初めての旅行 (2日目)とお菓子工房とウィルの素晴らしさ

 8月27日、旅行2日目。この日はベナン人が運営するお菓子工房にお邪魔して、その後にウィルが率いる、とある学校をのぞかせてもらう予定だ。

 朝ごはんを済ませた後、お菓子工房に到着した。髪の毛が落ちないように全員頭にネットを装着して、手洗いも済ませ、一行は小屋のような、屋根付きのスペースに向かった。
 この会社を始めた女性は、学生のときにお金を稼ぐ手段としてお菓子作りを始めたところ、それが彼女にとっての楽しみとなり、結果としてビジネスとして成立したのだという。また、彼女のお菓子の素晴らしいところは、消費者の目線に立った売り方をしているところだ。ベナンでは、お菓子に限らず食べ物はたいてい大きな袋にボンと詰め込まれており、小分けの袋などが無い。また、パッケージも実に無味乾燥なただの袋で売られていることが多い。ところが彼女は、特に観光客がお土産として買いやすいように小分け包装にしたり、パッケージも可愛いデザインにしたり、お菓子の味も何種類も用意して消費者の好みの味にアレンジできるという。実は、そういったことをベナンのお菓子業界で初めて試みたのが彼女だという。彼女にならって、同じようなことを他の会社も始めているそうだ。
 今日は、彼女と彼女のお母さんが何と貴重な材料と時間を割いて我々の前でお菓子作りの実演をしてくれることになった。kokada(コウカダ)というお菓子で、ピーナツを炒り、水と砂糖とレモンを絡ませたものだ。早速実演が始まった。

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kokada 実演中の様子
 ベナン人は、おそらく皮膚の厚さが日本人と違うのだろう、彼女たちは平気で熱した鍋を素手で触りながら温度を調整している。それをハラハラしながら、時に『ひいっ』と言っては見ている私。ピーナッツを炒めている間、私は彼女たちに色々と尋ねてみた。ダンスと音楽は苦手でも、料理は(こう見えて)かなり得意で好きな私は、お菓子作りもまあまあする方だ。しかし、私のはただの趣味だ。彼女たちはこれを仕事にしているのだ。そうすると、当然仕事ならではの悩みや辛いこともあるのでは、と思って聞いてみた。するとやはり、せっかく作ったものが売れなかったり、スーパーで自分たちの商品が売れていないのを見てしまったり、何日も売り上げが出なかったり、自分たちのお菓子のパッケージやデザインなどが完全に酷似しているものを見たときにガッカリしてしまうという。お菓子作りを目の前で見ていて思ったのは、言い方は悪いが非常に単調な作業であるということだ。ピーナッツを炒るという作業は、非常に時間がかかるが、火を扱っているので目を離すことは出来ない。焦げないようにひたすらグルグルとかき混ぜながら炒るところを見ると、これを毎日のようにやるというのは確かに骨が折れる。ましてやここベナンでは、断水や停電が時に起こる。その中でも作らなければ自分たちが食べていけなくなるのだから、きっと断水や停電に備えて色々準備もしているのだろう。
 また、出来上がるまでの間でウィルともたくさん話をした。このお菓子を作っている女性は学生のときにお菓子のみならず、様々なものを売ってお金を稼いでいたというが、ウィルは何か売った経験はあるのかと尋ねてみた。すると、実に様々なものを売っていた。食べ物、文房具、洋服、水、ありとあらゆるものを幼少期から売っていたそうだ。ベナンでは、食べ物は大抵女性が売っている。男性や男の子が食べ物を売るのは珍しいという。ベナン人から見ると、男の子が食べ物を売るというのは、「女の真似をしている」と思われるそうで、からかわれたりしたこともあったという。しかし、ウィルはお母さんをとても愛していて、お母さんのためにお金を稼げるならばそんなことは全く気にしたことはなかったという。お母さんのためならば、どんな苦しみも貧しさも、全て耐えられたという。
 1〜2時間ほどで kokada は完成した。早速出来たてホヤホヤのものを試食させてもらった。ピーナッツと砂糖の甘みが絶妙にマッチしており、歯ごたえもありとても美味しかった。日本にも類似品はありそうな気がするが、私のイメージではピーナッツといえば塩であった。ところが kokada は完全に砂糖で味付けされている。とても美味しいということを、読者の皆様にも自信を持ってオススメできる。
 試食をするときに気がついた。私は『自分は参加者という立場ではないのだから、くれぐれも前に出たりしないように、自重するように。』と心がけていたのだが、この工房では常に前のめりになり、質問を独占し、一番前で食い入るように見つめていた。そして試食の際、いの一番に手を出そうとして『はっ!!』と気づき、学生さんに一番手を譲った。前にいたため、危うく自分1人で全てをかっさらうところであった。

