クラリスとのミーティングと再び学校へ

 11月3日(火)、帰国から1週間経った。時差ボケもあり、何の生産性もない生活を送っていた。今日は、早朝からクラリスとビデオ電話でミーティングをする。時差が8時間あるため、またクラリスは働き者なので、クラリスの生活に合わせたところ、日本時間の朝5時に始めることになったのだ。ベナンでは、前日の夜9時である。

 1週間しか離れていないのに、何だかもう懐かしい。私は、クラリスの声が好きで、この声を聞くと妙に落ち着く。声フェチなのかもしれない。
 今日の議題は、今後の我々の活動についてである。CHILDREN EDUC を存続させるために、何から始めていこうか。
 まずは、資金源をどうするかである。自分たちでお金を生み出すために、私たちに一体何が出来るか。まあ、言わずもがな、地道に働いてお金を貯めるしかない。
 当面の活動はどうしようか、という話になったときに、クラリスがクリスマスに子どもたちのサンタになるのはどうかと言った。私たちがクラウドファンディングプロジェクトで支援した Cove という村で、だ。何と素晴らしい。それは良い考えである。ついでに、その子どもたちがちゃんと学校に通っているかを確認してくるという。クラリスは、本当にしっかりしている。外国人同士でありながら、こういう「しっかり」の感覚が合っているのは奇跡的だと思う。果たしてクラリスも私が「しっかり」していると思っているかは謎であるが。
 そして、今はただ我々が勝手に CHILDREN EDUC を名乗っているだけだが、きちんと NGO 化することも大事な目標である。クラリス曰く、先日のプロジェクトでは、ベナン国内からもたくさん支援の声がかかったのだが、やはり組織化していないことで残念ながら支援に結びつかなかったことがあったそうだ。確かに、信用を得るためには組織化することが必須である。
 帰国してまだ1週間だというのに、次々とやることが決まっていく。せわしないと思う反面、やはりこういう生活は好きだなと思う。忙しくしている方が色々とアイディアも浮かぶし、充実している。ありがたいことに、来週からはまた学校に勤めることが決まっている。4月から1学期だけ勤めた学校だ。事情があり、また先生が足りなくなってしまうのだそうだ。私がベナンにいる間にその旨を聞き、ちょうど私が帰る予定と先生が必要になるタイミングが合っていたため、即決であった。教員免許を持っていて良かったと心から思う。食いっぱぐれる心配がなく、間髪入れずに勤めることが出来る。コロナ禍においても、だ。
 帰国した際に、成田での PCR 検査対象とはならなかったため、昨日また鼻をグリグリされてきた。一体、何度私はこの辱めを受けているのだろう。学校に勤めるにあたって、自らが安心するためにも受けた方がいいと思ったのだが、鼻グリグリは気持ちいいものではない。
 1学期だけとはいえ、以前勤めた学校に出戻るというのも、初めてのことだ。生徒は、私のことを覚えているのだろうか。1学期は、分散登校やら40分授業やらで、授業もそんなに進まなかったし、生徒との関わりも薄かった。今は、通常登校に戻っているそうだ。そうだった、日本の学校はクソ忙しいのだった。ベナンでゆるく生きていると、日本の分刻みの生活に戻すのが大変である。生徒が私のことを覚えているかどうかより、私が果たして日本の学校生活に適応出来るかどうかを心配した方が良さそうだ。

帰国と「西アフリカの」

 10月27日(火)、成田に無事に着いた。実に快適なフライトであった。ベナンからフランスまでの機内はそこそこ混んでいたが、フランスから日本までは、またガラガラであった。目ざとく4列空いているところを見つけ、早々と座席を移動した。帰りも4列を独占出来るなんて、素晴らしい。

 エールフランスなんて、普段高くて乗ることが出来ない。それが、今回は元々予定していたフライトがコロナのせいでキャンセルになって、こんなときに日本ーベナン間を運行している便がエールフランスしかなく、それが相当安く売られていたのだ。コロナ対策だからだろうか、食事は紙袋にとてもコンパクトにまとめられていた。その、たかだか紙袋までもがフランスらしく、おしゃれであった。
 無事に成田に着いたはいいが、心配な点が1つある。乗り継ぎのために、シャルル・ド・ゴール空港に8時間ほど滞在した。フランスの空港は、閑散としていた成田とは異なり、バカンスで楽しむ人に溢れていた。なるべく人と接触しないようにし、マスクも外さなかったが、それでも感染のリスクは大いにあった。
 ところが、フランスを経由地として使った人間は、なんと PCR 検査対象とはならないそうだ。成田に着いて、何人かのグループに分けられて、どこから乗ってきたか、これまでの滞在先を申告していくのだが、シャルル・ド・ゴール空港に8時間いたと自ら申し出たのに、検査対象とはならなかった。いつものクレーマーらしく、検査させろと粘れば、この後自費で検査をせずに済んだかもしれない。
 私の近くにいた人は、スイスを経由してきて、検査対象となっていたが、フランスを経由した私とは一体何が異なるのだろうか。そして、その申告の際に「あるある事件」が起こった。
 「ベナン」という国は、空港の職員にもあまり馴染みがない。空港カウンターで「ベナン」と何度も言っているのに「ペナン」と間違われることはもはや当たり前である。ちなみに「ペナン」は、マレーシアにある島である。ときにベトナムの「ダナン」と間違えられる。初めてベナンに行った際、お金はどうやって両替するのかを聞きたくて、ベナンの通貨である「セーファーフラン」に替えたいがどうしたら良いかと成田で聞いたら、続々と職員が代わる代わる出て来ては、分厚いファイルを引っ張り出し、色々調べてくれたが、誰も「セーファーフラン」の取得方法を知らなかった。ちなみに、円から「セーファーフラン」に直接替えることが出来ないため、一度ユーロかドルに替えるのだ。
 さらに、航空券を取るにも一苦労で、電話で取ろうものなら、「べ・ナ・ン」とはっきり発音しても伝わらない。「西アフリカの」と枕詞をつけると、電話の向こうでググっているのだろうか、キーボードをカチカチと鳴らす音がした後、『あ、ベナンですね。』と言われる。ちなみに今回の航空券は、E チケットにはちゃんと表記されているが、メールでは「ペナン行き」となっている。エールフランスに、荷物の件で問い合わせのメールをしたら、『ペナン行きの倉科様ですね。』と返信があった。まあ、ペナンに連れて行かれたら、それはそれとして楽しもうと思っているから、特に騒ぎ立てるつもりもない。
 という「ベナンあるある」が、今回も起こった。検査対象か、そうでないかを振り分けるために、到着した人は皆カウンターで出発地と経由地を申告する。毎度毎度、「ベナン」と言うだけでは伝わらないから、「西アフリカの」と枕詞をつけ、『出発地が西アフリカのベナンで、経由地がフランスです。』と言ったところ、職員は何やらパラパラと書類をめくり始めた。その、パラパラとめくっては、また最初に戻り、パラパラとめくり、を何度か繰り返しているうちに、職員は何やら焦った顔をして、
 
