クラリスの甥っ子の卒業式と嫁入り前の娘なのに

 3月9日(月)、と聞くと、卒業式ソングとして使われそうなレミオロメンの名曲を思い出す。そして、実際私は今日、卒業式に向かう。クラリスの甥っ子が、アボメ・カラビ大学を卒業するということで、クラリスから、私も出ないかと招待されたのだ。厳密に言うと、クラリスは仕事を休めないので、代わりに出てあげてくれないか、と言われたのだ。クラリスの2人のお姉さんたちも是非に、と言ってくれたので、喜んで招待を受けることにした。

 ベナンの大学の卒業式では、意外なことに卒業生は洋装、つまりスーツを着るのだそうだ。そして、出席者、つまり私たちのような家族はベナン服を着て派手に着飾るのだそうだ。また、家族は息子や娘の友人、お世話になった先生たちに料理やジュースを振舞って、感謝の意を示すのだという。だから、私も朝早くからクラリスのお姉さんの家に行き、ご馳走の用意を手伝うことにした。
 早起きをして、ベナン服に身を包み、クラリスに送ってもらった。お姉さんたちは英語は全く通じないが、いつもジェスチャーなどで歓迎してくれる。そして、手伝うという行動を示すと、椅子を用意してくれて、座ってていいと言ってくれた。確かに、熱い鍋は触れない、お姉さんたちに比べれば非力そうな私は戦力外であろう。忙しそうだし、邪魔をしては悪いと思い、大人しく座っていることにした。
 私の近くで火をおこしたり、料理をしていたので、やはりやりたくなった。私はこう見えて、料理は好きなのだ。お姉さんが、鍋の中で野菜を炒め始めた。かき混ぜているだけだから、私にも出来る。のそりと立ち上がって「やってみたい」とジェスチャーで示すと、お姉さんは笑って、かき混ぜていた棒を手渡した。油がバチバチと跳ねているので気をつけながら混ぜていると、お姉さんが信じられないことをした。何と、素手で熱々の鍋を掴み、位置をずらしたのだ。前からこういう光景はよく見る。クラリスもよくすることであるが、彼女たちは素手で鍋を掴んだり、煮えたぎっている食べものに手を突っ込んで味見をする。手の皮が厚いといことは分かるが、見ている私の心の健康に良くない。多少は熱いと思うそうだが、こっちからすると手品か何かを見ているようだ。私があまりにもヒイヒイ言うからか、お姉さんはゲラゲラと笑っている。「大丈夫よ、大丈夫よ」みたいなことを言っているが、あなたたちが大丈夫かどうかではなく、私の心が大丈夫ではない。
 この炒めた野菜たちは、サンドウィッチの具材となるそうだ。朝が早かった私のために、お姉さんたちは私に2つもサンドウィッチを分けてくれた。そうして、お昼頃だろうか、ようやく家を出て大学に向かった。
 大学に着くと、とある棟に行き、一行は窓から中を覗き込んだ。中は小さな部屋となっており、学生がパワーポイントを使って教授たちと家族の前で何かを発表している。何となく読めてきた。卒業式、と聞くと、日本のように卒業生たちがズラーっと椅子に座って色々な人の話を聞き、卒業生代表が答辞を読んだりする光景を思い浮かべていたが、ベナンでは1人1人時間差で、また日にちも場所もずらして卒業式が行われるようだ。そして、卒業「式」と言うよりは、「発表会」のようなものなのだろう。大学で学んだことの集大成として、パワーポイントでその成果を発表し、合否が判定されるようだ。だから甥っ子はずっとパソコンとにらめっこをしてさっきからブツブツと何かを言っているのか。恐らく、発表の練習をしているのだろう。
 前の発表者がまだ中にいるので、私たちは待たされることになった。その間、代わる代わるお姉さんたちは色々な人たちに挨拶をしている。大学という場なので、街中より多少英語が通じる人がいる。私を見て英語で話しかけてきた教授や学生たちがいた。朝が早かったということもあり、眠気も襲ってきた。容赦無く照りつける太陽に体力がだいぶ奪われて、私は待合室でウトウトとしてしまった。いつの間にか前の発表が終わったようで、私たちは中に入った。
 甥っ子は緊張の面持ちで前に進み、教授たちに挨拶をしていった。そして、ついに彼の発表が始まった。結論から言うと、全く分からなかった。当たり前だが全てフランス語で行われるし、彼は理系なので中身もチンプンカンプンであった。再び眠気が襲ってきたが、さすがにここで寝るわけにもいかない。一生懸命聞いている風を装って、耐え続けた。割と厳かな雰囲気であったので、私一人だけつまらない顔をしていては浮いてしまう。
 30〜40分ほどの発表だっただろうか、無事に終えた。甥っ子は安心した面持ちであった。その後、教授陣からいくつか質問がされていたが、甥っ子は(多分)きちんと答えていた。1時間ほどで発表は終わり、私たちはまた一旦外に出た。その間、教授陣で合否の判定会議を行うそうだ。外に出た私たちは、持ってきたサンドウィッチを甥っ子の友人たちに振る舞った。
 10分ほどで、再び扉が開かれた。中に入ると、教授陣が甥っ子に何かを言った。甥っ子はとても嬉しそうな顔をして、1人1人と握手をしてお礼を言っていた。合格、ということだろう。お姉さんたちも喜んでいた。皆で喜びを分かち合って、彼の卒業を祝った。甥っ子は、私に、
 
