コロナの波と門前払いとお土産の布ゲット

  3月14日(土)、日本ではホワイトデーだの何だの、恋人同士がウキウキする日に私は、汗まみれになって目が覚めた。乾季のベナンでは、寝るにも一苦労だ。

 昨日、夜更かしをしてしまった。諸事情が重なり、3月末に戻ろうとしている私は飛行機をそろそろ取らねばならない。親からの「帰ってこいコール」も凄まじくなってきた。昨今のコロナ情勢故に、親としては医療体制が貧弱なアフリカにいる娘にさっさと戻ってきてほしいようだ。正直、今日本に戻っても日本の方が危ないのではないか、という気もするが、確かに先日の火傷で散々身体的な痛みに苦しんだ私が、コロナが重症化したときに耐えられるとは思わない。コロナのことだけでなく、他にも帰る必要が出来ているので、一時帰国をすることは決まってはいるのだが、今こっちでやっていることを投げ出すことも出来ず、未だに飛行機が取れずにいる。母は、そんな私に毎日のように『飛行機はとったのか?』とLINE を送ってくる。

 「今こっちでやっていること」の1つは、ドソウさんと Bohicon という地域にある大学の修士課程で英語を教えることだ。毎週土曜日にあるのだが、それが4月まで続く。出来れば最後まで同行したかったが、それは諦めざるを得ない。しかしやはり、せめて3月いっぱいまでは行きたい。しかしそうすると、良い飛行機が無い。 primary school もそうだ。せっかくクラリスが見つけてきてくれたところだし、良い同僚のランドリーもいる。あまり私が役に立っているとは思えないが、私自身が一番楽しめる場所だから、この学校での仕事を放り出して日本に帰ることに抵抗がある。ギリギリまでは働いていきたい。しかしそうすると、また良い飛行機が無い。飛行機を取ろうとすると、いつもこの堂々巡りにあって、結局取れないのだ。
 昨日も夜遅くまでパソコンとにらめっこをしていたので、危うく寝過ごしそうになってしまった。今日は土曜日、すなわちドソウさんと Bohicon に向かう日だ。朝5時半に家を出る。30分ほど暗い道を歩いて、待ち合わせ場所に行くのも慣れたものだ。寝ているクラリスを起こして、家の外門の鍵を閉めさせるのはかわいそうではあるが、寝起きのクラリスは可愛いのだ。ちょっと不機嫌そうな猫みたいなのだ。時折、寝ぼけているからか、現地語かフランス語で私に話しかける。クラリスには悪いが、起こして鍵を閉めてくれと頼むとき、この寝起きのクラリスが可愛いのでニヤニヤしてしまう。
 今日も不機嫌そうな猫クラリスは、低い声で、
 
     "Have a nice day."
 
と言って、鍵を閉めて見送ってくれた。そして、ドソウさんと落ち合って、いつもと同じように乗り合いタクシーを拾おうとしているとき、ある車に乗っていた人が私たちの前を通り過ぎるとき、私に向かって何かを言った。どうせまた、私を中国人と勘違いして「ニーハオ」と言ったのだろう。特に気を留めなかったのだが、その車に向かって、ドソウさんが怒鳴った。現地語かフランス語かどっちかは分からなかったが、明らかに怒っている声であった。
 
     "What happened? What did he say to me?"
 
とドソウさんに聞いた。あの乗客が私に言ったことに、ドソウさんは怒ったのかと思ったからだ。すると、ドソウさんは怒った顔で、
 
     "He said, 'Corona!' to you. He is not educated."
 
と言った。あ、コロナと言ったのか。私は全然聞き取れなかった。と、呑気に考えたが、乗り合いタクシーを拾って乗り込むと、急に胸が痛くなった。コロナの波が、確実に来ている。海外で、アジア人への差別や暴行事件が起こり始めていることはニュースで知っているが、ここベナンは治安も良いし、今日まで全く危険な目にあったことが無い。しかし、たった今私は、アジア人というだけで、「コロナ」と呼ばれたのだ。初めてベナンが「怖い」と思った。車の中で沈黙になり始めたからだろうか、ドソウさんが私に、
 
     "Forget about him. He is not educated. People like him don't know who is responsible for corona."
 
