからは両手が疲れ切っていた。
 そして、東京駅から乗り換えでエスカレーターに乗ったときであった。1つ目を私の前に置き、私が乗り、私の後ろに2つ目を乗せたときであった。わずかに残っていた体力を振り絞っても重いスーツケースを持ち上げることが出来ず、2つ目のスーツケースごと私は転倒した。そして、支えを失った1つ目のスーツケースも上から降ってきた。ウォータースライダーの段差ありの頭から滑るバージョンのごとく、私は転げ落ちた。周りの悲鳴は聞こえていたが、私はどうすることも出来ず、ひたすら転げ落ちた。ようやく、1つ目のスーツケースも2つ目のスーツケースもどこかで引っかかって止まったときに、私も立ち上がることが出来た。どうにか態勢を整えると、私の前に立っていたであろうおじさまがエスカレーターを逆走して助けに来てくれた。そのおじさまは、きっと私のことを中学生か高校生だと思ったのか、
 
  『これ1人で運んで来たの?』
 
と尋ねた。まさか31歳のアフリカ帰りの女とは言えなかった。おじさまは、エスカレーターから降りるときまでスーツケースを支えてくださった。丁重にお礼を言って別れたが、もっとちゃんとお名前を聞くなりしてお礼を言えば良かったと思っている。動転してとにかく『ありがとうございます。』というだけで精一杯であった。そして、冷静になってみると、遅い時間であっただけに、私の後ろに1人も人がいなかったことが本当に幸いであった。自分1人だけで被害が済み、他の誰も巻き添えにならなかった。さらに、転げ落ちているときは『あー、気を失うのかな。』と思ったが、幸い頭を打った形跡は無く、気を失うどころか頭がビンビンに冴え始めた。スーツケースを持っているときは、遠回りでもエレベーターを使えということなのだな、と反省し、これ以降は大人しくエレベーターを使うことにした。おじさま、本当にありがとうございました。
 そして実は、今日はとあるクラファンの支援者の方と会う約束をしていた。私の帰国日にたまたま、私の帰り道にいるということで、お礼をするべく吉祥寺で途中下車することにした。その方は、友人の知人であるのでお名前は知っているが、会うのは初めてである。久しぶりの吉祥寺で降り、待ち合わせの改札に向かった。お互い顔は分からなくても、このどでかいスーツーケース2つを見ればあちらは私だと分かるだろう。あの人かな、この人かな、とワクワクして待っていた。
 すると、私を見ながら改札を通ってこちらに向かってくる人がいた。私の心臓が跳ね上がった。え…この人?まさか、んなわけあるまい。と思ったが、やはり勘違いではなく、こちらに向かって来ている。そして私の前で止まった。この人であってほしいという気持ちと、この人でないといいなという気持ちであった。
 現れたのは、美男美女などありふれているこのオシャレな街、吉祥寺でも目立つほどのイケメンであった。元来、私は他の人とイケメンの基準が異なり、そもそもイケメンを見ても何とも思わない。一目惚れもしたことがない。ところがこの方は、名前を A さんとすると、A さんは遠目に見てもイケメンであると分かるお顔立ちであった。スラリと背も高く、目立つ。
 私はなぜか、A さんは女性だと思っていたのだ。まさか男性だとは、そしてこんなイケメンが登場するとは思わなかった。誰も教えてもくれなかった。もし知っていたら、こんなボサボサの髪の毛で登場することはなかったのに。もし知っていたら、寝ているだけの機内でフルメイクをすることだって出来たのに。もし知っていたら、もっと可愛いアフリカ服を着て来たのに。よりにもよって私は、思いっきりどすっぴんの、メガネの、真冬に半袖というよく分からない服で登場して、上からムーミンのストールを羽織っているいかにも変な人っぽい格好で出迎えることになった。