     "Thank you for coming."
 
と言った。
 
     "Congratulations."
 
と言うと、とても喜んでいた。

f:id:MakiBenin:20200506173050j:plain

発表中の甥っ子。
 クラリスのお姉さんの家に一旦引き上げて、皆で遅めの昼ご飯を食べた。ジュースが余っているから、と氷付きでいただいた。 乾季のベナンはとにかく暑い。この冷えたジュースで喉を潤し、しばらく家で休憩をした後、夕方頃に帰ることになった。
 ここは、クラリスの2人のお姉さんのうちの一方の家なので、もう1人のお姉さんとクラリスのお兄さんと3人でバイクに跨った。運転するのは、お兄さんの方だ。安全のために、私は真ん中に座らされた。先に私を送り届けてくれることになった。
 ここで事件が起きた。家に着いて、バイクから降りるときのことだった。素足で乗っていた私は、何も考えずに右から降りようとしたとき、右足に衝撃が走った。思わず日本語で、
 
 『あつっ!!!!』
 
と叫んでしまった。車種によっては、後部座席に座る人が降りるときにちょうど足に当たる位置に、鉄の部分がある。名称は知らないが。その鉄の部分に思いっきりふくらはぎが当たった。真っ赤になって、皮膚がただれていた。完全に火傷をしていた。驚いたクラリスのお姉さんとお兄さんは、慌てて私の足を見ようとしたが、とっさに、
 
 ”I'm OK, I'm OK.”
 