と言った。私に「コロナ」と叫んだ人が実際に教育を受けていないかは知らないが、ドソウさんも教育者であるので、やはり教育を受けていないことが無責任な発言、差別、ひいては暴行に繋がると言っていた。
 朝から嫌な気持ちにはなったが、切り替えようと努めた。今日は、いつものようなドソウさんの講義ではなく、私のプレゼンがあるのだ。先週、ドソウさんは学生たちに宿題を課した。自分のリサーチを英語でプレゼンさせるので、その準備をしてくるように、と。私も久しぶりにプレゼンをしてみたくなったので、ドソウさんに、私もプレゼンターにしてもらえるようお願いしたのだ。すると、何と私がトップバッターとなって、学生たちのお手本になるよう命じられた。昨夜は、飛行機のサーチングとこのプレゼンの準備で夜更かしをしていたのだ。
 いつものように、カフェで朝ご飯を取って、大学に向かうと、これまた先週と同じように学生たちが建物の前で待っていた。やばい。先週と同じように、ドソウさんがまた怒る。鍵を開けることになっている責任者がまたサボっているのだろうか。ドソウさんはため息をついて、先週と同じように学生たちに門番に連絡をしろと命じた。その間、私は日陰でプレゼンの準備をしていた。先週は20分ほど待ったら門番がやって来た。しかし、今日は待つこと30分、誰も来ず、誰も建物に入れていない。
 ドソウさんはまた大変怒り始めて、色々なところに電話をかけまくった。ベナンでは、待たされることが多いので私はもう慣れた。今日もこの待っている間にプレゼンの準備をしていたし、特に困ってはいなかったが、さすがに1時間が経過したときにおかしいと思って、学生たちに、
 
     "Tell me what's going on. Why are't we allowed to enter the room?"
 
と尋ねた。すると、一番英語が出来る学生が、
 
     "They are refusing."
 
と答えた。なぜ、と聞いても学生にも分からないようだ。しばらくして、門番と思しき2人組がやって来た。ついに入れる、と思った束の間、その2人は学生たちに何かを言った。すると、学生たちは激しく抗議した。しばらくこの2人と学生たちの口論が続いた。フランス語なのでちっとも分からないが、どう考えても我々が建物に入ることが許されていないことは明らかだ。案の定、2人は鍵を開けて中に入ったが、私たちを入れることなく、中から鍵をかけた。学生たちは怒っていた。全く事情が分からない。どういうやり取りをしたのかを学生たちに聞いても、
 
     "I don't know but they refused."
 
としか言わなかった。その間、ドソウさんは電波が良いところを求めてどこかで電話をしていた。
 戻って来たドソウさんは、うなだれる学生たちと私を見て、
 
     "We don't have a class today. Let's go, Maki."
 
と言った。もはや訳が分からない。歩きながらドソウさんに、なぜ私たちが建物に入ることを拒否されているのかを尋ねた。すると、
 
     "They didn't know we had a class today. It's not usual to have a class on Saturday. If they open the gate for us, they have to be responsible for the security. They don't know us, so they don't trust us."
 
と答えた。それならば、ドソウさんなら大学の責任者と繋がっているのだから、その人からちゃんと土曜日に開講していると門番に伝えてもらえばいいではないか、と思ったのだが、あいにく何度電話をしてもその人が電話に出なかったそうだ。
 そして大学を後にして、歩いている途中にその人から折り返しの電話が入った。少しやり取りをして、ドソウさんは電話を切った。
 
     "What did he say?"
 
