スーツケースに入っていたとんでもないお土産の正体とムーミンとの出会いと自宅待機開始

 3月21日(土)、時差ボケの影響があるのか、早起きをした。お腹が減っている。まだまだ眠り足りない気もする。もう少し寝ようか、もう起きてしまおうか。

 昨日ー。私は、またもや季節外れの服装で成田に降り立った。海外からの帰国者に対して、政府から、空港からは自家用車で家に帰るようにというお達しがあったが、私のように空港からまあまあ遠くに住んでいて、家族で運転をするのが父だけで、そしてその父も車を手離し、もう何年も運転をしていないという人はどうすれば良いのか。結局、どうしようもないのでマスクをした上でバスで東京まで向かうことにした。
 成田で何かしらの検査を受けるのかと思いきや、何と何もされなかった。体温も計られず、スイスイと進んだ。無事に家に着いておいてこんなことを言うのも何ではあるが、これでは感染者の続出を食い止められないだろう。
 家に着くと、父と母が出迎えてくれた。いつもより長旅であったことは労ってくれたものの、「出戻り娘」と揶揄された。前回の帰国時に、1人暮らしをしていた家を手離したので、私の帰る家はここしかないのだ。親への借金もある私は、しばらく肩身の狭い思いをしながら生きていくことになる。
 布団の中でまどろみながら、ベナンからの緊急脱出劇を振り返っていた。飛行機の中で新しく出来た友達のこともだ。それから家に着いて、荷物を整理して…。というところまで振り返ったところで、布団の中で身震いをした。そして思い出した。私はベナンから、とんでもないお客さんを連れて帰ってしまったということを。
 家に着いて、どでかい2つのスーツケースを開けて、中に入っているものを次々と取り出していった。洗濯物は洗濯機に入れて、すぐに使うものは自分の部屋に入れて、父と母に長旅で起こったことを話しているときであった。話しながら何も考えずに、手を伸ばしてスーツケースの中身を取り出そうとしたとき、本能的に手が止まった。一瞬のうちに、手を引っ込めて、私は絶叫した。自分が取り出そうと思ったもののすぐ横に、ゴキ◯リがいた。もちろん、死んでいた。
 我が家で奴を退治出来るのは、父と母だ。母は、仕事から帰った姉の夕食の準備をしている。とすると、当然父に頼る。目の悪い父は、ただでさえスーツケースの黒い布地に転がっている奴の存在に気づかず、『おい、どこにいるんだ?』を繰り返していたが、私はかなり離れたところから、ただひたすら『そこにいるじゃん!!』と言っていた。父はやはり目視出来ないようで、スーツケースにかなり顔を近づけていた。我が父を本当に尊敬する。死んでいるとはいえ、奴とこんなに近づくことは出来ない。ようやく見つけた父は、クルッとトイレットペーパーにくるみ、ポイっとトイレに放り込んだ。
 恐らく、パッキングの際、スーツケースを開きっぱなしにして、リビングと寝室を往復していたからだろう。その間に忍び込んだのだ。全く気づかなかった。事の成り行きを遠目で見ていた母と姉の会話が聞こえた。『ゴ◯ブリもかわいそうにね。隠れられると思って忍び込んだら、密閉された上に高度何万なんていう空に連れて行かれて。』『ほんとよね。お土産はそれかいって感じよね。』と言っていた。
 ただでさえスーツケースなんて、奴からしたら自力で開けられないのに、鍵までかけられて、気圧も気温も、とにかくどんな生命体でも生き延びられるものではない。出発の日の朝、クラリス家に私を訪ねる招かれざる客が来たが、何と実家にも招かれざる客がやって来るとは。いや、「やって来る」ではなく「連れて来る」が正しいか。新型コロナウイルスのせいで、ただでさえアルコールやらウェットティッシュやらが品薄だというのに、その数少ないウェットティッシュでスーツケースを拭く羽目になった。
 そうだ、昨日そんな出来事があったのだ。思い出していると、目がより一層覚めてしまった。起きることにしよう。ただし、そんな早く起きたところで自分は自宅待機を命じられているのだ。行く場所もない。何をして過ごそうか。
 新聞を読んでみると、コロナの影響は日に日に大きくなっていることが分かる。ベナンから避難して来たのに、日本の方が危機的状況ではないか。しかも、海外から戻って来た人への目が厳しくなっている。昨日も、大きなスーツケースを転がしていると、訝しげな目で見られてしまった。ベナンをすでに離れていることは、Facebook で告知してしまった。失敗だったかもしれない。自分はすでに感染しているかもしれないのだ。「アフリカ帰りの30代女性、感染」なんてニュースになったら、私を知る人に確実にバレてしまうではないか。2週間の自宅待機期間が過ぎて、感染していないことが分かってからシレッと帰って来たことを言うべきであったかもしれない。
 さて、何をしようか。「外に出なくてもいい日」はあっても、「外に出てはいけない日」なんて、あんまり経験したことが無かった。小学生のときのおたふく風邪やインフルエンザのときくらいか。
 そういえば、私がムーミンを好きになった理由はおたふく風邪である。小学校1年生くらいのときであったか。出席停止のため、家で大人しくしていなければならず、学校に行きたくて家にいるのがストレスに感じ始めたときに、母がムーミンのビデオを見せてくれたのだ。それは、母が「いつかこの子ムーミン好きになりそう」という何の根拠もなく撮り貯めてきた録画であった。それまでも何度かリアルタイムで見ていた気もするが、幼稚園に行く時間とかぶっていてじっくり見たことは無かった。だから、実質的にはおたふく風邪で家にいるときに初めてフルで見たのだ。それから、すっかりムーミンの虜になったのだ。絵やキャラクターがかわいいのはもちろんで、子どものときはただそのかわいさ故に好きであった。
 しかし、大人になって見てみると、ムーミンには深みがある。アニメと思って侮ってはいけない。結構、考えさせられる。名言も多く登場する。冒険心もくすぐられるし、何より夢がある。こんな平和なムーミン谷に住みたいな、と思う。
 以来、友達からも親からも、誕生日プレゼントもクリスマスプレゼントも、何かお祝い事でプレゼントをもらうときは、必ずと言っていいほどムーミンであった。そして、恐らく誰もが「かぶらないように」と考えてくれたからか、奇跡的にそれほどムーミングッズをもらっても、同じものをもらうことが無かった。
 おたふく風邪で家にいなければならないときに、ムーミンに出会った。自宅待機期間も悪くないかもしれないな。家にいるからこそ出会う何かがあるかもしれない。いや、フランス語を勉強しろよ、という声も聞こえてきそうだが、都合の悪いことは流すように育てられたので仕方ない。資格や免許を取るのもいいかもしれない。色々調べてみよう。この自宅待機期間が終わる頃には、インドア派になっていたらどうしようという恐ろしさもあったが、それはそうなったときに考えることにしよう。