 『出発地、どこっておっしゃいましたっけ?』
 
と聞いた。
 
 『西アフリカのベナンです。』
 
と答えたところ、
 
 『すみません、ちょっと書いてもらえますか?』
 
と言われ、何と紙とペンを渡した。マスク越して、さらに透明のパーテーション越しでは聞こえづらいのか、それとも私の日本語はそんなにおかしいのだろうか。「ベナン」と紙に書いたら、
 
 『あっ、ベナンって国ですか?』
 
と聞かれた。だから、さっきからそう言ってるではないか。「西アフリカのベナン」、と言ったではないか。
 
 『え、あ、はい...』
 
と訝しんでいると、その職員は、
 
 『西アフリカ共和国のベナンっていう都市ではないってことですね?』
 
と聞いた。そんな国あるかい。「〜共和国」は、「南アフリカ共和国」だろう。「西アフリカの」と親切心で枕詞をつけたら、それが「西アフリカ(という国)のベナン(という都市)」と勘違いをされたのだ。次からは、一体何を枕詞にしようか。八村塁選手にもう少し有名になってもらうしかないか。
 一方、横のカウンターでも、すったもんだが起きていた。同じ便で日本に到着した人が、一見日本人に見えるが、日本語がたどたどしく、「簡単な日本語しか喋れない」と言っているにもかかわらず、職員は『出発地は?』『渡航目的は?』と大きな声で聞いていた。耳が遠いわけではないのだから、大きな声で言えばいいというものではない。何度言われたところで、その小難しい日本語では通じないだろう。
 英語を教える身として、自分の立場で考えてみた。英語初心者に、place of departure「出発地」と言っても伝わらない。それよりも、Where did you come from?「どこから来ましたか?」と聞く方が分かりやすい。同様に、purpose of your visit「渡航目的」と言っても伝わらないから、Why did you come to Japan?「なぜ日本に来たのですか?」と聞く方が分かりやすい。
 私の列では「西アフリカ共和国」問題が起き、隣のカウンターでは、そんな問題が起きていた。便は相当減っているとは言え、毎日こういうことが繰り返されているのだから、そりゃまあ、検査はなかなか進まないだろう。
 そして、検査対象外となった私は、荷物を取りに向かった。この時間に到着した便はエールフランスだけで、さらに私たちが申告をしている間に、すでに荷物はベルトコンベアから降ろされていて、ポツンと私のスーツケースが2つ置いてあった。
 スーツケースを確認して、空港を抜けようとすると、犬を連れた警察官が私をめがけてやって来た。麻薬探知犬か。人がいなさすぎて、私は訓練に使われたのだろうか、警察官は犬と共にご丁寧に私の周りを回った後、去って行った。アフリカの匂いがするのか、犬は興味深く嗅いでいった。残念ながら、今回はベナン産のとうもろこし粉を持って帰っていないため、お目当の白い粉はない。
 閑散とした成田は、何だか寂しい。というか、異様であった。成田空港に人が戻る日はいつなのだろうか。いつになったら、堂々とまたベナンに渡ることが出来るのだろうか。また、ベナンに戻れる日は来るのだろうか。
 家に帰ると、ステイホームをしている父と母が出迎えてくれた。相変わらず元気そうだった。今回の渡航は短期間ではあったが、やはり日本食が恋しくなる。母が買ってくれていた寿司が泣けるほどうまい。醤油は、世界遺産になっても良いと思う。インスタントの吸い物までもが、こんなにうまいものだったか。少ししたら今度はベナン料理が恋しくなるのだろうが、今は醤油だけで生きていける気がする。噛みしめるように食べた。

f:id:MakiBenin:20210325141909j:plain

寿司と吸い物。

お誕生日会とお別れ会

 10月25日(日)、今夜日本に向けてベナンを発つ。昨夜はクラリスの28回目の誕生日であった。クラリスは、土曜日も朝から晩まで働き詰めだった。昨日朝、クラリスにおめでとうとは言ったものの、そのままクラリスは仕事に向かい、帰ってきたのは夜遅くだ。クラリスのお誕生日会と私のお別れ会は、日曜日の今日同時開催をしようということになった。

