お別れ会と私の青春

 8月30日、今日は私が先日お邪魔した学生さんたちの一部が31日に帰国するので、彼らのお別れ会をすることになっている。私の図々しさはさらに増して、ここにもちゃっかりお邪魔させてもらうことにした。お昼過ぎから一行はお土産巡りに向かい、またもや指をくわえて見た後、夕方頃からお別れ会を始めた。

 料理はとあるベナン人のお母さんが作ってくれたもので、辛いものに耐性が出来ていない我々のためにスパイスを抜いてくれて、とてもマイルドで美味しいスープと日本人の大好きなご飯であった。帰国間際で、日本食が恋しくなり始めた学生さんたちへの配慮なのかな、と思った。飲み物の数も豊富にあり、私は立場を忘れて遠慮なく飲み食いした。

 学生さんたちは、とても良い笑顔だった。帰国する学生さんもいれば、もう1週間留まる学生さんもいる。帰国の安心感もあれば、別れを惜しむ気持ちもあったのだろう。いずれにしても良い表情だった。大きな怪我や病気もなく滞在出来たのもまた私にとっても良かった。

 この日は全員アフリカ服を着ており、若干仮装パーティーのようにもなっていた。するとここで、私にとってとても大きなサプライズがあった。なんと、ウィルも来たのである。ウィルはとても多忙で、先日の2泊3日の旅に同行するのも他の予定を全てキャンセルして来てくれたのだという。てっきりこのお別れ会には来られないものとばかり思っていた。

 

   “I thought you were too busy to come here.”

 

と言うと、

 

   “Yes, I’m busy, but they are going back to Japan tomorrow. I cannot miss this farewell party.”

 

と言った。本当に素晴らしい人だと思った。自分の予定を差し置いて、彼らのお見送りをするなんて、なかなか出来ることではない。心からの尊敬の意を込めて、ウィルと2日ぶりの感動の再会を祝った。ちなみに日本人は全員アフリカ服の中、ウィルやクラリスは普通の格好をしていた。

 食事中、ウィルとまた色々な話をした。彼は言っていた。この場に立ち会えてとても嬉しいと。また、日本人がこれほどフレンドリーだとは知らなかったという。実はウィルは、アジア人にあまり良いイメージが無かったと言っていた。しかし、学生さんたちと初めて会ったときにその考えは変わったそうだ。ウィルにとって初めての日本人の友だちというのがここにいる学生さんたちなのだ。彼らは私がウィルと会うよりも前にすでに会っている。寛容でフレンドリーな学生さんたちがウィルにとっての初めての日本人との触れ合いだったことが私も嬉しかった。

 また、ウィルは私と出会ったこともとても喜んでくれた。我々の初対面は車の中だったわけだが、クラリスから私の話も聞いていたので、彼は私を見てすぐに “Maki” であることは分かったそうだ。私は覚えていないのだが、どうやら私からウィルに自己紹介をしたらしい。それがウィルにとってはとても嬉しかったそうだ。彼の知るアジア人で、自分から自己紹介をしてくれた人はいなかったそうだ。細かいことを覚えておいてくれるとは、さすがウィルだ。

 食事が進むにつれて、だんだん盛り上がって来たウィルは立ち上がって、

 

   “Do you want to dance with me?”

 

と聞いた。ダ、ダンス。それは私にとってはイコール公開処刑である。しかし、音楽に合わせて皆も踊っている。ましてやウィルのお誘いを断れるわけがない。立ち上がって踊った。よく分からずクルクルと回されたりしたが、上手い下手関係なく、盛り上がればそれでいいのだ。アフリカ人は本当に音楽が鳴ると勝手に体が動くというくらいリズム感がある。ついていくことは当然出来なかったが、とにかく楽しかった。

 ウィルだけでなく、クラリスもとても別れを惜しんでいた。彼女も、学生さんたちをとても歓迎して、良い友だちが出来たと言っていた。今はSNSで日本—アフリカ間でも連絡が取りやすくなったとは言え、やはり気軽に会いに行ける距離ではない。ましてや彼らはまだ学生さんだ。よく勇気を出して来たなと思う。簡単に会える距離ではないからこそ、今この場を惜しみなく楽しんでいるのだろう。そう考えると、学生さんたちが来てくれなかったら私も彼らに出会えなかったわけだし、素晴らしいプレゼンを聞くことも出来なかったし、ウィルと出会うことも無かった。

