初めての旅行(最終日)と赤ちゃん抱っこと孤児院とやっぱり素敵なアフリカ服と夜の侵入者

 8月28日、旅行最終日。今日の予定は、青年海外協力隊員、出野爽香(での さやか)さんの活動の様子を見させていただくことと、SOS VILLAGES D' ENFANTS というインターナショナルな団体が運営する孤児院の先生から話を聞かせていただくことだ。

 初めに、爽香さんがいる場所に向かった。爽香さんは、助産師として2年前からベナンで活動している。この場所は、病院ではないが、乳幼児とそのお母さんのためのケアをするところだそうだ。お母さんにとっては、出産をするためだけでなく、出産後のケアを受けることが出来たり、必要な予防接種を受けることが出来る。ちなみに、爽香さんは助産師であるが、ベナンでの免許を保有していないため子どもを取り上げることは出来ないそうだ。あったとしても、協力隊員は現地の人のアシスタントとして働くことに意義があるそうなので、爽香さんもここではリーダーとして動くのではなく、ベナン人を支える側に回っているのだそう。
 しかし、話を聞いた限り、爽香さんは本当に周りのベナン人から信用をされていて、リーダーではないが、部下でもなく、本当に良き同僚として働いていることがよく分かった。爽香さんが来る前は、全てのカルテが一緒くたに1つの箱に入れられていて、やって来る乳幼児とお母さんのカルテを探すのにとても時間がかかっていたそうだが、爽香さんが新しく箱を作って、カルテをアルファベット順に入れ直したそうだ。そういった提案が受け入れられるのも、爽香さんが現地の人との信頼関係を築いたからだろう。
 世界子供白書 2017 によると、日本では、2016年に5歳未満で亡くなった子どもの数は1000人中、3人であることに対し、ベナンでは38人だ。日本は世界でもトップクラスの水準を誇っているのに対し、ベナンはワースト10位に入っている。栄養状態が悪いことで乳幼児はいとも簡単に死んでしまうことなど誰もが分かりきっているのに、それでも食い止めることが出来ないのはもどかしい。しかし、爽香さんが活動を始めてから、その死亡率は減少の傾向にあり、予防接種率も上がってきているそうだ。
 爽香さんに、とある赤ちゃんの写真を見せていただいた。とても可愛いが非常にやせ細っていた。なんと、最近生まれたのだが、亡くなってしまった赤ちゃんだという。医療従事者ならば、必ず死の現場に立ち会う。ましてや助産師さんならば、赤ちゃんの死に直面するのもまた仕事だ。だが、医療のことなど何も知らないど素人の、ただただ赤ちゃんが可愛いと思う私からすると、辛い仕事でもあるんだろうな、と思った。
 非常に興味深かったのは、ベナンでは出産後の身の回りのお世話は基本的に家族がするということだ。医療を伴うことはもちろん医療スタッフがやるが、洗濯や赤ちゃんのお世話も家族が一緒にするそうだ。全員が一丸となって赤ちゃんのお世話にあたるので、お母さん1人だけに任されることが無い。これはとても良いことだと思った。一方、日本は出産前から何かとお母さんに負担やプレッシャーがかかり過ぎる。出来て当たり前、出来なかったらお母さんのせい。医療先進国だなんて鼻を高くしていないで、さっさとお母さんが心に余裕を持って子育てが出来る仕組みを考えるべきだと思う。
 そして、爽香さんは今日、とあるお母さんのところを訪ねて赤ちゃんの状態を確認しに行くというので同行させていただくことになった。お邪魔した家庭というのは、とても大家族で門の前からたくさんの子どもたちが出迎えてくれた。実は、先程記した、つい最近亡くなってしまった赤ちゃんというのは双子の妹ちゃんで、ここのお母さんが出産したのだ。お姉ちゃんは生きており、今日はそのお姉ちゃんの状態を見に来たのだ。この家族はブードゥー教を信仰している。基本的にブードゥー教信者は先進医療を拒むので、亡くなった双子の妹ちゃんに対しても、爽香さんと現地スタッフは何度も栄養状態が悪いことやこのままでは死んでしまうことも訴えていたそうだが、聞き入れてもらえなかったそうだ。そして結果的に妹ちゃんは亡くなってしまった。娘が亡くなったことで、さすがに焦ったお母さんも、そしてその家族も、ようやく爽香さんや現地スタッフの声に耳を傾けるようになったそうだ。『本当に死ぬんだ。』と彼ら自身が気づいてくれたようだ。何度訪問しても、何度医療保護を受けるように言っても聞き入れてもらえず、現地スタッフも見放してしまったそうだが、残ったお姉ちゃんだけは絶対に死なせてはならないと、爽香さんは奮闘している。
 今日は現地スタッフ無しで、我々と爽香さんだけで来ている。通常であれば、外国人の医療スタッフを家に招き、赤ちゃんを預けることなどあり得ないだろうし、ましてやブードゥー教信者のように先進医療を受け入れない人々ならば、より一層抵抗があるだろう。しかし、誰がどう見ても、皆が爽香さんを信用しているようだ。しかも、爽香さんはフランス語のみならず、現地語もこの2年間で学んだので、彼らとも現地語で話している。それが信用を得ることが出来た要因の1つであることは間違いない
 中からとても若いお母さん(20歳)と赤ちゃんが出て来た。お母さんも爽香さんの訪問を喜んでいた。とても可愛くてふにゃふにゃだ。爽香さんは、赤ちゃんを抱っこした瞬間に赤ちゃんの目やおへその状態を見て、適切なケアがされているかを確認していた。少し貧血気味だったようなので、ビタミンを赤ちゃんに与えていた。身長や体重なども増加していたので、緊急事態というほどでは無いそうだ。