 今回のベナン滞在は短かった。本来であればもっと長くいるつもりであったが、残念ながらコロナがそうさせてくれなかった。幸か不幸か、コロナ禍においても日本からベナンに渡る道は閉ざされなかった。予定していたプロジェクトを何としてでも実行したいと思う反面、リスクを背負うことの恐怖もあった。自分一人が感染するならまだしも、私が持ち込んだウイルスでクラリスを感染させたらどうしよう、重症化させたらどうしよう、そんな不安もあった。日本にいる家族のことも心配だった。両親は共にもう若くない。私がベナンにいる間に、もしものことがあったら...そんな事情もあり、プロジェクトを終えて、クラリスの誕生日を一緒に祝ってから日本に帰ると決めていたのだ
  そして今夜、私は出発する。日曜日なので、クラリスも仕事はないし、私は夜に発つからゆっくり出来る。午前中は、以前からクラリスがよく洗濯を頼むママさんに来てもらった。ママさんといってもまだ若い。シングルマザーで、かわいい男の子を育てている。仕事がなく、途方に暮れていた彼女にお金が渡せるように、クラリスは以前から彼女に洗濯や掃除を頼んでいたのだ。今日はパーティーを開催するので、洗濯に加えて掃除もお願いした。
 ベナンでの誕生日会は日本のそれとは少し異なる。開催の準備をするのは、祝われる本人なのだ。日本では、どちらかというと祝う側が会場のセッティングやら準備やらをして、サプライズで本人が来て、という感じだが、ベナンでは自宅で本人自ら食事の準備をするのだ。もちろん、高齢者や子どもは別だが。
 ということで、主催者である私たちは朝から大忙しである。洗濯や掃除は頼んだものの、買い出しは私たちが行かなくてはならない。クラリスのバイクに跨って、近くのお店に向かった。日本でいうコンビニみたいなところだ。ベナンでは、ガソリンスタンドに併設されている。メニューは、フルーツサラダに人参ご飯、ソーセージサラダに「マァ」というベナン料理だ。
 お祝い事なのだから、全てベナン料理になるのかと思いきや、式典やお祝い事ではベナン人はヨーロピアンスタイルのご飯を食べるのだそうだ。不思議な気はしたが、そういえば日本でもそうだ。クリスマスやお誕生日会では洋食がメインである。さらにクラリスは、ピザも食べたいと言ったので、ピザを頼むことにした。ベナンにもピザ屋さんはある。都心に行った際にピザ屋さんを見かけたことはあるし、外国人用のお店にはピザもメニューとして存在する。一般的なベナン人が日常的に食べるものではないそうだが、今日はお祝いだ。少し贅沢をすることにした。
 今日の私は、サーブ係を担っている。クラリスから直々のご指名である。お誕生日の人は、食事を振舞ったり準備をしたりはするが、それをサーブするのは周りの人がやるのだそうだ。朝から大量に野菜やフルーツを切っていった。途中、今日のパーティーの参加者でもあるクラリスの友人が手伝いに来てくれた。
 夕方5時を過ぎた頃に、パーティーが始まった。クラリスのお兄さんたちもやって来た。食事を盛り付けたり、飲み物をついだりして、パーティーが始まった。クラリスは、お姉さんに作ってもらった新作のワンピースを着ている。ピザは、クラリスが頼んで、お兄さんたちが取りに行ってくれたようだ。クラリスが楽しみにしていたピザだ。ベナンのピザはどんな感じなのか、私も楽しみにしていた。箱を見ると、日本のと変わらない厚紙で作られたものだ。L サイズくらいありそうだ。楽しみにして開けると、驚いた。L サイズの箱に、入っていたピザは S サイズより小さいものであった。そして、バイクで運ばれてゆさゆさと揺られたからだろうか。ピザの具が、一方向に偏っていた。更に、丸いピザを想定していたのだが、とても丸いとは言えなかった。
 ピザの手配はクラリスに任せたので実際に見て気づいたのだが、私の嫌いなマッシュルームが入っていた。ピザを見て大はしゃぎのクラリスが取り分けてくれていたので、
 
     "Without mushroom, please."
 
と言ったら、
 
     "Here you are."
 
と言って、渡されたものは、手でちぎったピザのカケラであった。ちぎっている間に具がボロボロと落ちて、最終的に私がもらったカケラは、without mushroom ではなく、without anything のものであった。

