検査結果とコミュニケーションとタタマキと全く、暖かい人たちだ

 9月21日、どうか寝返りを打っていませんように、と思いながら目が覚めた。良かった。昨日寝始めたときと同じポジションで寝ていた。すると、同時に目覚ましが鳴った。本能的に「止めねば」と思い、寝返りを打ってしまった。何ということだ。寝返りを打っていなかったことに安堵したつかの間、寝返りを打つなんて。おかげさまで全体重とまでは言わなくても右半身の体重を腕にかけ、「ぬをーーーー」とい言葉にならない叫びでクラリスも起こした。

 そう、私の右手首には注射がぶっ刺さったままなのである。詳しい経緯は、「疑惑と突然のプレゼン」と「恐怖度100%の注射」を読んでいただければと思う。
 昨日の夜、病院からクラリスに電話が入った。血液検査の結果が出たそうだ。その結果、何と血液中にマラリア菌は無かったとのことだ。つまり、マラリアは復活していなかった。驚いた。てっきりマラリア故の発熱だと思ったからだ。昨日医者にも言われたが、消化不良を起こしているとのことだったので、発熱はそれが原因で起きたそうだ。さらに、往診に来てくれるはずだったが、こちらの都合と相手の都合が合わず、結局また病院に行くことになった。
 ということで、また朝イチに病院に着いた。幸い今日は晴れており、雷も鳴っていなかった。病院に着くと、クラリスが私の名前を言って受付をしてくれた。そして受付の人も私の名前を繰り返しながらカルテを探していた。その光景が何とも私にはツボであった。というのも、私の苗字は「倉科(くらしな)」で、これが外国人には発音しづらいのだ。そのため、「クラシナ」ではなく、「クルゥシィナァ」のようになり、「マキ、苦しいなぁ」と聞こえるのだ。「はい、苦しいです。」と思わず言いたくなった。
 そして、お薬手帳とカルテを手渡された。ベナンでは、1つの病院につき1冊お薬手帳が渡される。前回の病院と今回の病院で何と私は早くも2冊もゲットした。スタンプラリーだったらどんなに良いか。そして、何気なくその2冊を見て診察を待っていると、年齢が違って表記されていることに気がついた。前回の手帳では私は30歳となっていた。今回の手帳には32歳と書かれていた。2週間で2歳も歳を取っていた。しかも両方とも違うという、何とも言えない面白さがあった。(実際は31歳である。)
 ベナンの病院は物々しさが無く、中庭のようなところもあり、匂いもこもらず、日差しが入って明るい。そして何より、病院といえどあちらこちらから爆音で音楽が聞こえる。鳴らしているのは待合室にいる患者さんと、お医者さんや看護師さんたちもだ。誤解をしてほしくないのは、彼らはちゃんと患者が来ると対応している。彼らとて休息は必要だ。患者と接していないときくらい、好きに音楽を聞くことは私は全く問題ないと思っている。
 現に、私が診察室に入ったとき、医者は爆音で音楽を聞いていたが、私たちが入ると、音楽を止めて、検査の結果を説明してくれた。今日のお医者さんは英語が通じなかった。クラリスがところどころ通訳してくれた。やはり、マラリアではなかったということだが、感染症ではあるとのことだ。少し困ったことは、医者は私にはフランス語が通じないと分かってから、クラリスを見て、クラリスに一方的に話していた。正直に言うと、私にはあまりこれは居心地が良くない。これは私の病気だ。患者は私だ。英語が話せなくても、フランス語が通じなくても、私を見て私に話してほしい。ましてや、病名を infection とだけ説明されたので、それでは抽象的過ぎて納得出来なかった。そこでついに言った。
 
    "Excuse me. This is my disease. Could you speak to me, not to her? And, "infection" is too abstract. I need the detail."
 
クラリスがこれを通訳してくれてからは、医者は私の目を見て話してくれた。後ろからクラリスが通訳をしてくれている。私は自分が通訳するときも(大抵断るのでほとんど無いが)、この形が一番好きだ。話し手同士の間には決して入らない。影のような存在であるべきだと思っている。そして、その後からは医者はきちんと私が知りたかったことを教えてくれた。どうやら、数日前に食べた物か飲み物の何かが私の体に合わず、消化し切れていなかったとのことだ。そういえば2〜3日前は下痢が止まらなかった。また、熱のせいで睡眠が取れていないため、抵抗力も弱まって発熱が続いたとのことだ。
 
    "What should I be careful of?"
 
と聞くと、加熱をしっかりした食べ物を食べること、お風呂の水が食べ物に入ったり、口に入れないように気をつけること、1口食べて、辛すぎるものや口に合わないと判断したものはなるべく食べないこと、外食の際はより一層衛生面に気を使うこと、ということであった。
 医者からの話が終わると、またもや注射を打つとのことなので、恐怖の部屋に入った。ここでも爆音で音楽がかかっていた。次の患者さんもいないとのことなので、クラリスの入室も許可された。昨日とは違う看護師さんが打つことになった。私の顔を見るなり、
 
    "Japanese? Japanese?"
 