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赤ちゃんの状態を確認する爽香さん。

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赤ちゃんの体重を測っている爽香さん。
 なんと、このお母さんの姉妹もまた数日前に出産したばかりだそうで、家には新生児がもう1人いた。爽香さんはその子の健康状態もすぐさま確認した。衛生状態が悪い場所では特におへその化膿が懸念されるそうだが、この赤ちゃんも特に大きな問題は無かったようだ。ここで、とてつもないサプライズがあった。何と、爽香さんが両手を空ける必要があったために、横にいた私に、「はい、ちょっと抱っこしててくださいね」といった感じで私に赤ちゃんを預けたのだ。突然のことに驚いた私だが、パニクりながらもこの超新生児を抱っこした。…何という幸せだろう。何という可愛さだろう。一瞬自分の子なのではないかと思った。柔らかくて、ちょっとウンチの匂いはしたが、でもそんなものはどうでもいいと思えるくらい愛おしかった。ベナンでは、子育ては皆でするものだと先程も記したが、いきなり現れた私にも超新生児を委ねられるとは、よほど爽香さんを信用しているのだなと思った。

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もう1人の赤ちゃんの状態を確認する爽香さん。
 

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パニクりながらも超新生児を抱っこする私。


 
 外に出て、爽香さんがお母さんにモリンガの粉末のようなものを渡した。新生児の栄養補給に良いものだそうだ。この家にもモリンガは生えているので、自分たちでも作れそうだが、出産祝いということで爽香さんは手渡していた。すると、お母さんは爽香さんに何やら色々と尋ね始めた。爽香さんもそれに答えている。お母さんの目つきは真剣そのもので、若いといえど、立派なお母さんの目をしていた。後から爽香さんが教えてくれたのだが、このときお母さんは、そのモリンガの粉末をどのように赤ちゃんにあげるのかを聞いていたそうだ。何杯くらい、1日どれくらいか、お母さんは色々と尋ねてきたそうだ。以前、まだ妹ちゃんが生きていて、爽香さんたちが来訪した際は、全く爽香さんたちの話に興味が無さそうで、モリンガの粉末も「あ、そう」といった感じで受け取っていたそうだ。しかし、娘の死をきっかけに、お母さんの意識が変わったそうだ。爽香さんの思いが届いたのだろう。
 最後に、皆で記念撮影をした。そして、先程の双子のお姉ちゃんも抱っこさせてもらった。お母さんも、「どうぞ」といった感じで私が抱っこするのを笑いながら見ている。爽香さんはすごいなあと本当に思った。医療という絶対的な武器を持っていても現地の人の信用が得られなかった中、彼女はフランス語も現地語もたった2年間でマスターして、ここまでの信頼関係を築いたのだ。ここベナンではきっと赤ちゃんの死に直面することが多いことだろう。しかし、この家族のように、赤ちゃんの死をきっかけに意識が変わることもある。もちろんとてつもない大きな犠牲ではあるが、死亡率をそう簡単に日本と同じ水準まで下げることなど出来ない。誰かの死が、誰かの生を守る。きっとそう思ってこの2年間、悲しみも辛さも数知れず味わいながら従事してきたのだろうなと思う。協力隊の任期は2年間、爽香さんが任期を終えるまで、あともう少し。いなくなったらきっとこの家族は寂しがるだろうな、と思うが、爽香さんが残した素晴らしい信頼関係があるので、また別の協力隊員とも新しく信頼関係を築くことが出来るのではないだろうか。そう祈っている。