f:id:MakiBenin:20201223163359j:plain

without anything のピザ。
 その後、少々お酒が入ったクラリスは陽気におしゃべりを楽しんでいた。ベナン最終日に、クラリスがこれだけ笑ってくれている姿を見ることが出来て、私も嬉しかった。ベナン料理もしばらく食べることが出来ない。クラリス特製の「マァ」とも、フルーツサラダともソーセージサラダもと人参ご飯とも、しばしのお別れだ。これから飛行機に乗るというのに、こんなに食べて良いのかとも思ったが、モリモリと食べておいた。私は飛行機ごときでは絶対に酔わない。なんてったって、小笠原までの24時間の船旅にもビクともしなかったのだから。
 2時間ほどで、パーティーはお開きとなった。特にしんみりすることもなく、楽しく終えた。皆が帰った後、私は出発の準備を始めた。今回のフライトプランでは、往路と同様エールフランスを使ってフランスまで行き、フランスから日本に戻ってくる。27日の朝に成田に着くはずだ。シャワーを済ませている間に、クラリスが呼んでくれたタクシーが到着した。いよいよ出発のとき。助手席に座ったクラリスが、前を向きながら、お別れの言葉を口にした。クラファンを始めて、2人で CHILDREN EDUC を立ち上げて、プロジェクト開始まで色々と作戦を練って、コロナが私の滞在を大いに邪魔をするというまさかの出来事にも遭遇して、そして今がある。喧嘩もいっぱいしたし、正直私もメンタル的に色々ときつかった。しかし、今日この日を迎えてみると、やっぱり来て良かったと思うし、プロジェクトが成功だったことが何より良かった。コロンが収束するまで、というか、金銭的にもこの1年はベナンには渡れないだろう。色々あって、大変ではあったが、私の人生を大きく変えてくれたクラリスベナンには感謝している
 空港に着くと、わんさかと人がいた。エチオピア航空トルコ航空がストップしているからだろうか、運行しているエールフランスをめがけて人が殺到しているようだ。毎度このベナンの空港に来ると、私は少し悲しくなる。ベナン人が空港にいるということは、しかもフランスに向かう便に乗るということは、ここに集まるベナン人は裕福なのだろう。プロジェクトで、最貧困地域に行って、そこに暮らすベナン人を見てきた私は、その差を歴然と感じてしまう。多くのベナン人が言うことではあるが、一度フランスに行ったベナン人はほぼ帰ってこないそうだ。言葉の壁もないし、フランスの市民権を得て、便利な生活にどっぷりと浸かると、もうベナンに戻ることはないのだと。ここにいるベナン人は、もう二度とベナンの地に足を踏み入れることはないのだろうか。一方でベナン人ではない私のパスポートには、実に4回もベナンのスタンプが押されている。
 クラリスに最後の別れを告げて、一人で空港の中に入った。一応、ベナンでもソーシャルディスタンスという概念が広まりつつあるので、空港の中でも1列に並ばされた。おかげで長蛇の列が出来ていたが、皆大人しく待っていた。あまりにも進むのが遅くて、今並んでいる人たちは乗り遅れるのではないかという不安もあったが。
 保安ゲートも通り、出発までロビーで過ごした。結構人はいた。中には宇宙にでも行くような防具服を着ている人もいた。ここから長旅になる。感染者が爆発的に増えているフランスを経由するから、油断してはいけない。無事に成田までたどり着けると良いのだが。

f:id:MakiBenin:20210107172536j:plain

見送りに来てくれたクラリスと友達と。
 
 

出国前の検査

 10月22日(木)、今日もまた PCR 検査を受けに行く。もうすぐ出国なのだ。PCR 検査は、今回のベナン滞在でストレスの原因となっている1つである。入国時に1回、入国してから2週間後に1回、出国前に1回の、計3回受けなくてはならないのだ。3回で10、000セファ(日本円で2万円)も払った。検査場は遠いし、最初の2回もだいぶ待たされた。しかも、検査を受けるだけでなく、その結果も自分で取りに行かなくてはならないのだ。陰性ならメールで教えてくれよ、と思うが。

 ただ、ここ最近やはりさすがに他の外国人からのクレームも多かったのか、色々改善されているようだ。現金でのやり取りをやめて、支払いは全てオンラインで行われるようになったし、出国者と入国者で検査場を変えるなど、前は一箇所に全員集めていたのに分散することになったようだ。これはありがたい。前に検査を受けたときは、番号札がもはや機能していなかったし、大量に人が並んでいるのになぜか自分はスイスイ進んだし、ちょっとよく分からない仕組みであった。
 改善されているとはいえ、きっと今日もある程度は待たされるだろう。暇つぶしにフランス語の単語帳でも持っていくか。音楽が聴きたくなるかもしれないから、ウォークマンも入れておこう。クラリスにバイクタクシーの手配をお願いして、朝11時くらいに家を出た。
 本当は、朝10時に家を出たかったのにドライバーが遅刻をした。待てど暮らせど来ないので、少し早いがお昼ご飯を食べて行こうと思い、皿にご飯を盛った。いざ食べようとしたそのときに、クラリスから連絡が入り、今ドライバーが到着したとのことだ。
 毎度毎度思うのだが、この国は私の行動を把握しているのだろうか。停電も断水も、なぜか私にとって最高にバッドタイミングで起こる。せっかくご飯をお皿に盛ったので、大慌てで食べ切って、家を出た。
 潮風を浴びながら、バイクタクシーで目的地へ向かった。検査場に着くと、毎度受付のところにいるおじちゃんがまたいた。このおじちゃんは、私がここに来るたびに丁寧に誘導してくれる。私がフランス語も現地語も話せないことを知っている。今日も「お、また君か」というような顔をして、私に挨拶をした。
 日曜日に出国をするので、検査を受けたい旨を告げると、とある場所に誘導された。オンライン化に伴って、現金のやり取りをする手間が省けたのは良いが、オンラインでの手続きの際に支払った証明として表示されるコードを見せて、領収書を発行しなければならないようだ。出国者と入国者の検査場を変えたからか、人もそれほどいなくて、この発行もすぐに終えた。その領収書を持って今度はどこに行けば良いのかを尋ねると、2階だと言われたので、階段を上がった。ここにも人はほとんどいなかった。看護師のおばちゃん達も暇そうであった。受付で検査を受けたい旨を伝えると、暇そうなおばちゃん達が一斉に立ち上がって「こっちこっち」と手招きをしながら私を呼んだ。一瞬たじろいだが、一番近くの検査ブースに入ると、他のおばちゃん達はガッカリした顔をしていた。私は客ではないのだが。あまりにも暇すぎて、検査希望者が来るのを楽しみにしていたのだろうか。
 そしてまた鼻をグリグリといじめられて、涙目になって検査場を後にした。もっと時間がかかると思って色々持ってきたのに、そういうときに限って待たされない。しかし、すぐに済むと思っていたら、とんでもなく待たされる。待っている間に昼ご飯でも、と思うとドライバーがやって来る。ここベナンでは、事は思ったようには進まない。そんなベナンを、また去ろうとしている。潮風を浴びながら、ちょっと寂しさが込み上げてきた。明後日のクラリスの誕生日を一緒に過ごして、また私は日本へ戻る。そうだ、クラリスの誕生日が近い。誕生日会のためのジュースでも買って帰ろう。

