ベナン人の少年

 10月1日、実は昨夜から外泊をしている。色恋沙汰ではないのは言うまでもない。クラリスが仕事で家を空けているため、私はとあるベナン人の家庭でお世話になっているのだ。昨日、私がカカノでトラブったときに助けてくれた人の家である。何度か来ているので面識はあるし、いつも美味しいご飯を作ってくれるので私は毎度ここに来るのを楽しみにしている。

 ここには1人男の子がいる。彼とも何度も会ったことがある。まだ10代前半なのだが、恐ろしくイケメンである。彼はインターナショナルスクールに通っているため、英語がペラペラである。明日からちょっとした試験のようなものがあるらしく、今日はそのための勉強日ということで、たまたま学校が休みで、私を出迎えてくれた。そして、お母さんが昼間に外出をするので、彼が私の昼ごはんを用意してくれることになった。兼ねてからよく彼が食べていた、インドミというナイジェリアのインスタントラーメンを私に食べさせてみたいと言ったので、私も一緒に作ることにした。彼は非常に手際が良かった。インスタントラーメンではあるが、日本のとは少々異なる。何と玉ねぎやトマトを入れたり、油を直接入れたりするのだ。どんな味になるのか全く予想が出来なかった。

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インドミ
 出来上がったのを見ると、恐らく初めて見る人はこれをラーメンとは認識出来ないはずだ。最大の違いは、玉ねぎがあることでもトマトがあることでもない。スープが無いことだ。どおりで水が少ないと思ったのだ。その水を蒸発させ切って、具材と麺だけが残る。味はというと、想像以上に美味しかった。ラーメンといえば、私は醤油と豚骨派なのだが、このラーメンはどちらでもない。どう形容していいかは分からないが、塩ラーメンに近い気がする。とても美味しかったので、遠慮なく彼の前でパクパクと食べてしまった。

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出来上がり
 食べているときに彼と色々な話をした。この一家は日本人と面識があるため、彼は日本を訪れたこともある。日本語も少し喋ることが出来る。日本のアニメが好きで、YouTube で見ているそうだ。話していて思ったのだが、この少年、イケメンであるだけでなく、恐ろしく頭が良い。子ども独特の舌足らず感はあるが、話にしっかり論理性があり、矛盾が無い。私の、"Why?" に対する理由が、毎度極めて理にかなっており、「何となく」ということがない。私の趣味を尋ねてきたので、お返しに聞き返すと、ここは流暢な日本語で「旅行」と答えた。なぜかその単語は知っているようであった。
 
    "Which country do you want to visit?"
 
と聞くと、
 
    "First Japan, then Dubai."
 
だそうだ。日本に行きたいのは分かる。幼い頃に訪れたので、もう一度行ってみたいのだろう。ドバイに関しては、
 
    "You mean you want to see the tallest building in the world?"
 
と聞いてみた。子どもならではの発想で、世界一の高層ビルを見たいのだろう、という私の予想は大きく裏切られた。何と彼の答えは、
 
    "I mean I want to see if it really exists."
 
だそうだ。彼はさらにこう言った。
 
    "I've ever seen it on the Internet, but what we see through the Internet is sometimes wrong. I want to see it through my own eyes. If I see it through my own eyes, it means it's really there."
 
だそうだ。何ということだ。この少年は、ネットの情報を鵜呑みにしてはいけないということを分かっている。ちなみに補足をすると、ベナンに高層ビルは無い。以前クラリスに、東京タワーやスカイツリーの写真を見せたときも最初は信じなかった。つまり、どれだけドバイのブルジュ・ハリファの写真がネットに出回っていても、実在していると多くの人が分かっていても、ベナン人からすると信じがたいのだ。だからこの少年も、こんな建物が本当に存在しているのかを自分の目で見てみたいのだろう。ドバイに行きたい理由が、ブルジュ・ハリファを見たいからではなく、実在しているかを確かめたいからというのが完全に私の意表を突いていて実に面白い。
 続いて、彼の通う学校の話になった。ベナンではどんな教育をしているのか、とても興味があったため、根掘り葉掘り聞いてみた。
 
    "Do you like your school?"
 
と聞くと、うーん、と少し考えた後、
 
    "Yeah, I like it. But I have one thing that I don't like."
 
と答えた。
 
    "What is it?"
 
と聞くと、
 
    "Our school is called "international school" but I don't think so.
 
だそうだ。なぜ、と聞く前に自ら理由を付け足した。
 
    "Because all the teachers and students are from Africa or China. I cannot say it's 'international.'"
 
だそうだ。なるほど。つまり、彼の学校には、確かにベナン人以外の先生も生徒もいるが、同じアフリカ出身か、中国出身のどちらかということだろう。彼の言う "international school" とはもっと多国籍であっても良いということか。
 さらに、
 
    "Do you have any problems such as bully in school?"
 
