隣人は大きな声で歌う
3月20日(金)、日本に到着した。
3月のこの時期は、 大抵学生たちの卒業旅行でどこの空港も混みあうはずだ。 ところが、 新型コロナウイルスの影響で、本当にここは空港だろうか、 というくらいに人がいなかった。それでも多少、 卒業旅行と思しきグループもいたが、 ほとんどは私のように単身者であった。
チャンギ空港に着くと、まずはマスクを手に入れようと試みた。 インフォメーションセンターでマスクを買いたいのだがどこで買え ばいいか、と尋ねると、実に丁寧に薬局の場所を教えてくれた。 ベナンからのお土産が皆無であるため、 せめてシンガポールで何かを買って帰ろうと思ったのだ。 今一番喜ばれるのは、マスクであろう。だから、 家族4人分のマスクを買って帰ろうと思ったのだ。
薬局に着いて、マスクを探していると、店員さんから、
"May I help you?"
と声をかけて来た。マスクを買いたい、と言うと、 布マスクならば置いてあると言った。それで十分だ。しかも、 しっかりとした布地で洗濯も出来るので、エコで良いではないか。 4枚ゲットした。さて、残り9時間をどのように過ごそうか。 空港は空いているから、座るところには困らない。 せっかく世界一と言われる空港にいるのに、 お金がない私は優雅にショッピングをすることも出来ない。いつもの 母や姉ならば、免税店であれを買って来い、 これが欲しいと言いそうだが、 私の経済状況を分かっているからか、珍しく何も言わなかった。 すまないが、マスク4枚が精一杯であった。
時差ボケも激しい。数時間おきに眠気が襲ってくる。図太い私は、 それでもしっかりと寝たのだが、やはり体勢がきついのか、 体が痛い。珍しく腹も減らない。色々なところをウロウロとして、 カフェに入ってお茶を飲んだりして過ごした。 今回は緊急脱出であったから仕方ないが、 やはりシンガポール経由ではなく、韓国経由がいい。 シンガポールを経由すると待ち時間が長いのだ。
ようやく搭乗時間になった。 成田に向かう便には日本人が多くいるので、何となく安心する。 機内に入り始めると、どこからか歌が聞こえた。CD がかかっているのではない。誰かが歌っているのだ。 自分の座席に向かっていると、明らかにその歌は近くなった。 何と、気がついたら自分の真後ろでその人物は歌っていた。 しかも大声で。ガンつけられるのも嫌なので、 わざわざ後ろを振り返って見てはいないが、 何となく連れはいないようだ。 1人でこんなでかい声で歌っているのだ。 ベナンからエチオピアに向かう機内にもうるさい客がいたが、 また私はこのうるさい客の近くになるのだろうか。
自分の座席についた。やれやれ、 真後ろの歌手はそのまま通り過ぎて別の列に座るだろう。 通路側の自分の席に座って、シートベルトをつけようとすると、
『あの、すみません、僕の席あそこ(奥)なのですが…。』
と言われた。何と、後ろで大声で歌っていた人物は、私を通り過ぎることなくこう言った。そして、英語で歌っていたので、多分外国人だろうとは思っていたが、 見た目が外国人で日本語で話し、 さらにまさか同じ列に座るとも思わず、私の頭は大いに混乱した。 彼はやや片言ではあるが、日本語でこう言ったにもかかわらず、 混乱した私は、
"Oh OK. "
と言ってしまった。しばし、見つめ合う2人。とっさのことで、自分が今どっちの言語で返したかが分からなかった。席を立ち、一旦通路側に出て、彼を中に入れて、再び自分の席に着くと、なぜか笑いが込み上げてきた。
『私今、英語で返しました?』
と聞くと、彼も笑って、
『そうですね、日本人かと思って僕は日本語使ったんですけど、英語の方が良かったのかな、と思って。』
と言われた。いや、違います、ただ単にとっさに判断が出来なかっただけです、と言った。
『日本人ですか?』
と聞かれたので、そうです、と答えた。私も、
『えっと、日本の方ですか?』
と聞くと、彼はちょっと迷いながら返答した。そして、そこからなぜか英語になった。要約すると、長く家族で日本に暮らしているので、いわゆるバイリンガルということだろう。私は器用ではない。言語の切り替えがとても苦手な私は、彼が英語を話し始めて5秒後くらいにようやくそれが英語であることに気づいた。彼はとても陽気であった。離陸するまでに、お互いの身の上話を英語と日本語で話し合った。一番気になっていた質問である、
"Are you a singer?"