と聞いてきた。いいから早く打ってくれ。すると、また昨日と同じ針穴に薬が注入された。打っている間に、その場にいた看護師さんたちが必死に私の気を紛らわせようとしてくれた。優しさは本当にありがたいのだが、残念ながら注射を打っているときの私の顔は死んでいる。そして、痛みに波がある。すると、注射を打ってくれている男性の看護師さんが、
 
    "If I go to Japan, I visit you. "
 
と言った。少々片言ではあったが、きちんと通じる。
 
    "Do you want to go to Japan?"
 
と聞くと、
 
    "I want to see you."
 
と言われた。ここは病院である。苦笑いをしていると、クラリスがフランス語で彼に何かを言った。すると、周りの看護師さんたちが大笑いした。
 
    "What did you say?"
 
と聞くと、
 
    "I'll tell you later."
 
と言われた。今日の注射はこのやりとりのおかげで多少気が紛れた。
 今日はこれで終わりだったが、明日の朝また打つ必要があるとのことで、すなわち私の腕にはまだ針が刺さったままである。病院を出ると、クラリスが、
 
    "Can you guess what I said to him?"
 
と聞いてきた。分からない、と答えると、
 
    "He said he wants to marry you. So I said, 'You are too ugly. Maki is too beautiful. I cannot give Maki to you.' "
 
と言われた。盛大に吹いた。何てことを言うのか、この子は。本人の目の前でこれを言ったのか。あまりにも彼がかわいそうであった。
 
    "I really feel sorry for him. You are too severe!"
 
と言うと、
 
    "Maki, I'm Beninese. I know I can say anything directly to Beninese."
 
と言い返された。その間にクラリスは手際よくバイクタクシーを捕まえたのだが、笑い過ぎて力が入らず上手く乗れなかった。乗っている最中、
 
    "Maki, don't marry him. OK?"
 
と確認された。
 
    "If I said I wanted to marry him, what would you say?"
 
と聞くと、ただでさえ彼女は真後ろに乗っているのだから顔が近いのに、より一層デカい声で、
 
    "NOOOOO. I can't accept it. Never, Never!! Please, Maki. I'll find another man for you, OK?"
 
と言われた。どうやら私の彼氏や旦那さんはクラリスが見つけてくれるらしい。
 今日もクラリスは自分の仕事の予定を繰り下げて私に付き合ってくれた。さらに、家に帰るなり、
 
    "We have to find a better way to live. I'll never put spice on your meal."
 
と言った。要は、私が二度と感染症にならないように、彼女なりに考えてくれていたのだ。スパイスはベナン人の食事に欠かせないものであり、クラリスも食事には必ず入れている。たまに辛すぎることもあるが、大抵は食べれないというほどではない。しかし、彼女はそれでもスパイスはもう入れないと言ってくれた。
 そして、また美味しいご飯を作ってくれてから彼女は仕事に向かった。しかし出かける直前に、
 
    "The doctor said you have to eat too much. You always don't eat much."
 
と母親のように言った。本当に医者がそう言ったかどうかは分からないが。
そして出かけた直後に、
 
    "Hello, Maki. Are you fine?"
 
とメッセージが入った。昨日はウィルからもひっきりなしにメッセージが来ていた。全く、暖かくて面白い人たちだ。
 さて、私の腕にはまだ針がぶっ刺さっている。慣れてきたとはいえ、なかなかやりづらい。パソコン作業はどうってことはないが、やはり困るのは力むと痛むことだ。しかし、今日は絶好の洗濯日和だ。雨続きで洗濯物も溜まっており、今日こそはせねばならない。また、昨日はお風呂をやめておいたが、やはり今日こそは入りたい。ということで、腕にタオルを巻き、さらにビニール袋を被せ、絶対に水が侵入しないよう最新の注意を払って済ませた。右手が使えない分、この際使えるものは全部使った。足も大いに活用した。私は右利きなので、こんな機会でも無ければ左手をフル活用することも無かっただろう。良い機会だ。どうにか洗濯を済ませ、仕事に取り掛かった。パソコンでの仕事ならいくらでも出来る。すると、停電が起きた。もはや停電でビビることも無くなったが、汗をかいていたので扇風機を使えないことが辛かった。それならばいっそ、まだ昼過ぎではあったが、シャワーを浴びることにした。またタオルと袋を右手首に巻きつけ、準備万端で素っ裸になった瞬間に電気がついた。ベナンという国はいつもそうだ。停電のために、私が『じゃあ風呂でも入るか』『一休みでもするか』と思って、今まさにそうしようとするときに電気がつく。しかし、構わずシャワーを浴びることにした。ここでも左手をフル活用した。
 左手をフル活用しまくってのシャワーなんぞ初めてのことで、なかなかきついではないか。余計に汗だくになった気がする。しかしやはり、こんな機会でも無ければ片手が使えない不自由さなど知ることは出来ないだろう。私はこういう不自由さに出くわすと、『日々の何不自由ない生活に感謝せねば。』とは全く思わない。どちらかというと、自ら不自由を経験することなどなかなか出来ないのだから、『不便なことや不自由なことを知れて良かった。』と思っている。もちろん生死に関係することじゃないから言えるのだが。
 シャワーを浴びて、ゴロゴロしてまどろみ始めてから、立て続けに来客があった。顔なじみのご近所さんである。英語が通じないので、相手も私もジェスチャーを駆使してコミュニケーションを取る。私はこれも面白いと思っている。しかし、なかなか通じなかったので、相手が頭を手に当てながら、必死に
 