ベナンからこんにちは

 10月13日(火)、今日は朝から大仕事がある。何と、クラリスと一緒にとあるオンラインイベントに出るのだ。

 夏に、以前ベナン青年海外協力隊員として任務していた人からベナンのことや CHILDREN EDUC のことを話してくれないかと言われていたのだ。ちょうど、もうすぐベナンに行くから、クラリスと一緒に出たいと申し出たのだ。プロジェクトが7日に終わるので、その後に開催出来るよう設定してもらったのだ。それが今日である。
 最終打ち合わせは日曜日に済ませた。今回のオンラインイベントでは、日本人向けではあるが、オーディエンスの方々は全員英語は理解出来るとのことだし、アフリカからの生登場なんてそうそう出来ることでもないから、メインスピーカーをクラリスにした。私は自分の自己紹介だけ日本語で行い、後はクラリスに任せた。ガッツリとした通訳は必要ないが、少し補足が必要なところなどを適宜日本語で補うだけに留めた。
 日曜日の最終打ち合わせの後、クラリスはしっかり準備をしていたようだ。クラリスにとって、オンラインとはいえ、日本人の前で正式にプレゼンをするのはこれが初めてだ。しかも、ベナンのことを全く知らない方々がオーディエンスだし、私にとっても面識のない方々だ。
 日本時間の夕方5時開始なので、こっちでは朝の9時だ。しっかりベナンのアピールとなるように、2人ともアフリカ服を着て臨むことにした。問題は電波である。幸い、雨は降っていないから大丈夫だろう。
 9時過ぎに、いよいよ始まった。自分たちの自己紹介を済ませ、いよいよクラリスのプレゼンが始まった。基本的なベナンの地理情報や統計情報などの後に、ベナンが抱えている問題点なども述べた。たくさんあるが、時間も限られているので今日は教育問題や女性の権利、水へのアクセスに絞った。この Blog でも度々触れてきた話題である。
 私はベナンの滞在歴が長くなって、これらの問題はすでに目でも見た真実であると分かっているが、普通日本で生まれ育った人には、しかもアフリカに関わったことがない人は、これらが問題と言われてもいまいちピンと来ないと思う。自分もそうだった。
 特に水へのアクセスについては、未だに現実味が湧かない。泥水を飲む子どもの写真を見ると、衝撃的ではあるが、日本ではあり得ない光景だから思考が追いつかないのだ。私自身が信じられない現実ではあるが、なるべくオーディエンスの方にも真実味が湧くように、ベナンではいかに水が貴重で手に入りづらいかを補足説明した。
 他にも、ベナンのビジネス事情についても話した。クラリスが携わりたいと思っていることや、ベナンに必要なビジネスなどだ。私たちは CHILDREN EDUC の財源を確保しなければいけないので、今後この辺りの話し合いも進めていかなければならないのだ。
 オンラインイベントは1時間ほどで無事に終了した。電波の大きなトラブルもなく終えられたことが良かった。今回のベナンでの滞在は、まずは我々の2日間のプロジェクトと、このオンラインイベントが最大の山であった。プロジェクトはすでに終了したし、このオンラインイベントも今日で終えて、ようやく安堵した。もうすぐ、日本へ帰る。元々、今回の渡航はこの2つの目的を達成したら帰るつもりでいた。24日がクラリスの誕生日だから、それを一緒に祝って帰るのだ。色んなことがあって大変ではあったが、また1つ困難を乗り越えて成長出来た気もする。

f:id:MakiBenin:20201023224010j:plain

オンラインイベントのポスター。

f:id:MakiBenin:20201024034743j:plain

最後にオーディエンスの方々とスクリーンショット

【お待たせしました】プロジェクト2日目

 10月7日(水)、プロジェクト2日目。今日は、Akassato に向かう。Akassato は、Cove に比べて都市部寄りである。私たちの住む町からも近い。今日は、5日ほど早朝に出る必要はない。8時半過ぎに家に出た。

 昨日は中休みなんかではなく、がっつりまた作業をした。昨日も大変であった。日曜日に、ある程度今日の分も準備はしていたが、それでもまだ完成していないものがあった。結局また夜までかかったのだ。

 車に乗り込み、またカメラマンとジャーナリストを拾った。今日は、クラリスのお姉さんにも手伝ってもらうのだ。車で30分ほどで学校に到着した。例によって私は応援係となって、荷物を教室に運び入れるのはベナン人に任せることにした。
 ここでは、水へのアクセスがあるのか、学校前に手洗い場が設置されていた。手洗い場といっても、バケツに水を汲んだだけの簡易的なものではある。私が手を洗おうとすると、先生が子どもたちに何かを命じた。すぐに子どもたちはどこかへ走り出した。先生は、私に少し待つように言った。しばらくして子どもたちがバケツを頭に乗せて戻ってきた。水が足りなくて足しに行っていたようだ。また別の子どもたちは、教室に続く階段を掃き始めた。そして、足された水で手を洗わせてもらい、教室に入った。
 1時間ほど待って、全ての子どもたちが揃った。今日も親を呼んでいる。そして、また授与式が行われた。
 ここでは、比較的マスクをしている子どもが多く見受けられた。先生たちもだ。まず最初に、先生たちと私たちとで記念撮影をした。その際、日本で大量にもらった鉛筆や消しゴムが入った大きな缶を校長先生に手渡した。一応子どもたち1人1人にも渡しているが、当然無くしてしまったり、忘れてしまったり、使い切る子どももいるだろう。そんなときのために使ってほしいと思い、渡したのだ。校長先生や他の先生たちもとても喜んでくれた。

