ベナン人っぽいことと CV 騒動とドソウさんの誘惑

 3月7日(土)、今日もドソウさんと遠出をして、大学に行く。先週と同様、朝5時に起きて、6時に待ち合わせ場所に向かった。先週も歩いた道ではあるが、用心せねばならない。毎週土曜日のこの時間に歩いていると知られると、ひったくりなどにあうかもしれないので、足元は悪いが前方後方、左右を見ながら歩き続けた。

 私は予定通り6時に着いたのだが、ドソウさんは30分遅れるとのことだ。待ち合わせ場所に着けば、車や人の行き来があるので1人で待つことに不安はない。朝からランニングやらウォーキングをしている人に「ニーハオ」と挨拶をされて待つこと約30分、ドソウさんがやって来た。
 今日は、私が乗り合いタクシーをつかまえてみたいと申し出た。ベナン人っぽいことをやってみたかったのだ。日本では、タクシーをつかまえるには片手を上げて合図をするが、ベナンでは大きく異なる。どういう風にするかというと、まず片方の手をお腹と同じくらいの位置に上げる。そして手のひらを下にして、ひらひらさせる。英語の "So so."(『まあまあです。』)のジェスチャーのようにだ。やってみて思ったが、この動き、身長の低い私には不利である。手の位置が低いため、ドライバーには明らかに見えていない。道路側に少々身を乗り出すから危険でもある。しかも、やっている途中に気がついたが、私はどの車が乗り合いタクシーであるか、区別が出来ていなかった。乗り合いタクシーといっても、いたって普通の乗用車だ。何か目印があるわけでもない。私は一体どの車に向かってやっていたのだろう。ドソウさんに聞こうにも、今更すぎる気がして聞けぬまま、私はとりあえずこの動きを続けていた。
 すると、一台の車が止まった。ドソウさんは、
 
    "Good job, Maki!"
 
と言って、肩を叩いてくれた。泊まった車は、いかにも乗り合いタクシーらしく、すでに満席であった。また乗車率100%を超えて乗るのか。すると、ドソウさんはドライバーと何やら話し始めた。この国の人々はとにかく話すのが好きだ。
 しばらくすると、すでに乗っていた青年とご婦人が降りた。2人降りたので、私とドソウさんの2人が乗るスペースが出来た。一体どんな話をつけたのか。この国では、全ては交渉で決まると言っても過言ではない。ドソウさんがどのような交渉をしたのかに興味を持ったので、聞いてみることにした。
 
     "I'd like to know how taxies work. I mean its system. Why did they have to get out of the car?"
 
すると、ドソウさんは笑って、
 
     "You are interested in everything!"
 
と言った。確かに、ドソウさんにはよく質問をしている。車窓から見える気になった建物や人が持っているもの、売っているものはすぐに聞く。興味があるとまでいかないが、単純に知りたいだけだ。
 ドソウさんは、この質問にも答えてくれた。
 
     "It's like business. There were already 3 people in the back. If we got on the car, we would be packed and there would be no security. It would be so dangerous." 
 
ほう。それは分かる。ベナンにも一応法律というものはあるので、後部座席に3人以上座ることは禁じられている。ところが、ここでは法律とはあってないようなものなので、多くの場合、乗り合いタクシーの運転手は法律を無視する。その結果、後部座席はもはや膝の上に乗り合っていたり身動きが取れないほど隙間という隙間に人が入ってくる。
 助手席なら、と思うかもしれないが、甘い。助手席に2人乗っているのはもはや当たり前だ。それも、大の大人が膝を重ねて座っているし、もはやサイドブレーキ股間から見えるような座り方をしているときもある。だからとても危ないのだ。
 つまるところ、ドソウさんは、金で解決したのだ。乗り合いタクシーの賃金も、通常の価格を払えない人がいる。一方、我々のようにきちんと払える人もいる。恐らくドソウさんは、安全面を確保するために、金を上乗せして払い、通常の価格を支払っていない乗客を降ろすようドライバーに命じたのだ。ドライバーも、人数が減ったとしても本来より多くお金が入るので文句は言わなかった。降ろされた2人が気の毒で、彼らはこの先どうするのかが気になったので、ドソウさんに聞いてみたところ、また別の乗り合いタクシーがすぐに見つかるので心配ない、とのことだ。
 ついでに、さっき突如湧いた疑問についても聞いてみた。乗り合いタクシーと普通の車の違いだ。ここでもドソウさんは笑っていた。すると、
 
    "First of all, taxies are always full of people."
 