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双子のお姉ちゃんと爽香さんと。
 爽香さんと昼ご飯を済ませ、別れを告げた後、我々は次の活動場所へ向かった。ここは、SOS VILLAGES D' ENFANTS という孤児院で、英語では、SOS Children's Villages と表記される。インターナショナルに展開されているとのことだが、私は知らなかった。オーストリアが発祥地だ。ここでは、親と共に暮らすことが出来ない子どもたちが預けられるのだが、審査はとても厳しく、誰もが引き取られるわけではない。しかし、引き取ることが出来なかったとしても、その子のことをケアしたりサポートしたり、決して子どもを見放すことはしない。なお、非常に驚くべきことだが、引き取られた子どもは、職を得るまで教育費のみならず、衣食住すべてに渡って援助が受けられるそうだ。さらに、子どもの権利もしっかりと尊重される。そうすると気になるのはその資金繰りだが、インターナショナルな団体故に、世界中から寄付金が来るそうで、さらに SOS はお金の使い方が非常に明確で、寄付者が誰を支援したいのかなどの要望も満たされるそうだ。それ故、絶大な信頼が寄せられているとのことなので、寄付者も安心して寄付をしているのだそう。日本の企業や民間人からも寄付金は多いという。
 話を聞かせていただいた後は、実際にこの建物の中を案内してもらった。全部で11個の家が敷地内にあり、その全てに実質的にお母さんの役割を果たす女性がいる。敷地内は想像以上に広く、家だけでなく公園のようなものもあり、遊具や砂場など、子どもたちが伸び伸びと自由に遊べるような造りになっている。ちょうど夏休み中であるため、帰る場所がある子どもはそこに行っているそうで、思ったより静かであった。孤児、と聞くと何となく悲しくて可哀想な感じがするが、ここでは必要な物資も愛情も受けられていると分かって少し安心した。他の子どもと何も変わらずサッカーをしたり砂場で遊んだりしている子どもたちを見ることで、自分の先入観を打破することが出来た。願わくは、この子どもたちが自分のなりたい職業について、楽しい人生を送ってくれることだ。
 旅の最後に、一行は、学生さんたちが事前に頼んでおいたアフリカ服を受け取りに向かった。私も昨年12月にベナンに来たときに同じ場所で作ってもらったのだが、人の試着を見るというのもなかなか新鮮で良い。率直な感想を言うと、ただただ羨ましかった。どれほど自分も欲しい願望にかられたことか。嬉しかったのは、ここの仕立屋さんは私の顔を覚えていてくれたことだ。私の顔を見るなり、現地語でクラリスに何かを尋ねていた。どうやら、「この子、今回は注文していないのね」と言っていたらしい。(心の声:いえ、違うんです。私はただの飛び入り参加で来ているだけなので、頼む時間が無かったのです。次は絶対お願いします。)日本にいたときはファッションなど優先順位がとてつもなく低かったのに、今は人のアフリカ服を見ては指をくわえて見ている。そしてあろうことか、男の子の学生さんのみならず、女の子の学生さんにまでドキドキしているとは何事だ。これがアフリカンフェチというやつか。ペアルックをしている学生さんを見たときなど私もやりたくて仕方ない衝動に駆られた。仕方ない、私の未来の彼氏にしてもらうことにしよう。その方には申し訳ないが、勝手に決めさせていただこう。私は青が好きなので、青地の布にしよう。模様は何でも良い。はっ、待てよ。アフリカン模様とムーミンというコラボはどうだろうか。いや、それじゃどっちが主役か分からなくなる。しかし捨てがたい。まあ、良い人が出来たらゆっくり考えることにしよう。
 初めてのベナン国内旅行、2泊3日の旅は無事に終わり、夜遅くに私とクラリスは家にたどり着いた。すると、何と私たちの留守の間にどうやら何者かに侵入されていたらしい。ドアを開けると黒いものが5〜6匹壁や床をうごめいていた。そのうち何匹かは私が悲鳴を上げると驚いた彼らの方から逃げていき、何匹かはクラリスに無表情で退治された。
 2人もグッタリだ。特にクラリスは、学生さんたちの健康や安全に全神経を注いでいたのだからさぞかし疲れただろう。彼女は本当に良い仕事をする。間近で見て、彼女がいかにこの仕事に誇りを持っているかが分かった。私も楽しかった。残りの侵入者の退治はクラリスの機嫌が良いときに頼むことにして、我々はグッスリと眠った。