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出来たてホヤホヤの kokada
 お菓子工房に御礼を行って去り、お昼ご飯を済ませた後、一行はウィルが率いる、とある学校にお邪魔した。ウィルがやっている事業というのは、学校に通えない子どもたちへ教育補助を行うことだ。彼らが学校に通えるように援助をしたり、ドロップアウトをしてしまった子どもたちが学校に戻れるように学力を取り戻す手助けをしているのだ。学びの舎であるため、学校に近いのだが、正式には NGO という形で運営されている。
 今は夏休み中ではあるが、我々が来ることを事前に知っていた子どもたちが集まっていた。この学校のことをよりウィルから説明してもらうため、一行は子どもたちと教室に入らせてもらった。そしてウィルの話が始まった。
 実は、ウィルの幼少期は貧困と共にあった。ウィルこそが、学べない時期を過ごしていたのだ。ウィルのお父さんには奥さんが2人おり、実質ウィルはお母さんと兄弟と一緒に暮らしていたという。ウィルは大人になって、お金を得て学歴をつけ、稼いだお金は全て学べない子どもたちに捧げると決めた。日本円にして、たった数千円のお金が稼げなくて制服やカバンや本が買えなかったり、あるいは、教育の価値が見出せなくて、お金があっても子どもを学校に行かせなかったり、もはや稼ぐ気もない家庭もあるという。ウィルは、泣いていた。どうして、この国は教育にもっとお金がかけられないのか、と。貧困ゆえに学校に行けない子どもたち、お金が厳しくなってドロップアウトを余儀なくされる子どもたち、性教育の乏しさから10代で妊娠して辞めざるを得ない女の子たちがいることを断じて見逃してはならない。学ぶ意義も楽しさも知らないままに生きていかなければいけない現実がここにはある。しかし、国に頼るのではなく、ウィル自身に出来ることがあると分かってから、1人でも多くの子どもたちを学校に行かせ、学ぶ機会を与えることが自分自身のやるべきことだと思ったのだという。ウィルの突然の涙に、ましてやウィルはずっと英語で喋っていたので、子どもたちには状況がさっぱり飲み込めておらず、驚いていた。しかし、そんなウィルを見て無邪気に笑い、『どうしたの?』『え、なんで泣いているの?』といった感じで子どもたちがヒソヒソ話をしていることが何だか可愛かった。
 

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私たちに語りかけるウィル
 涙を拭ったウィルは子どもたちとフランス語で歌ったり、自分のことを書かせたり、前に出てきて自己紹介をさせたりした。ここに来るまでは、フランス語が全く出来なかった子どもたちだ。(注:ベナンの学校教育はフランス語で行われる。)
 教室を出て、ウィルが『ありがとう』と日本語で言うように子どもたちに呼びかけると、一斉に子どもたちが『ありがとう』と言ってくれた。言葉の響きを子どもたちが気に入ったのか、笑いながら、楽しそうに『ありがとう』と言ってくれた。この辺りは、ウィル自身が生まれ育った場所でもあり、家もまだ残っているというのでウィルに連れて行ってもらうことにした。子どもたちもこの近所の子たちなので、『ありがとう』と言いながらついてきた。
 学校を出て、数分も経たないうちに町の様子が変わった。まず、ゴミの量がとてつもなかった。ベナンでは、道中にゴミが落ちていることは何度か記したが、ここではその比ではない。むしろ地面がゴミで出来ているというほどだ。山積みにされたゴミが崩れ落ちて、その真横に家らしきものがある。そして、ニオイが違う。饐えたニオイだ。この中で子どもたちが裸足、裸で生活している。さっき教室にいた子どもたちは、ここで生活をしているのか。衝撃的であった。