f:id:MakiBenin:20201022040437j:plain

日本で色んな人からいただいたたくさんの筆記具。

f:id:MakiBenin:20201022040622j:plain

校長先生たちと記念写真。
 授与式では、また1つ1つ支援者の方を思い浮かべながら手渡していった。本当に大きなプロジェクトとなった。前回の Cove では97名の子どもたちを支援したが、今回は、今日ここには残念ながら来ていないが、後日手渡すことになっている子どもたちを含めても、100名を超える。Cove と合わせて、210名の子どもたちを支援したことになる。自分たちが想像した以上に大きなプロジェクトになって、嬉しい反面、少し戸惑いもあった。今日は、何と5つのメディアの取材も来ているのだ。どうりでクラリスが張り切っているわけだ。何やら見慣れないサンダルを履いていると思ったら、昨日買ってきたらしい。ヒールが高くて見ているこっちが危なっかしい。

f:id:MakiBenin:20201022041252j:plain

準備の様子。
 ちょっと面白かったのだが、やはり取材が入っていたり1人1人良いカメラで撮られていることに緊張があったのだろうか。子どもたちは、名前を呼ばれると真顔でやってきて、真顔でカメラを見つめ、真顔でそそくさと帰り、自分の席に着くなり、「はあーっ」と大きくため息をついて他の子どもたちと笑い合っていたことだ。中には緊張のあまりか、スタスタとやってきてバッグを受け取って、カメラを見ることなくスタスタと戻ろうとしている子もいた。皆が引き止めてようやく「あっしまった」と言わんばかりに戻ってぎこちない笑顔を浮かべてカメラに顔を向けていた。こういうところを見ると、つくづく日本の子どもと変わらないと思う。

f:id:MakiBenin:20201022040553j:plain

私と子ども。

f:id:MakiBenin:20201022040718j:plain

クラリスと子ども。

f:id:MakiBenin:20201022040744j:plain

子どもたちや先生たちと記念写真。
 午前中いっぱい使って、授与式を終えた。記念写真も終えて、車に乗り込んだ。子どもたちは、車が発車してもついてきた。言葉が通じないと分かっているのに、外国人の私に向かって、精一杯手を振っている。君たちにはたくさん伝えたいことがあった。現地語もフランス語も分からなくてごめんね。ここに書いたところで全く意味はないが、せめて手を振りながら走り寄ってくれた子どもたちを見ながら、私が思っていたことを記しておこうと思う。

f:id:MakiBenin:20201022032500j:plain

走り寄って来てくれた子どもたち。

 
子どもたちへ
 
 Cove の子たちも、Akassato の子たちも、全てがやベナン国内の団体からのもの、また日本の支援者からのもの、私やクラリスの知人からのものであることを、どれくらい分かってくれているのだろうか。子どもだから、きっとまだそれがどれほど大きな助けであったかは分からないかもしれない。そして、私たちが手渡してしまうと、どうしても私たちが全てをやったように見えてしまうが、全くもってそうではない。しかも、この中で唯一の外国人、それも日本人というだけで、何だか私が出資者のようにも見えてしまうけど、それも違う。全ては支援者と物資を寄付してくれた人がやったことだ。恩着せがましいことを言いたいのではないが、たくさんの人からの善意でこのプロジェクトが成り立っていることを知ってほしい。
 それからもう1つ。日本は、君たちから見ればそりゃ裕福な国だろう。しかし、お金を持っているから寄付をしたんじゃない。このプロジェクトを支えてくれた人は、まず私とクラリスを信じて、そしてベナンの未来に期待をしているから大金を出してくれたのである。ぶっちゃけ言うと、日本人も今生活が厳しい。コロナのせいで皆色々大変な思いをしている。それでも、誰一人として寄付したお金を返してほしいとは言わなかった。誰もが、このプロジェクトに貢献したことを嬉しく思っているし、実行されることを楽しみにしていた。君たちには、感謝をしてほしいとか恩返しをしてほしいと言っているのではなく、忘れてほしくないだけだ。君たちと同じくベナン人と、遠い国の見たこともない人たちが君たちの未来を照らしてくれたことを。
 君たちが、ベナンの未来を担うのだ。クラリスのようにしっかりと勉強をして、自分が選びたい道を自分で選んでほしい。男の子女の子関係無くだ。知識と知恵は、新たな経験を生む。新たな経験が、新たな道を切り開く。自分の人生において、先頭に立つのは、君たち自身でなければならない。そして、それが出来るようになって初めて、自立と自由を得る。すなわち、人生を楽しむことが出来る。
 君たちが、心から自分の人生に誇りを持つことが出来ますように。ベナンの未来が明るい光に照らされ続けていますように。
 

f:id:MakiBenin:20201022034634j:plain

私たちの活動の様子を報じた記事(下半分)。

f:id:MakiBenin:20201022034554j:plain

私たちの活動の様子を報じた記事。


 

【お待たせしました】プロジェクト1日目

 10月5日(月)、いよいよプロジェクト1日目だ。Cove に向かうには、車で3時間以上かかる。3つの学校を周らなくてはならないので、9時には1つ目の学校に着いていなければならない。ということで、6時に家に出ることになった。