に対しては、笑いながら否定した。職業は、写真家だそうだ。あちこち色々なところを旅しながら、写真を撮っているのだという。アフリカには行ったことがない、と言うので、ベナンを推しておいた。私がスマホで撮った写真を見せると、とても興味を持ってくれた。
そのときすでに夜であったので、離陸をするとすぐに電気が消えた。おしゃべりはここまでにして、寝る体勢になった私は、空席である真ん中の席に足を乗せて横になろうとした。そのときチラリと彼を見ると、何とこの数秒の間ですでに寝ていた。いびきもかいていた。羨ましいな、私もこんな風に豪快に歌い、豪快に話し、豪快に寝てみたい、と思った。今日のブログのタイトルは、某映画のタイトルを真似ることにしよう。
少し寝ていると、電気がついた。食事の時間のようだ。シンガポール航空は、さすが世界一と言われるだけある。サービスの質が違う。 比べて悪いが、エチオピア航空のスタッフは、 笑顔で接客することはあまりない。毛布やイヤホンは、 手渡すというより投げ渡すに近いし、 水を頼んでも持って来てくれた試しがない。私もだが、 慣れている人は何か飲み物が飲みたいときは、 座ってくっちゃべっている客室乗務員のところに自ら赴き、 その場で飲み物を頼む。そうでないと出してくれない。 通路側に座っていて、肘掛に肘をついていると、 後ろから猛スピードでツカツカと歩いてくる客室乗務員がぶつかっ てくる。まるで肘掛に肘をついている方が悪い、 と言わんばかりに。
ところがここシンガポール航空では、客室乗務員が笑顔を振りまきながら食事を提供している。歯磨き用の水と飲む用の水で分けたいので、2杯ついでくれないかと頼むと、とびっきりの笑顔で、"Sure." と言われた。あのエチオピア航空の無愛想な感じも好きだが、シンガポール航空の居心地も実に良い。
隣人は、まだ寝ているようだ。客室乗務員も一言声はかけたが、目覚めなかったので、そっとしておいてあげた。美味しい食事をいただきながら、またもや私は面白い人と友達になったなあと思った。私は旅先で大抵友達を作って帰る。大人になって出来た友達は、旅先で出会った人が多い。長野、小笠原、ベナン…とてもユニークな友達が多いが、今回の友達は、その中でもさらにぶっ飛んでいるような気がする。
ちょうど食べ終わる頃に、隣人は起きた。食事の時間がちょうど終わった頃だよ、と言うと、少しガッカリしていた。たまたま客室乗務員が通りかかったので、彼の食事を持ってきてあげてください、と頼んであげた。客室乗務員は、またもや眩しい笑顔で、"Sure." と言って、早速取りに行ってくれた。
食事を受け取る際、小さなトレーに何かを乗せて、彼に手渡した。彼は感激した顔で、感謝の言葉と共にそれを受け取った。それは、ただのフォークやスプーンが入っている小袋であった。何がそんなに嬉しいのだろう、と思っていると、それを受け取って、トレーに乗っているものの正体を知った彼は、爆笑し始めた。なぜ笑っているのか、と聞くと、ヒーヒー言いながら、
『おしぼりかと思ったんです…』
と言った。熱いおしぼりで顔を拭きたかったのだそうだ。日本人だな、と思った。食事をしながら、また身の上話をし合った。彼もまた、旅先でコロナの情勢が悪化したため、一旦日本に帰ることにしたのだそうだ。年齢は私より少しだけ上のようだが、実に色々な国を旅している。日本語と英語の他にも、何語だか忘れたがとりあえずマルチリンガルのようだ。出会ったばかりの私が聞いていい質問かは分からないが、アイデンティティについて聞いてみた。自分のことは何人(なにじん)だと思っているのか、と。彼は、自分がどこの国の人であるかはあまり深く考えたことはないそうで、言うなれば、「なにじんでも良い」のだそうだ。面白い、と思った。私は日本生まれの日本育ちで、日本人としてのアイデンティティがある。でも、確かにそんなものなくても、自分は自分、ということなのだろうか。
食事が終わると、2人とも再び寝始めた。朝になれば、日本に着いている。いよいよ、私の故郷だ。いつもは1日で着くのに、シンガポールを経由すると2日かかる。長かった。緊急避難というか脱出というか、とにかく慌てて出てきたから、身体的にも精神的にもしっかり疲れた。
真ん中の席に足を乗せて、横になって眠っていたからか、思ったよりよく眠れた。朝ご飯の提供が始まった。座っているだけなのにしっかりと腹が減るのが不思議だ。モリモリと食べて、排泄もし、着陸に備えた。隣人は、朝ご飯は抜くようだ。まだ寝ている。
日本に着いたら何をしようか、と考えたところで、そういえば自分は2週間自宅待機を命じられている身分であることに気がついた。感染している可能性もあるのだから、それは仕方ない。しかし、2週間どこにも出かけられないというのは、私にとっては拷問である。人と会いたいし、散歩もしたい。まあ、これだけ今日本では感染者が日々増えていて、特に海外からの帰国者への目も厳しいのだから、「アフリカ帰りの30代女性、感染か」なんてニュースになったら私が困る。大人しく断捨離でもして、イッテQも見まくって、家での時間を大切に過ごすことにしよう。
いよいよ、着陸態勢に入った。眼下には、日本の景色も見えてきた。たった1ヶ月ちょっとしか離れていなかったのに、もう日本が恋しい。この空の下では、未知なるウイルスが人々を襲っているのだ。隣人も起きていた。ふと、気になった。この隣人は、シンガポールで機内に乗り込むときにマスクをしていなかった。
『マスクはありますか?』
と聞いてみたところ、残念ながらどこにも売っていなくて買えなかったそうだ。それならば、と思って、予備のために持っていた紙マスクをあげることにした。私はシンガポール空港で布マスクを買っているし、家族の分もあるから1つあげたところで問題ない。すると彼は、こう言った。
『あなた、壁がない。』
「カベ」が漢字変換出来ず、何のことか分からなくて、どういう意味かを聞き直したら、
『さっきも僕の食事を僕の代わりに頼んでくれた。今も、マスクくれた。なにじんかどうか、あなたも考えていないんじゃないの?』
と。ほう、また興味深いことを言っている。そうかもしれない。自分のことは日本人であると思っているし、それは揺るがない。でも、他人が「なにじん」かなんて、確かにどうでも良かった。クラリスがベナン人だとかアフリカ人だとか、最近は忘れているくらいだ。結局のところ、異文化理解だとか国際理解だとか、流行りの言葉はいっぱいあるけれど、理解なんてしなくても、ただただ人として接することで十分なんじゃないのか。というか、同じ「人間」であるということが分かることが、最も尊いことなのではないだろうか。
彼とは連絡先を交換したので、今後も友達として付き合いが続いていくだろう。待ち焦がれていた日本に到着する直前のこの出来事に、疲れていた心にも体にも、ほんわかと暖かさが滲んだ。