    "Are..are you..."
 
と言っている。明らかに英語であった。相手は私のために英語を話そうとしてくれていた。何だ、何と言いたいのだ。すると、相手はお腹に手を当てるジェスチャーをした。そこでピンと来た。
 
    "Hungry?"
 
と聞くと、激しく頷いた。私にお腹が空いているかどうかを聞きたかったらしい。どおりで先ほどからうちのキッチンの方を指差していたのか。何かを作ってくれるということなのか。しかし、残念ながら食べたばかりである。ましてや病み上がりでそれほど空腹感も無い。しかも、クラリスとの約束で、ご近所さんと言えど、クラリスの許可無しに家を空けることも家に人を入れることもしないと決めている。
 
    "I'm full."
 
ジェスチャーで示すと、納得したように帰って行った。入れ替わりかのように、その後別のご近所さんも来た。彼女はいつものように挨拶に来てくれるママさんだ。英語は通じないが、私が病院に行ってたことを知っているので、大丈夫かどうかをジェスチャーで尋ねた。注射が刺さっている右手首を見せると、泣き顔をして同情してくれた。
 後から分かったのだが、どうやらクラリスが私があまりご飯を食べてないことや感染症にかかったことを話していたらしい。それで皆お見舞いに来てくれたのだ。全く、暖かい人たちだ。
 そう言えば最近、私の顔に見慣れたのか、私の顔を見ると、
 
    "Good morning."
 
と言ってくれる人が増えた気がする。我が家から徒歩数歩のところにある、学校に行っていない子どもたちもだ。どこで覚えたかは分からないが、朝に会っても、
 
    "Good morning."
 
昼に会っても、
 
    "Good morning."
 
夜に会っても、
 
    "Good morning."
 
という。私が、フランス語や現地語が通じないと分かったのだろう。ちょっと面白かったが、彼らなりに私と挨拶をするために、英語を覚えてくれたのが心から嬉しかった。他のママさんもよく、頭に手を当てて、うーん、と悩みながら、
 
   "How are you?"
 
と聞いてくれることが増えた気がする。そこで、私も覚えたてのフランス語で、『元気です。』と返すと、とても喜んでくれる。これが私はとても楽しくて面白いのだ。やはり、コミュニケーションにおいて大切なことは、流暢さではなく、『あなたと話したい。』という気持ちであると思う。
 夕方頃、外からいつも通り子どもたちの声が聞こえた。しばらく会っていなかったので、ドアを開けると、ドアの前にはたくさんの子どもたちがいて、「タタマキ」と言っていた。「タタ」は現地語で、名前の前につける敬称のようなものだ。日本語の「ちゃん」や「さん」にあたるものだろう。
 実は、これも最近の嬉しいことだ。子どもは通常外国人のことを「ヨボヨボ」と呼ぶ。現地語で「外国人」の意味だ。この子どもたちも私のことを「ヨボヨボ」と呼んでいた。子どもが言っているので、差別的な意味は無いと分かっているが、それでも Maki と呼ばれたい。私は子ども相手でも、何度か、
 
    "I'm not Yobo Yobo. I'm Maki."
 
と言っていたのだが、もちろん通じない。ところが、ママさんたちが「タタマキ」と呼ぶよう子どもたちに言ったのか、あるときから皆、私を見ると「タタマキ」と呼び始めた。「外国人」ではなく、Maki と認識してもらえたと思いたい。久しぶりの握手会をした。ママさんたちが笑って見ている。全く、暖かい人たちだ。
 握手会を終えて、再びまどろむためにベッドに入ると、ウィルからもクラリスもまたメッセージが来ていた。
 
    "Maki, are you OK?"
    "You have to eat, eat, eat and eat."
 
の連続であった。全く、暖かい人たちだ。