 ところが、これまたベナンあるあるではあるが、6時半を過ぎても一向にドライバーが来ない。クラリスもさすがに機嫌が悪くなった。結局、7時近くになってようやくドライバーが来て、そこから大荷物を搬入したので出発は1時間遅れの7時頃となった
 乗客は、ドライバーとクラリスと私の他に3人いる。Cove までの道案内をするクラリスのお兄さんと、クラリスの友人2人である。友人といっても、遊びに来たのではない。1人はプロのカメラマンで、1人はプロのジャーナリストだ。クラリスは、私たちにとって初めての大仕事となるこのプロジェクトをきちんとした形で残すべく、プロのカメラマンとジャーナリストを今日と明後日の2日間、雇ったのである。ちなみにプロのカメラマンというのは、その名の通りプロのカメラマンで、カメラのことは詳しくないが、明らかに高そうなカメラを持っているし、クラリスが雇ったのだからそりゃ腕は確かだろう。ジャーナリストも、そんじょそこらのではなく、しっかりそれを生業としている人だそうで、これまたクラリスが雇ったのだから、ちゃんとした記事を書くことは確かなのだろう。
 助手席にクラリスのお兄さん、その後ろに私とカメラマン、その後ろにクラリスとジャーナリスト、さらに足元にもトランクにも所狭しと荷物を載せて、ベナン人5人日本人1人という超絶アウェーの中、一向は Cove に向かった。
 道中、誰かの電話がなり、誰かが話し、誰かがゲラゲラと笑い、誰かが歌い、誰かと誰かが話したかと思えば、また誰かの電話が鳴っていた。本当にベナン人は明るいと思う。そして、外を見ればプップーとバイクも車も一斉にクラクションを鳴らしまくり、車間距離もへったくれもない。今日も賑やかだ。
 完全アウェーの中、私は寝ることにした。途中、目薬をしたりリップを塗るために鏡を見ると、クラリスが後ろからじーっと私を見ている。ギョッとして振り返ると、
 
     "You are already too beautiful."
 
と言った。私が身だしなみなどを確かめるために鏡を見ると、クラリスはよくこう言う。自分はしっかり鏡を見てメイクも髪型も抜かりない。
 10時近くになって、ようやく1つ目の学校に到着した。学校側は当然私たちの訪問を事前に知っているので、子どもたちが一斉に出迎えてくれた。懐かしい。一年前に会いに来た学校だ、子どもたちだ。

f:id:MakiBenin:20201020034304j:plain

出迎えてくれた子どもたち。
 時間がすでに押しているので、テキパキと動かなければならない。と言ってもここはアフリカ。どう見ても一番ひ弱そうな私には、誰も荷物を渡さなかった。ということで、私は応援係となって、荷物が次々に校内へ運ばれていくのを見守った。
 今日は、校長先生だけでなく親も見に来ている。ぞろぞろと色々な人が集まってくる中、ようやく始める手はずが整った。司会はクラリスのお兄さんがやってくれた。まだフランス語がままならない子が多いからか、時折現地語も入っていたようだ。
 このプロジェクトについての色々な説明がされて、ようやく授与式が始まった。授与式と言っても、教材が詰まっているバッグを1人1人に手渡すだけだが。
 何だか感慨深かった。去年の8月、クラリスベナンの子どもたちの支援をしようと決めて、雨季真っ只中にクラウドファンディングのための打ち合わせをスタッフの方と重ねた。あれからもう1年か。色んなことがあった。コロナのせいで一時帰国を余儀なくされるなんて、思いもしなかった。9月1日にベナンに戻る予定だったのに、それもキャンセルになって、どうしようと思った。運よくまた飛行機を取り直すことが出来たが。
 私は、ただバッグを渡すだけの任務を負っているのではない。1人1人に手渡す度に、支援者の方を思い浮かべた。このプロジェクトは、全ての支援者の方の協力があってこそ成り立っているのだ。私でもなく、クラリスでもなく、ここにはいないけれど、彼らこそが最も大きな基盤なのだ。そう思いながら、1つ1つ心を込めて手渡した。子どもたちは、受け取るととても嬉しそうであった。早速中を開けて、ペンやノートを手に取っていた。親御さんたちもとても眩しそうに見ていた。