…それだけであった。first of all というから、まだ続くと思っていたら、この1点だけであった。先を促したのものの、それ以上は無いようだ。それだけでは分からないような気がするが。『あ、そう…。』と何だか腑に落ちない顔をしていたら、
 
     "But you can take a normal family car. It will be another business for the driver!"
 
だそうだ。つまり、とりあえず手当たり次第に車をつかまえ、それが乗り合いタクシーでなかったとしても、交渉次第では普通の車も乗せてくれることがあるということらしい。いわゆる、ヒッチハイクというやつだ。安全面が懸念だな、と思ったが、乗り合いタクシーも大して安全は確保されていない、と気がついた。
 道中、ドソウさんはバッグやらポケットからお金を出し始めた。目的地まではまだ着かないので、お金は必要ではないのに、どうしたのか。しかも、そのお金を私に渡し始めた。
 
     "I forgot to give this money to you."
 
と言った。どういうことだ。なぜ私がお金をもらうのだ。理由を尋ねると、
 
     "Because you helped me last week! This is your salary!"
 
と言った。先週、一緒に授業をしたことの対価だというのだ。一緒に授業をしたと言っても、私はただアシスタントをしただけだし、実質的には彼が授業を行った。対価をもらえるほど働いていない。お金を稼がなければならないことは事実だけど、給料欲しさについて行ったのではない、ということを説明して固辞したつもりであったが、
 
    "If you don't take this money, I'll be angry. You worked. That's the truth."
 
とまで言われた。しかも、大金であったからより一層もらうことには抵抗があったのだが、最終的に、
 
     "OK, then I'll work harder than now."
 
と言って、受け取ることにした。彼は少々早口なので、私の心のノートには記憶しきれていないのだが、他にも『ここはベナンなんだから。』や『日本に行ったときは君がおもてなしをしてくれ。』というようなことも言っていた気がする。彼が今日遅れた理由は、銀行でお金を下ろしていたからだったようだ。
 先週と同じように、2時間ほどかけて Bohicon に到着し、大学に向かった。先週、ドソウさんは私に、
 
     "How many students do you think there are?" 
 
と尋ねた。私は、授業に出ることになっている学生がいるのでは、と答えたが、そうではなかった。ベナンでは授業を取っておきながら授業に出なかったり、それを教員側が容認して簡単に修士課程修了証書も出してしまうということを教えてくれた。果たして、今日は何人に減ったのか。
 建物の前に、学生たちが待っていた。たった5人であった。
 
     "Why are you waiting here?"
 
とドソウさんが尋ねると、建物が空いていないそうだ。やばい、ドソウさんがまた怒り始めた。ドソウさんは、こういうことに厳しい。毎週土曜日に授業を開講すると連絡しているのだから、開始前に建物を開けておくことが門番の責任である、と言ってなぜか学生たちを怒り始めた。結局20分ほど待って門番がやって来て開けてくれた。
 さらに、教室に入って、学生たちに CV を出すように言ったが、皆キョトンとしていた。この授業では、基本的にドソウさんは英語で彼らに話しかける。ゆっくり言っても誰も CV を出そうとせず、私に助けを求める目を向けて来た。一体私に何が出来るというのか。フランス語で通訳してもらえると思ったのか。自慢ではないが、フランス語は一ミリも話せないぞ、という目で見返した。
 ドソウさんは、大きくため息をつき、
 
     "Maki, did I tell them they had to submit their CV last week, right?"
 
と私に尋ねた。確かに聞いた。学生たちには悪いが、嘘をつくことは出来ないので、
 
     "Yes, sir."
 
と答えた。先週、彼は確かに学生たちに、自分の CV を書き、印刷した状態で持ってくることを宿題として課していた。ちなみにタイトルにある「CV 騒動」の CV(Curriculum vitae「履歴書」)のことだ。「DV 騒動」ではない。
 学生たちに英語が通じていなかったのか、はたまた宿題が出されていたことは分かっていたもののサボったのか、それは分からないが、とりあえず今日、誰一人として出すことが出来ないようだ。ドソウさんは、
 
     "I'll call the head master."
 
と言って、電話を取り、外へ出た。学生たちは慌てて、
 
 
     "Nononono, please, I'm so sorry."
 
と言って追いかけた。ドソウさんはだいぶご立腹だ。
 
     "I'll call him. I'm supposed to teach in master course but this is not master course! Nobody can submit the assignment!"
 