と足を引きずりながら2人から去ろうとした。お姉さんが駆け寄ってきて、私のふくらはぎを見るや否や、お兄さんと何かを話していた。多分、このままでは病院に連れて行かれる。クラリスにも連絡がいく。火傷の痛さで思考回路はほぼ停止していたが、大丈夫と笑顔で言い張り、お姉さんとお兄さんに心配そうに見守られながら、激痛が走る足を引きずりながら無理やり家の中に入った。
 家に着いて改めて足を見ると、もはや吐き気を催すほどに悲惨な足になっていた。すぐさま風呂場に駆け込み、バケツに足を突っ込んで冷やした。冷やすといっても、この乾季では水は生温かい。シャワーを浴びるにはちょうど良い水温になったが、こういうとき、なぜ冷水が出ないのかと恨みたくなる。火傷をした場合、患部を水につけているときは痛みをそう感じないが、少しでもそれを止めると途端に激しい痛みが襲ってくる。患部は楕円形で、500円玉を横に2つに並べたくらいの大きさだろうか。ただでさえ生温かい水は、バケツに入れておくとさらに生温かくなる。2〜3回水を変えた。真横がトイレなので、バケツに足を突っ込みながら用も足した。
 しばらくこの体勢から動けそうにない。冷静になって考えてみると、やはり病院に連れて行ってもらった方が良かったのか。いや、しかしそんなことをしたらお姉さんもお兄さんも絶対に申し訳ないと思うだろうし、クラリスも仕事を切り上げてやって来てしまうかもしれない。ましてや、私の経済状態を知っているクラリスなら、いつかのマラリアのときのようにまた病院代を1人で負担すると言いかねない。今日1日、私の面倒を見てくれて、朝ご飯も昼ご飯も出してくれたお姉さんに迷惑もかけたくなかった。あのとき、心配するお姉さんとお兄さんを振り切ったのは、とっさにそのことを考えたからだ。そんなことになったら、また私は肩身の狭い思いをして生きていくことになるし、火傷くらいなら、と思ってしまったのだ。
 しかし、痛い。『ここが日本だったら…。』と思わずにはいられなかった。そして、ちょっと冷静になった私は、それまでの塩らしさを忘れて、『何であんなところに鉄なんかついているんだ。暑い国なんだから、気温が上がると危ないではないか。ベーコンでも焼くつもりか?私の足はベーコンだというのか?』と若干イラつき始めた。
 塩らしさ、イラつき、の後にやって来たものは、涙であった。そう、私は泣いていた。アフリカに女1人でやって来る、なんて言うと『強いですね〜。』と何度も言われたし、職場でもどこでもストレスを抱えることなく(どちらかというとストレスを与える側で)生き抜いてきたので、そりゃ確かに多少強さはあるかもしれない。ただ、私だって女の子だ(一応)。体に傷が出来たら、そりゃ悲しくもなる。ただでさえ貰い手がいるか分からないのに、こんな傷物になって、果たしてお嫁に行けるのか。こんな足を見たら、男性は何と思うか。古臭い考えは嫌いなくせに、なぜかそこにはこだわる。ウエディングドレスは着れるだろうか、大抵ふくらはぎは隠れるから大丈夫か。別に自慢するような足でも何でもないが、今後スカートは履けないのかな、タイツやストッキングで隠れるだろうか。傷跡を消す整形手術って、お金かかるのかな。自分の行く末を考えて、ヒーンヒーンと泣いていた。誰かに言いたい。泣きつきたい。でも、強いから大丈夫って思われていると、こういうとき誰に泣きついたらいいかが分からない。大抵のことはあまり心配されず、大丈夫と思われている私だが、こんな大きな火傷なんかして、大丈夫なんかじゃない。第一、私は精神的な強さはあっても、身体的な痛みにはめっぽう弱いのだ。血が出ると大騒ぎするし、すぐに湿布や包帯も巻きたがるし、微熱でも動けなくなるほどだ。
 結局、2時間近くトイレの便座に座りながら足を冷やして、落ち着いた頃にクラリスに連絡をした。お姉さんから連絡がいってるかと思ったが、幸いまだであった。お姉さんから聞くより、私から聞いた方がクラリスにとっても良いだろうと思ったのだ。極めて明るく、何てこと無さそうに絵文字を使いながらクラリスに、
 
     "My leg got burned."
 
と言った。すると、仕事中であろう彼女はすぐさま
 
     "Put tooth past on it."
 