 ドギマギしながらも一通り挨拶をして、クラファンのお礼もしてお土産を渡すことになった。ここでも私は人生でもトップ5に入るほどの後悔をした。なぜ、お土産をスーツケースから出しておかなかったのかということを。A さんにはジュースを買ってきているのだが、液体であるのでスーツケースの方に入れておいた。それを改札前でゴソゴソと出す羽目になった。A さんがイケメンだと知っていたら、スーツケースだってもっと綺麗に整頓していたのに。よりにもよってぐっちゃぐっちゃの、何なら下着もポロリと出てきそうなスーツケースをこのイケメンの前で披露することになった。しかも、家族へのお土産として買って帰ったお菓子のビンがスーツケースの中で割れていた。恐らく先ほどの転倒の衝撃で割れたのだろう。A さんに渡すものが無事であったのは幸いではあるが、イケメンだと知っていたらもっと可愛い袋に入れてきたのに。A さんはそんな私を見ても労いの言葉をかけてくれてお優しい方ではあったが、私は惨め極まりなかった。東野圭吾ジブリ好きという共通点もあったが、あまりに惨め過ぎて頭がおかしくなったのか、ラピュタムスカの名台詞『見ろ、人がゴミのようだ。』を真似したりなど、もはや時差ボケという言葉では片付けられないほどのボケをかました。
 A さんは、こんなよく分からない女のためにスーツケースをホームまで運んでくださった。嬉しい気持ちと、1日お風呂に入っていない私に近寄らないでくださいという気持ちが入り混じっていたものの、お礼の言葉はしっかりと言えたと思っている。しかし、最後まで『こんな格好でごめんなさい。』とは言えなかった。そこから先は、今度は姉がこれまた偶然に吉祥寺で友達と飲んでいるというので、待ち合わせをして一緒に帰ることにした。姉に慰めてもらおうと思ったのだ。
 姉は、私を視界に捉えるや否や、思いっきり知らない人のふりをしようとしていた。そして、下を向いて笑いを精一杯こらえて、私の前に到着するや否や大爆笑していた。何だその格好は、と。私を見たとき、『何かヤベー奴がいるな。』と思ったらしい。そりゃそうだ。スーツケース2つがただでさえ目立つのに、こんなよく分からない格好をしているのだから。そして、その「ヤベー奴」がまさか妹だとは思わなかったらしい。酔った姉は、電車の中で甲高い声でヒーヒーと笑っていた。冷静になった私は姉の声がでか過ぎて周りの目を気にしたほどであった。
 姉に、A さんのことを話すとさらに笑い転げていた。恥ずかしくても慰めてほしくてムスカのくだりまで話したのに、慰めるどころかひたすら笑っていた。改めて電車のドアに映った自分の姿を見て、確かに「ヤベー奴」だなと思った。しかも、東京駅での転倒で早速内出血が出始め、右肩から手首にかけて大きなアザと擦り傷も出来ていた。そこに虫刺されも重なって、変な注射でも打ったかのようになっていた。
 あわよくばスーツケースを1つ持ってもらえるかも、と思って姉と帰ってきたのに、姉は再会を喜ぶことも惨めな私を慰めることもなく、ひたすら甲高い声で笑い転げていた。酔っ払った人間にスーツケースを持たせることの方が危ないので、結局私1人で2つ運んだ。
 家には23時頃に到着した。父と、たまたま遊びに来ている祖母はすでに寝ていたので、母が出迎えてくれた。母こそは、私を慰めてくれるはずだ。『お母さんっ!!』と抱きつきたいのを必死にこらえ、まずはこの重いスーツケースを家の中に入れ、手洗いうがいを済ませ、さあ『お母さんっ!!』としようと思ったら、母も姉もいないではないか。どこにいるのか。何と、2人は正座をしてリビングのテレビの前に座っていた。そして、先週行われていたフィギュアスケートのグランプリファイナルを必死こいて見ていた。娘と妹の4ヶ月ぶりの帰国よりも、フィギュアスケートの方が大事らしい。この家で私はしばらく滞在しようとしていたが、早く1人暮らしの家に戻って、ムーミンに慰めてもらおうと思う。