とまくし立てていた。ドソウさんの言い分はごもっともだ。修士課程なのに学生たちは真面目に出席しておらず、課題にも取り組んでいないのだから、校長先生に文句の1つも言いたくなるだろう。だが、学生たちはそれをされると、登録そのものが抹消される可能性もあるので、電話をされることを嫌がった。「電話してやる」と「お願いです、しないでください」の攻防がしばらく廊下で続いていたが、私は淡々と教室で今このブログを書いている。
 結局数十分やりとりが続いた後、学生たちはしょぼんとして戻って来た。どうやらドソウさんは本当に電話をしたようだ。登録の抹消は免れたようだが。
 戻ったドソウさんは、
 
     "No CV, no class."
 
と言って、下の階から貸し出し用のパソコンを借りて、今すぐに CV を作れと命じた。その間、ドソウさんは、
 
     "To heal me."
 
と言って、爆音で音楽をかけ始めた。ドソウさんもパソコンを持ち歩いているので、私と共に仕事をしながら、学生たちが作り上げるのを待った。この大学内で印刷出来る場所もあるそうなので、2時間以上かかって、ようやく紙の状態で出来上がったものを持って来た。
 修士課程を取る学生たちは、より良い就職先にアプライすることを目的としているため、CV を英語で書くことが出来るようになるということが最初の目標のようだ。ドソウさんは、この CV が自分たちのアピールになるので、体裁よく、魅力的になるように書き方を1人1人指導し始めていた。
 修士課程を取ろうとしている学生たちには、確かに真面目に勉強してもらいたい。というのも、私も修士を取ったのだが、まさしく地獄のような日々であった。しかも、私は修士課程中に教員免許も取ったので、未だにあの日々を超える忙しさはない。私はあんな思いをして修士課程を終えたのだ。ちょっとやそっとの努力で簡単に取られちゃ、私が浮かばれないではないか。幸い、私は同期には恵まれて励まし合う仲間がいたが、彼女たちがいなかったらもしかしたらドロップアウトをしていたかもしれない。それほど辛かった。院生室と自宅の区別がつかないほどであった。パソコンの操作も不慣れそうなこの学生たちには悪いが、一生懸命勉強してくれ。それしか私には言えることは無い。
 CV のブラッシュアップの後に、ドソウさんは
 
     "You will have your presentation next week. You have to talk about your research."
 
と言った。学生たちは皆、大学は卒業しており、全員理系であるので何かしらのリサーチ経験がある。リサーチクエスチョンや先行研究、研究メソッド、研究結果などをプレゼンせよ、とのことだ。おお、懐かしい。私もヒーヒー言いながらもリサーチをした。私は文系なので、理系の彼らとは専門分野が異なるが、久しぶりに自分もプレゼンをしてみたくなった。
 
     "Can I have chance to do that?"
 
と聞いてみると、朝から機嫌の悪かったドソウさんは久しぶりに笑顔を見せた。
 
     "You want? Sure. Now you'll be the first. After Maki's presentation, it'll be your turn."
 
と言った。私がトップバッターになってお手本になれ、というのか。そんなつもりではなかったのだが、別に順番はどうでも良い。私は自分のプレゼンが出来ればそれで良い。
 プレゼンをするということは、準備が必要だし、そもそも自分のリサーチであっても若干忘れかけてきているので、思い出す作業も必要だ。久しぶりに修論も見返さなくてはならない。この前の引越しの際に、久しぶりに見返したところ、1ページ目からスペルミスがあったことに気づき、パタリと閉じたあの修論を。
 帰り道、車の中でドソウさんに尋ねられた。
 
    "Why don't you have the Ph.D.? You like studying!"
 
と。Ph.D. とは、博士のことだ。私は、博士課程までは取っていない。修士を取ったのは、教育系に進むなら修士がある方が有利だし、何より教育学のことを勉強することが好きだったからだ。私は学歴はアクセサリーみたいなものだと思っているので、見栄えが良くなるならばつけるという感覚で修士課程に進んだ。でも、実際教育の世界にいると、確かに修士だけでなく博士を持っている方が選択肢は広がるし、より専門的な分野を学ぶことが出来るのも分かる。だが、あの地獄の日々を、博士なら3年続けるということが、どうしても私を前向きに考えさせてくれない。
 ドソウさんは、そんなに勉強が好きならば博士を取ればいい、と勧めてくれた。しかも、彼は博士課程でも教えているので、私の指導教官にもなってくれるとのことだ。ベナンで博士課程だなんて、何とも素敵ではないか。今教えている子どもたちを研究対象にしたいし、教えながらリサーチが出来るというのも魅力的だ。
 ドソウさんは、何て誘惑をするのだ。あんな睡眠不足の日々はもう2度とごめんだと思っていたが、博士課程という言葉が私の頭の中をチラチラと動き回り始めた。

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機嫌の悪いドソウ氏。