と聞いてみた。ドソウさんが事の顛末を話したところ、責任者は今すぐに門番に門を開けるよう命じると言ったそうだが、ドソウさんはもう今日は授業をやらず、このまま帰ると言ったようだ。
 本来ならば、学校とは学びたい人のために門が開かれるはずの場所である。セキュリティを気にする門番の気持ちも分かるが、はるばる2時間かけてここまで来たのに、文字通り門前払いを食らって、さすがのドソウさんの背中も寂しそうであった。私がプレゼンをすることになっていたのに、それも出来なくなって申し訳なさそうにしていた。しかし、来週またその時間を設けるから、とも言ってくれた。
 いつもならば、大学を出るとすぐにバイクタクシーを拾って、ドソウさんのお父さんの生家へ向かう。お昼ご飯をご馳走になるためだ。ドソウさんは、ここ Bohicon の出身なのだ。しかし、今日は気が乗らないのだろう。バイクタクシーを拾わず、街まで出来る限り歩くことにした。本当は、火傷をしている足では歩きたくなかったが、確かに運動不足であったし、ドソウさんがリフレッシュのために歩きたいのだろうな、と思って、歩くことに賛成した。
 ふと、いい考えが思いついた。ドソウさんは、私が3月末に日本に戻ろうとしていることを知っている。だから、
 
     "Can I go shopping here? I have to buy some cloth for my friends and family."
 
と言った。Bohicon は、街にさえ出れば都会である。市場もあると聞いていたので、今度のお土産は Bohicon で調達しようと思ったのだ。ドソウさんの気晴らしにもなるだろう。ドソウさんは、
 
     "Great!"
 
と言って、この案に賛同してくれた。お昼を食べるにはまだ早いし、ちょうど良かった、と言って。バイクタクシーがつかまりやすいところまで歩いて、バイクタクシーに跨って市場へ向かった。
 コトヌーにある市場と同じように、色々な食べ物や洋服、アクセサリーがズラーっと並んでいる。とても1日では見終わらない。今日はとりあえず、布を買いたい。本当はトイレットペーパーとマスクが一番良いお土産ではあるが、かさ張るし、今日じゃなくて良いだろう。ここはドソウさんの生まれ故郷だし、この市場のこともよく知っているので、どの布屋さんに寄るかはドソウさんに任せることにした。
 最初のお店では満足のいくものが無かったので、別のお店に寄った。そこで気に入ったものが見つかったので、買おうとしたのだが、何とここでもドソウさんが支払ってくれた。もちろん、今日の交通費もドソウさんが全て払っている。その上、私の個人的なお土産代までも払うと言ってくれた。遠出をするので、Bohicon に来るときはちゃんとお金を持ってきているが、ドソウさんは頑として出させてくれなかった。結局、布を4枚買ったのだが、ドソウさんが全て払ってくれた。しかし、それはさすがに私も申し訳なさすぎるので、代わりにドソウさんが気に入った布を買ってあげることにした。ドソウさんは、私からのプレゼントを喜んで受け取ってくれた。
 帰りに、いつも朝ご飯を食べるカフェに向かった。ここで昼食を取るつもりなのかな、と思ったら、ドソウさんはそのカフェの裏の方に向かった。このカフェの裏はホテルになっているようで、そのホテルのレストランで昼食を取るようだ。昼食は、ベナンでよくある、魚とご飯がセットになったものだ。フライドポテトもついている。失敗したな、と思ったのが、ベナンでは普通に注文すると明らかに1、5人分の量が出て来る。大食いの私にも食べ切れないほどだ。だから、少なめにしてもらうよう頼まなければならないのに、それを失念していた。あまり食べ物を残すことが好きではない私ではあるが、残すはめになってしまった。食べ切れなかったポテトフライたちに申し訳なく思いながら、レストランを後にした。
 いつものように、2時間ほどかけて私が住む街、カラビまで戻ってきた。そして、ドソウさんは、火傷をしている私のためにタクシーの運転手に私の家まで送るよう頼んでくれた。幸い、他の乗客も1人しかいなかった。その人は、回り道することに不快そうな顔することもなかった。運転手とドソウさんとその人に丁重に礼を言って、家に入った。
 買ってきたお土産の布をスーツケースに入れて、少し早いがシャワーを浴びることにした。今日はたくさん歩いたが、もう火傷の痛みもそこまで感じない。昨夜夜更かしをしてしまったし、たくさん歩いて疲れたし、今日は早く寝ることにしよう。

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買った布その1。

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買った布その2。

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買った布その3。

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買った布その4。

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食べ切れなかった今日のお昼ご飯。