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町の様子
 ウィルに導かれて、彼がかつて暮らしていた家にたどり着いた。そこは、お世辞にも家とは言い難い。木、藁、布など、覆えるもので天井をどうにか覆ったという感じだ。ペットボトルの水は買えないので、雨水で凌いだという。ウィルの家も含め、この一帯は政府の居住許可が下りていない土地なので、立ち退き命令が出たらすぐにでも出なくてはいけないのだという。この環境から這い上がったウィルは、なんてたくましい。そして、ウィルがこの世で最も愛したお母さんは、数年前に息を引き取ったという。ここで亡くなったのか、と思うと何とも言えない気持ちになった。出会って2日しか経っていないが、ウィルの素晴らしさはよく分かる。今の立派なウィルをお母さんも見たかったことだろう。
 一行は車に戻った。その道中も、子どもたちは『ありがとう』と言いながらついて来た。学生さんたちが泣いていた。私も泣きたかった。それほどに衝撃的な環境に子どもたちが置かれていたのだ。悲しさや同情の涙とは少し違う気がする。欲しいものがすぐに手に入る日本では流さないような涙だ。悔しさの涙、というのだろうか。どうして世の中はこんなにも不平等なのか。しかしそれ以上に嘆きたいのは、どうして自分には何も出来ないのかということだ。目の前にいる子どもたちに何一つしてあげられることが無い。不条理なことを目の当たりにすると人は涙を流すものなのだと知った。しかし、私は学校に行けない子どもたちにインタビューをしたときに、もうすでに1回泣いている。そしてその時に思ったのだ。彼らに必要なのは私の涙なんかではないということを。変なところが現実主義の私は、泣くよりも前にやるべきことがあると思っている。今の私に出来ることなど、実質的には無い。しかし、横柄ではあるが私には学歴がある。今こそ、この学歴を生かして何が出来るかを考えなくてはならないと思う。それこそが学歴を持っている人間の使命であると思う。ウィルがそうしたように。
 一行が車に乗り込んでからも、子どもたちはずっと『ありがとう』を言っている。ウィルが説明したはずなので『ありがとう』の意味は分かっているのだろう。何に対しての『ありがとう』なのかは分からないが、飽きもせずにずっと我々に手を振っている。無邪気に笑っていた。この状況の中で子どもたちの目が死んでいないことに救われた。『ありがとう』と言いたいのはこっちの方だ。笑ってくれてありがとう。子どもたちの笑顔を目に焼き付けた。車が発車してからも、少し片言の『ありがとう』がいつまでも耳に響いていた。
 

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私たちが車に乗るまでついて来た子どもたち

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車が発車してからも『ありがとう』と言いながらついて来る子どもたち
 この日の夜は、旅の最後の夜でもあったため、1人ずつ旅の感想を言い合った。私は、皆の前である決意表明をした。読者の皆様にも、自分が言ったことを忘れないように、そして自分の心が折れたときに己を奮い立たせるために、ここにもう一度自分が言ったことを一部抜粋ではあるが、記しておきたい。
 
...Now I'm a global citizen, so I'd like to share the problems Benin is facing now, like poverty, with Japanese people. Even though I'm Japanese and I'm just a foreigner, that doesn't matter. I don't care about my nationality. This is a global issue. I promise I'll confront it, too...
 
 最後に、今学びの途中にある小中高生、大学生の皆様に伝えたい。私が言いたいことは、『学校に通えることをありがたく思いなさい。』とか『親に感謝をしなさい。』などでは決して無い。ましてや精神論など語るつもりも一切無い。そんなものには全く興味は無い。私が言いたいことは、『私は、いや、世界はあなたの知識を待っている。』ということだ。『一緒にアフリカで頑張りましょう。』という意味ではない。私1人では何も出来ないから、色々な方面の知識や支援が必要だということだ。あなたが学んでいることが、いつか誰かの笑顔を増やせるかもしれない。日本から遠く離れた国でまた『ありがとう』が鳴り響くかもしれない。どうか、学んだことを世界に還元して欲しい。それが世の中の不条理に一緒に立ち向かうということだ。