f:id:MakiBenin:20201020034059j:plain

私と子ども。CHILDREN EDUC のバッグと共に。

f:id:MakiBenin:20201020034118j:plain

クラリスと子ども。CHILDREN EDUC のバッグと共に。

f:id:MakiBenin:20201020043256j:plain

教室から出た子ども。CHILDREN EDUC のバッグが存在感を放っている。

f:id:MakiBenin:20201020034632j:plain

見送ってくれた子どもたち。

f:id:MakiBenin:20201020035044j:plain

見送ってくれた子どもたち。

f:id:MakiBenin:20201017052516j:plain

最後に子どもたちと。

f:id:MakiBenin:20201007042715j:plain

先生や親御さんたちも見送ってくれた。

 1つ目の学校でやや問題があった以外は、2つ目の学校でも3つ目の学校でも同じように進行して、無事に終えた。1つ目の学校であった問題というのは、何と事前に決めていた子どもたちのリストと実際にいる子どもたちに齟齬があったようだ。ちょっと信じられない話だが、先生が勝手に変えてしまったようだ。クラリスが、勝手なことをするなと言ってくれて、結局、時間はかかったが予定していた通りに進むことが出来た。
 2つ目、3つ目と行くうちに気づいたのだが、昨年は挨拶の際にハグなり握手なりをしていたのに、今日は皆肘と肘を合わせるような挨拶をしていた。コロナウイルスに警戒してのことだろうか。そういえば、ここの子たちはマスクをしていない。というか、昨年聞いた話では、ここでは生活に必要な水も手に入らないそうだ。
 ここには外国人も来ないから、コロナの心配は無いだろうが、衛生面という点で水は絶対に必要だ。事実、昨年もそうだったが、お腹を壊している子どもが多い。今日もいた。また、何か菌が入ったのか、明らかに目が腫れている子もいた。アフリカの子は菌への耐性があるとは聞いていたが、それにしたって限界がある。
 元気に走り回って、力一杯手を振って、パッと見た感じどこにでもいるベナンの子どもたちではあるが、よく見ると、靴を履いていない子の方が多い。これは昨年も気づいたことではあるが、ここが私たちが住むカラビやコトヌーの子どもたちとは全く異なる。服装もだ。汚れていない、破れていない服を来ている子なんて皆無だ。皆何かしら汚れていて、破れている。手や体も、お世辞にも綺麗とは言えない。
 私は、写真を撮る際にマスクを取った方が良いのかなと思って外したのだが、クラリスに小声で外すなと言われた。さすがに子どもたちや親の前でマスクを外すなとは言いづらかったのか、小声ではあったが、ここではマスクを絶対に外さないようにと注意をした。菌に耐性のない外国人はさらに危険だということだろう。
 3つの学校で、学校の先生だけでなく親までも見に来たのは、クラリスの計らいだ。見に来た、というか、見に来させたのだ。
 入学金と朝食代は、学校に振り込むことにしたのだが、親と先生の前で、それを宣言するためだ。考えたくないことだが、親と先生に直接お金を渡してしまうと、着服してしまう可能性があるのだ。子どもたちの入学金と朝食代が、別のお金に消えることはあってはならない。だからクラリスは、子どもたちと先生と親の前で、入学金と朝食代は学校に直接振り込むからすでに子どもたちは学校に通う権利と朝食を食べる権利を得たと宣言し、すなわち誰もそのお金に手をつけてはならないことを知らしめたのだ。もし、この1年の間に学校に通うことが出来なくなったり朝食を食べられないということがあれば、すぐにクラリスに電話をするようにと、黒板にしっかりクラリスの電話番号を記して言った。着服や不正使用をさせない最善の方法であった。クラリスも私もベストは尽くした。あとは先生と親の良心を信じるしかない。
 3つ目の学校を終えて、私はカメラマンと外に出た。ここで支援者の方に送るムービーを撮るのだ。プロのカメラマンのカメラで、きちんと音も拾ってもらえるようにマイクもつけた。2分以内で収めるべく、車の中で何度もシミュレーションをした。もちろん日本語で話すのだが、母語だからこそ2分以内に言いたいことをまとめるのが難しいのだ
 性能の良いカメラなのだから、一応もう一度顔と髪を確認しておくか、と鏡を開いて気づいてしまった。何と、今更ながらすっぴんであった。というか、今回の渡航ではメイク道具すら持ってきていない。ここで私のムービーを撮るということもすっかり抜けていた。あまりアップでは写りたくないな、と思い後ずさりすると、カメラマンが一歩近づいた。半歩下がると、カメラマンが半歩近づいた。仕方ない、この距離でないと彼が撮りづらいのだろう。もう諦めた。久しぶりの日本語で、変な緊張感もあったが、どうにか喋り終えた。

f:id:MakiBenin:20201020045310j:plain

しどろもどろと喋っている私。
 帰りに、クラリスの親戚の家に立ち寄った。ここでお昼をご馳走になるのだ。昨年もここを訪れた。私のことを覚えていてくれたようだ。子どもがハグをして出迎えてくれた。
 お昼休憩といっても、時はすでに4時を回っていた。11時くらいに車の中で、クラリスが作って持ってきてくれたパスタを食べたが、腹ペコだ。のんびりと食べて、休憩をして、5時ごろに Cove を出発した。
 途中、魚売り場に寄ったり、渋滞にはまったりしたが、案外早く帰ることが出来た。家に着いたのは8時ごろであった。1日がかりでかなり疲れた。達成感は無い。Akassato の方がまだ残っているし、何より Cove に行って、教育問題と同じくらい衛生問題も深刻であることに気づいたからだベナンでは、頻繁に断水が起こるが、Cove のような村では、水が出る場所がそもそも遠くにあるから、断水はもはや問題ではない。何なら毎日が断水だ。人々は、時に子どもが何キロも往復して、必要な生活水を汲みに行くのだそうだ。日本で生まれて育った私には、全く想像が出来ない世界だ。日本では、水道水だってきっと十分飲めるのに、さらに浄水器をつける人もいる。日本人の綺麗好きというか衛生面への厳しさは世界一だ。厳しすぎる気もするが。そんな世界で生まれ育った私には、手が洗えない、安全な水が手に入らないなんて、相当の恐怖に感じる。3月以降、日本でウエットティッシュやアルコール除菌が手に入らなくて人々が殺気立っていたのは、恐怖から来るものだったのだろう。コロナに対してというより、衛生面が脅かされることへの。
 今日は、97名の子どもたちへの支援が完了した。毎日ボロボロの汚れた服を着て、靴も無くて、きっと何日も体を洗えていなくて、体どころか手も洗えずにいて、そんな手で目を触ったりして菌を入れて、何かを食べたらお腹を壊して、それが日常となっている彼らなのだ。アフリカを、というかベナンを取り巻く問題の壁は果てしなく高い。やっと、1年がかりでプロジェクトの1つを成し遂げたのに、得たのは達成感ではなくまた新たな壁であった。さて、安全な水を手に入れるには、どうしたら良いのだろうか。