  しかし、改めて考えてみると、本当にこの学生さんたちはすごいなと思った。まだ20代前半の、中には19歳の子もいたが、大学生の夏休みを使ってアフリカに勉強しに来るとは。ましてや自腹で来ている子もいた。アルバイトでお金を貯めたそうだ。自分の大学生活を振り返ってみると、アルバイトはしていたが、夏休みに勉強しにアフリカに行くという発想は1ミリも無かったと断言出来る。アフリカの「ア」の字にも興味が無かった。さらに、学生さんの中には、これが初めての海外経験という子もいた。つまり、初海外がアフリカ、しかもベナン。目的は勉強。こういう学生さんがいる限り、日本もまだまだ捨てたもんじゃないなと思える。

 振り返ってみると、そういえば自分は大学生のときはドイツのことを学んでいた。よって、ドイツ語も学んでいた。父親がドイツ好きで、その影響もあったと思うが、あのときはドイツが好きで初めての海外一人旅もドイツにしたくらいだった。

 ところが今、自分はドイツとはかけ離れたところにいる。大陸すら違う。人生とは分からないものだなとつくづく思った。私は大学入学時に浪人をしたため、1年入学が遅れた。しかし、その1年遅れたおかげで一生の友達と呼べる仲間に出会った。視野が広く、勉強が好きな友達に囲まれ、男の話より国際政治の話や美味しい食べ物の話ばっかりしていた気がする。当時は、英語はそれほど得意では無かったが、あまりにも周りの子が進んで英語を勉強していたので、それに刺激されて自分も英語を磨こうと思った。日本のみならず、海外の政治、経済、教育のことを勉強して、私の夢「発展途上国で英語を教えること」が形成された。キャピキャピとした、華やかな大学生活では無かったが、良き友に恵まれ、好きな勉強をして、私なりの青春はしていたと思う。

 さらに、大学院では同じ英語教育を志す同期が4人もいた。今のところ人生で一番辛かったと言える大学院生活も、彼女たちがいたから乗り越えることが出来たし、辛かったのは事実でも、楽しかった思い出の方が強い。彼女たちともまた、男の話よりも英語教育の話をしたり、下らない話で盛り上がったり、時に叱咤激励し合いながら、2年間を共に過ごした。大学の友達も、大学院の友達も、私のベナン行きを止めるどころか心配もせず、激しいほどに背中を押してくれた仲間たちだ。浪人しなかったら出会えなかった仲間たちだ。彼女たちに出会わなければ、私はベナンに行くことをためらっていたかもしれない。「やめなよー心配だよー」と言う仲間だったら私も怖気付いていたかもしれない。何がきっかけとなって人生が変わるなんて、誰にも分からないものだ。浪人した年の19歳のときは、まさか浪人がきっかけでこのような人生を送ることになろうとは思わなかった。第2言語は真っ先にドイツ語を選んだので、まさかこの先フランス語が必要になるなんて思いもしなかった。今ここにいる学生さんたちにとっても、この旅がきっかけとなって彼らの人生が変わっていくかもしれないな。

 これから進路を決めたり、大学に入学したり、就職先を決めようとしている人は、どうか「これが一生を決める」だなんて思わず、今の時点でやりたいことや挑戦したいことをやってみるのがいいと思う。進路変更なんて、やろうと思えば後からいくらでも出来ると思う。なんて、大した人生を送っているわけでもないのに偉そうなことを言ってしまったが、少なくとも大学の第2言語選択は気軽に考えて良いと思う。

 と、感傷に浸っている間にもダンスは続いている。前日にクラリスにダメージされた前髪を披露することが恥ずかしくておでこ全開で来ているのだが、その前髪も短すぎるが故に私の頭で激しく踊っている。しかしもはや気にしてなどいられない。このメンバーがまた集まれる日なんて、おそらく2度と無いだろう。だからこそ、しっかりと楽しんだ。31歳、大人の青春である。

 最後に、学生さんたち。楽しい旅に色々とお邪魔をしてごめんなさい。でも本当に楽しかったし、刺激をもらい、勉強になりました。この先もみんなが青春を大いに楽しめますように。

f:id:MakiBenin:20190910011112j:plain

ウィルたちとご飯を食べながら。この後、ダンスに引っ張り出された。