ベナンでの節水方法とドクタークラリス

 3月10日(火)、朝起きると、やはり昨日の火傷の痛みがまだあった。当てていたハンカチを取るのに一苦労した。見るも無残な足となっていた。とりあえず1つだけ言える確かなことは、歯磨き粉の効果は今のところ無いということだ。というか、傷口を触ることが嫌で、あまり塗っていないということもあるが。

 ゆっくりベッドから起き上がって、風呂場に向かって顔と患部を洗った。蛇口から流れる水で患部を洗っていると、水が出るということに改めて感謝をした。
 実はつい数日前まで、10日間ほどクラリス家では水が使えなかったのだ。断水ではない。ある夜、家に帰ったときに水道代の請求書が来てクラリスがおったまげていた。あまりにも高過ぎると。私の洗濯の頻度が高いからか、と聞くと、それだけではこんな額にはならないと言っていた。特に水を多く使った日はなく、いつも通りの生活であった。不審に思ったクラリスが、外にある水道管を見に行くと、なんと破裂しており、水を出すときに大量に漏れ出ていたそうだ。修理が必要になるレベルだったので、直すまで元栓を閉じて、毎晩1日に必要であろう分の水を大きなバケツに溜めておこうということになった。どこの家にも、断水に備えてバケツを用意している。クラリスは、1メートルくらいの高さのバケツも用意しているので、そのバケツに水を溜めるときだけ外の元栓を開けて水道が使えるようにした。そして、生活に必要な水は全てそこから使っていた。もちろん、シャワーは使えないので、小さなバケツに水を入れて、それをちまちまと使って体と髪を洗っていた。トイレの水ももちろん流せないので、用を足した後、小さなバケツの水を一気に流し込んで、汚物を流していた。
 バケツにある水しか使えないと言われると、とにかく最小限の水で全てを済ませようという気になるので、非常にエコであった。ベナンに来て、当然日本より水を使わないようにしてきたが、このような生活をして、さらに節約する余地があったことを知った。風呂に使う水なんて、こんな少なくて済んでいたのか。そう思うと今まで一体自分はどれほど無駄に使ってきたのかと恨めしく思う。毎晩、仕事から帰ってきたクラリスとバケツに水を溜める作業をする際、最初は面倒臭いなと思っていたが、慣れればその作業もどうってことなかった。時を同じくして、日本ではトイレットペーパーやらマスクやら、色々な日常生活品が品薄になり始めて大変な時代がやって来つつある。もはやトイレットペーパーなど無くてもいいやと思っている私は、今仮に日本で断水が起こっても、特に困らない気もする。人間は、無きゃ無いで適応するものだと思う。
 とは言え、火傷の薬は無くては困る。身体的な痛みには絶望的に弱い私は、歯磨き粉の効果を試す実験は早々に諦めて、やはり西洋医学に頼る道を選んだ。昼過ぎに、薬局まで薬を買いに行くことにした。患部に触れないように、ひらひらとしたスカートでくるぶしまで隠れるものがあったので、それを履き、日焼け止めを万全に塗って家を出た。
 歩くと痛い。グジュグジュとした患部がより一層開いていくようだ。先日、風邪を引いたときにも蜂蜜を買いに同じ薬局に行った。ここの店員さんたちは、この最近よく来る現地語もフランス語も話せない私の顔を覚えていてくれたのか、そして英語しか通じないということも覚えていてくれていたのか、入った瞬間に、
 
     "May I help you?"
 
と英語で聞いてくれた。薬局で顔パスになるなんて、良いことではないが、とりあえず現地語もフランス語も話せないということは分かってくれてありがたい。下手くそなフランス語で、火傷の薬が欲しいと言うと、全く通じなかった。すると、店員さんが奥にいる誰かを呼び出した。出て来た男の人は、英語が通じるようだ。私専用の店員さんとして、今後も常駐していてもらいたい。
 火傷をした、と足を見せながら言うと、彼は顔をしかめて即座に奥に薬を取りに行った。数種類持って来てくれて、それぞれの薬の効能を説明してくれた。痛みがあるのならば、錠剤があると言ったが、火傷の痛みより、一日も早くこのグジュグジュした患部を無くしたい。塗る薬が欲しいと言って、それを1つ買うことにした。3025セファ(日本円で605円)の薬だ。少々でか過ぎる気もするが、まあいいだろう。もう一度火傷をするなんて考えたくもないが、誰か周りで火傷した人がいれば、あげればいい。店員さんたちに礼を言って店を出て、家に帰った。
 すると、家の前に近所のママさんたちがいた。いつも通り挨拶をしたところ、1人のママさんが怪訝な顔で私を見た。そして、もう1人のママさんに何かを言ったところ、そのママさんが私を呼び止めた。彼女たちも英語は通じないので、いつもジェスチャーやグーグル翻訳機で会話をする。
 ママさんが、私の足を指差して、何かを言っている。風が吹いたときに、私のスカートからふくらはぎが見えたのだろう。火傷のことを言っているのだ。近くにあるバイクを指差して、バイクの鉄の部分で火傷をしたとジェスチャーを交えて説明した。すると、ママさんたちも顔をしかめて哀れんでくれた。pharmacy という単語が聞こえたので、恐らく薬を買ったかどうかを聞いたのだろう。たった今買って来た薬を見せると、ママさんたちは安心していた。
 家に着いて、また患部を洗いに風呂場へ向かった。たった徒歩10分程度の場所に行くだけで汗が吹き出す。患部に汗が流れるたびにヒリヒリしたので、まずはその汗を洗い流してから薬を塗ることにした。
 頼むから効いてくれ。もはや跡が残らないようにという贅沢な願いなどは無い。ただただ普通に歩きたい。普通に寝たい。幸い、今日は仕事は無いので家でゆっくり出来るが、明日は学校に向かわなくてはならない。ググってみると、患部をなるべく空気に触れさせないようにした方がいいと書いてあったので、またハンカチを巻いて過ごすことにした。
 夜になってクラリスが帰って来ると、
 
     "What about your leg?"
 
と聞かれたので、薬局に薬を買いに行って塗ったことを話した。すると、
 
     "Did you put tooth paste again?"
 
と聞かれた。塗り薬を買ったので、歯磨き粉はもう塗っていないと言うと、
 
     "Let me see it."
 
と言われた。足を見せると、全然治ってないじゃないか、本当に昨夜歯磨き粉を塗ったのか、と言われた。クラリスは時折、本気でボケをかます。昨日の今日で、そんなすぐに火傷を治してくれる歯磨き粉があったら、ノーベル賞ものである。しかもクラリスは、私が買ってきた薬を指差し、
 
     "Forget about it. I'll cure it."
 
と言った。クラリスが治してくれるのか。ほう、どうやって?と聞くと、
 
     "Traditional medicine."
 
と言った。つまり、薬草などで作るということか。以前、少し頭痛があったときにクラリスが常備してあるお茶のようなものが効くと言ったので、試しに飲んでみた。すると、つま先から脳天までゾワっとするほど苦くて、歯磨きをしてもその苦味が取れなくて大変だったことがあった。あれのようなものをまた飲むのか、はたまた塗るのか。
 人生はまだ長い。塗り薬は手に入れたし、「伝統療法で火傷は治るのか」という実験はまた今度にしよう。クラリスからの申し出は丁重に断って、買ってきた薬を塗って、ハンカチを足に巻いて床についた。