と聞くと、
 
    "No! There is no bully in my school!"
 
と言った。これは驚いた。しかも彼は、日本の事情も知っているため、逆に私にこう聞き返した。
 
    "Why do Japanese children bully others? It doesn't make sense! If you want to beat someone, you can beat yourself! They should think about what will happen next before beating others."
 
全くもってその通りである。何も言い返せなかった。決していじめを擁護するわけではないが、日本の子どもたちは日々ストレスを抱えている。どこかで窮屈な思いを感じており、それをどこかで発散しないと行きていけないのだろう。しかし、やはりベナンでも子ども同士ならば何かしらのトラブルは起こるのではないか、と思って聞いてみる、あるとのことだ。
 
    "So if your friends do something bad to you, what do yo say?"
 
と聞くと、
 
    "Actually I have something to tell my friend. I'll tell her to stop it directly tomorrow."
 
おお。タイムリーに女の子のクラスメイトといざこざがあったらしい。しかし、directly というのが興味深い。さらに突っ込んで聞いてみた。
 
    "Directly? What are you going to say?"
    "I'll just say, 'I don't like this, so stop it.'"
    "After that? What happens?"
    "Nothing. Case closed."
 
実にシンプルである。聞けば、彼女は明らかに悪いことをしたから、「やめろ」と言われたら自分の非を認めるとのことだ。しかも、"Case closed." という言葉を使ってくるとは。実は、彼の一番好きな日本のアニメは「名探偵コナン」なのだ。「名探偵コナン」の英語表記である Case Closed に引っかけてこの言葉を使ったのだろうか。だとしたら、彼は非常にウィットにも富んでいる。言いたいことは本人に直接言うというのは、シンプルな解決法であるが、国民性のものではないか。誰でも出来るわけではない。以前、クラリスも私をナンパしてきた人に直接、
 
    "You are too ugly."
 