と泣き顔スタンプと共に送ってきた。たかだか数ヶ月とはいえ、クラリスと住んでいると大体クラリスの言いたいことも分かる。急いで打ったからスペルミスをしたのだろう。これは、tooth paste のことだとすぐに判断出来た。…え、歯磨き粉?歯磨き粉を塗れというのか?スペルミスのことは分かったが、だからと言って、火傷に歯磨き粉?got burned が通じていないのか?クラリスは何か勘違いをしているのか?どうにも解せない。ただ、写メまで送っているので、これを見れば足がどうなっているかは分かるはずだ。やはり、この火傷した部分に歯磨き粉を塗れということか。
 試しに、ググって見た。「火傷 歯磨き粉」と。すると、応急処置として歯磨き粉を使ったという体験談が出てくるではないか。しかし、私は怪我したときや体調が悪いときは、様子を見ることなくさっさと西洋医学に頼ってきた人間だ。金を出して苦しみから逃れてきた。非科学的なものは信じないので、歯磨き粉の効果が証明されていないのなら、普通は絶対にそれに頼ることはない。しかし、ここはベナンだ。もう病院に行くという選択肢も消えた今、何だか妙にワクワクしてきてしまった。やってみたい。これで効果が出たら、自分が歯磨き粉の効果を証明したことになる。
 まだヒリヒリ感は残るものの、バケツから足を出した。どうせなら、もうこのままシャワーを浴びよう。足を引きずりながら服を脱ぎに行き、真っ裸で戻って、足に石鹸が触れぬよう、シャワーを浴びた。そして、着替えて歯磨き粉を塗ってみた。患部は、火傷をした瞬間よりもさらに悪化していた。大変気持ちの悪い表現ではあるが、「グジュグジュ」している状態である。この日は、少しだけ仕事をしてクラリスが帰ってくる前に床についた。
 しばらくは眠れずにいたが、ウトウトし始めたときに、クラリスのバイクの音が聞こえた。きっとクラリスは心配している。大丈夫だと言い聞かせないと、寝ている私をベッドから引きずり下ろして患部を見たがるに違いない。
 起きてクラリスを出迎えるや否や、
 
     "What happened to your leg? Tell me why."
 
と詰め寄った。スマホの電池が途中で切れたらしく、お姉さんにも理由が聞けず、私にも連絡が取れず、あの後ずっと心配で仕事にならなかった、とまくしたてた。やっぱり。そうだろうと思った。さすが私。もうクラリスのことは結構分かり始めている。
 クラリスを落ち着かせるために、火傷の理由を話した。嘘をつくわけにもいかないので、クラリスのお兄さんのバイクで火傷をしたことも話した。クラリスは申し訳なさそうにしていたが、攻めるつもりなど微塵もない。明るく話して、何てことない、と言った。充電しているスマホを見て、クラリスはお姉さんからメッセージを受け取った。やはり、お姉さんも私が火傷をしたこと話していたようだ。お姉さんも申し訳ない、と言っていたそうだ。また、卒業式では随分待たせてしまったことも申し訳ない、とも。
 夜には私自身が落ち着きを取り戻したので、逆にそんなに申し訳ないと思わせてしまったことに申し訳なさを感じ始めた。そして、クラリスが、
 
     "Did you put tooth paste on your leg?"
 
と聞いてきたので、見せてみた。今の所、まだ効果はない。本当に効果があるのか、と聞いてみたが、クラリスは自信があるようだ。クラリスも以前、別のバイクに乗っていたときに、同じように火傷をしたことがあるそうだ。というか、やはり暑い国ならではのことなのか、この火傷はベナンではよくあるそうだ。そのとき、歯磨き粉を塗ったら治りが早かったそうだ。さらにクラリスは、
 
     "Honey is also good."
 
と言った。蜂蜜…だと?先日、私が喉を痛めたときに、薬局で買ってきたのだ。その蜂蜜の瓶がリビングのテーブルに置かれていたので、それを指差しながらクラリスは言った。にわかに信じがたい。蜂蜜を火傷の患部に塗るなんて。即座にその場でググった。すると、先ほどの歯磨き粉同様、蜂蜜もまた民間療法として使われている事例があるではないか。しかし、蜂蜜を塗ることで虫が寄ってくるかもしれない。それを想像すると、「蜂蜜は火傷に効くのか」という実験をしてみようとは思えなかった。人生はまだ長い。今回は、「歯磨き粉は火傷に効くのか」に絞ろう。
 歯磨き粉を塗ったふくらはぎがシーツやパジャマにつかないよう、ハンカチを巻いて寝ることにした。少し動かしただけで痛い。弱気になりそうになるが、幸い疲れもあって、眠気はすぐに襲ってきた。歯磨き粉の効果はさておき、やはり西洋医学が一番心強い。明日、薬局に薬を買いに行こう。