と言ったことがあった。これは国民性というより、クラリスだから出来ることのような気もするが。いずれにしても、ベナンの子どもたちはしっかり問題解決能力を持っていると思った。そして、ダメなことはダメ、と認識出来ているのだろう。嫌な思いをすれば、直接本人に訴える。そして、言われた側も自分の非をしっかり認めるということだ。それならば確かに解決が早い。
 少し話は逸れるが、お昼ご飯を作っている合間に、彼は YouTube で、ベナンや他のアフリカの国の歌を聞かせてくれた。そして、ちょいちょいどんな歌詞であるかを説明してくれた。何と、政府や政治への不満を綴った歌であった。「貧困故に仕事が無いから行きていけない」「仕事をくれ」というような歌詞や、大統領を名指しで訴えている歌もあった。言いたいことは、直接ではないにしても大統領にも言えるということか。
 彼との話があまりにも興味深かったので、もはや相手が子どもであることを忘れて、ディスカッションのようにもなった。日本の教育の痛いところをズバズバと突いてきた。『どうして先生を尊敬していない子どもたちがいるのか。』と聞かれたが、これに関してはそうせざるを得ないほど、変な先生もいるからだ。教員の不祥事は毎日のようにどこかで起こっている。親や子どもたちが学校に声を上げることも、時として正しい。そうでないと子どもを守れないからだ。また、彼とのディスカッションで私は、どうして日本の学校ではいじめが起こるのかという問いに一つヒントをもらった気がした。
 以前、「ガンビアと食糧問題とアフリカ的幸せと恐ろしい考え」という記事でも紹介したが、アフリカとは長らく文字を持つことを拒んできた大陸であるとのことだ。つまり、「発展していないから識字率が低い」とは一概には言えないということだ。彼らからすると、文字を持たないのは、文字よりも話し言葉の必要性を感じているからなのだろう。一方、日本は真逆である。大昔から日本はあらゆる面で書物に頼っている。決まりごとは文書化され、「言った」かどうかより、「書いた」かどうかで真偽を判断されることが多い。つまり、歴史的に日本人は人に何かを直接言うことが慣習として根付いていない民族なのではないか。だから、時に直接言うことは失礼とすら見なされることもある。そして高度経済成長期あたりからだろうか、日本人のライフスタイルが大きく変わり、子どもも含めて国民全体がストレスやプレッシャーを抱える社会となった。言いたいことが言えないことをフラストレーションとして溜まり始めた。子どものみならず、大人の社会でも、思ったことや言いたいことが陰口となって吐き出されるようになり、ネット上の陰湿いじめのみならず、時に暴力を伴って不満をぶちまけるようになったのではないか。直接発言しない代わりに「空気を読む」などという概念が生まれ、そこからはみ出る人たちの行き場が無くなった。ベナンの子どもたちの話し合い解決能力は素晴らしいと思ったが、残念ながらこれをそのまま日本に持ち込むことは出来ない。日本人には日本人の気質や、社会的、歴史的な背景があるのだから、『ベナン人のように言いたいことは本人に直接言いましょう。』と言ったところで新たないじめを生むだけだ。少年とのディスカッションで、日本でなぜいじめが起きるのかについてのヒントはもらったが、解決策にはならない。日本人が持つ気質に根付いた解決方法でないと、いじめは絶対に無くならないだろう。
 一方で、ベナンの教育の課題も見えた。あくまでも私から見て「課題」であると思うだけだが。前から聞いてはいたことだが、この少年もベナンの学校では体罰は当たり前のことだとサラリと言った。悪いことをしたら親も先生も叩いて叱る。断言しておくと、私は絶対に体罰は認められない。ベナンの教育の素晴らしいところは分かったが、体罰だけは絶対に肯定できない。彼が言うには、だからこそ子どもたちはやっていいことと悪いことの区別が分かるというが、今の日本社会には全く合っていない。たまに、『今の子どもたちはすぐに弱音を吐く。昔はもっと厳しかった。』という意見も聞くが全く論外である。時代が違うのだから子どもたちを取り巻く環境も変わった。誰も子どもたちを責めることなど出来ない。ベナンでの体罰に関しては、少年の話を聞いていると子どもも親も容認しているようだ。それが当たり前の社会で育ってきているからだろう。
 彼とのディスカッションは実に興味深かった。お互い『なぜ?』と紐解いていくと、『なるほどね。』というように起こっている出来事に理由があることが分かった。ベナンの教育で、取り入れたいと思うことはたくさんある。しかし、日本の教育事情に合わせて変えていかないと新たな問題を生むだけになることが難しいところだ。そして、海外で先生をするということは改めて大変なことであることに気がついた。相手の文化や歴史の中に「入っていく」ということなのだ。当たり前のことだが、日本の文化を押し付けることは出来ない。しかし、日本人のアイディンティティを捨てることも出来ない。実際に働くまでの間に、よくよくベナン人の文化や学習状況などを踏まえておかなければならないと思った。
 昼ご飯を食べた後、彼と出かけた。2泊お世話になるので、お母さんと彼に何かジュースやお菓子を買いたいと思ったのだ。近くにスーパーがあるので、連れて行ってもらうことにした。彼は、イケメンで頭が良いだけでなく、何とこの歳にして紳士的でもあった。バイクタクシーがビュンビュン走っているので、私を内側で歩かせてくれたり、道を渡るときは必ず私の安全を確認してくれたり、雨上がりのため、車が通るときに泥が跳ねないよう守ってくれたりした。もうこの頃には私は彼を息子だと思って、『立派に育ったねぇ。』という眼差しで見ていた。スーパーでも、店員さんが私に話しかけてきたときに通訳をしてくれた。すると、店員さんと後ろに並んでいた客から拍手が起こった。彼はお店の人と現地語で会話していたが、私に通訳するときにうっかりフランス語で言い、その後に英語で言い直したのだ。現地語とフランス語のバイリンガルなら、学校に行っている子どもなら当たり前のことだが、子どもが英語を話したことに周りの大人がビックリしたそうだ。そしてさらに、店員さんが私が日本人であると分かると、彼に『じゃあ日本語も教えてもらえるわね。』というようなことを言ったそうだ。そして彼が、『もう日本語は少し分かってる。』の主旨のことを言うと、さらに驚いていた。確かに、彼の日本語のリスニング能力はだいぶ高い。4ヶ国語話者になる日は近いだろう。ここで私はまた『立派に育ったねぇ。』と目を細くして見ていた。お母さんや彼のためにジュースとお菓子を買い、帰り道にオレンジも買ったので、そこそこ重くなった袋を彼は私の代わりに持ってくれた。大きな袋を抱えながらも、帰り道もしっかりエスコートをしてくれた。自慢ではないが、31年生きていてこんなに男性に守ってもらったことは無かった気がする。もはや『立派に育ったねぇ。』ではなく、尊敬の眼差しで見ていた。
 夜ご飯も一緒に食べた。彼は少々食が細いことが心配だ。こんなことを心配し始めたあたりから、私は完全に母親目線で彼を見ていた。気がつけば、
 
 "Why don't you eat more?"
    "Did you finish studying for the tests tomorrow?"
    "What time are you going to wake up tomorrow?"
    "I'm sure it will rain tomorrow. Don't catch a cold."
 
などと言っていた。今思い返すと恥ずかしいのだが、目だけでなく、体ごと常に横に座っている彼の方に向いていた。さぞかし鬱陶しがられていたことだろう。自分の未来の家庭の様子がしっかりと見えた。きっと私はこうやって旦那様よりも子どもの方にばっかり目が行くのだろうな、と。