引越し完了と城との別れ

 1月29日(水)、昨日無事に引越しが完了した。今日は、管理会社との鍵の受け渡しと掃除をするべく、最後に私の城に立ち寄る。

 引越し期間がわずか数週間で、しかも最強に忙しい中でよくやったと自分で自分を褒めてあげたい。一時はどうなるかと思った。本気で間に合わないのではと思ったが、どうにか終わった。
 今日は、実家から私の城に向かった。道中、寂しさがこみ上げた。これを書いている今でも、涙が出そうになる。同じく都内にある実家と私の城は片道で1時間半くらいあるのだが、その間に私の城に向かうときにしか使わないような電車に乗る。もうこの電車に乗ることも恐らくないだろう。通勤ラッシュがすごかったが、遅延することがあまりなくて、割と気に入っていた。
 鍵の受け渡しは昼過ぎなので、午前中から行って、掃除をする。昼をまたぐので、パン屋さんに寄り、昼ご飯を調達した。電気ケトルは今日持って帰るつもりなので置いてきているし、電気も今日まで通じる。コーヒーを沸かして、あの家で最後の昼餐といこう。
 もうこの駅で降りることもないだろうな、もうここのコンビニに寄ることもないだろうな、もうこの道を歩くこともないだろうな、といちいち寂しさを感じながらマンションに着いた。オートロックで宅配ボックスつきのマンションで、最初にそれを知ったとき、エントランスで不動産屋さんとはしゃいでたっけ。
 部屋に入ると、誰もいないのに「ただいま」と言っていたっけ。今日は精一杯大きな声で言った。荷物がない、広さを感じるこの部屋を見るのも引っ越してきて以来だ。都内のマンションにしては広い方で、最初に見たときは驚いたっけ。
 風呂の掃除はすでに完了していたので、トイレ掃除を行った。ウォシュレット付きだが、私はあまり好きではないので使っていなくて、私の友達が先に使っていたっけ。一人暮らしをして間もない頃、平日休みに一人しゃぶしゃぶランチをしてきたら、肉のしゃぶしゃぶ加減が足りなかったのか、夜に猛烈に吐き気と腹痛を起こして、このトイレで吐きまくったっけ。結局あまりにも腹痛がひどすぎて、親に電話した後、救急車を呼ぶ騒ぎになったんだっけ。薄れゆく意識の中で、救急隊員に半裸を見られたことすらどうでも良いから早く私を助けてくれって思っていたっけ。夜中に駆けつけた両親が、私の家に泊まったとき、病人の私を差し置いてベッドで寝ようとしていたっけ。そんな思い出のあるトイレも念入りに掃除をした。
 キッチンにも思い出がある。実家からパクってきたものもあるが、キッチン用品はコツコツと買い揃えた。料理は出来る方だと自負しているが、初めの頃は分からないこともあって、よくお母さんに電話をしながら料理のことを聞いていたっけ。肩と耳にスマホを挟んで会話をしていたら、よく鍋にスマホを落としたっけ。色々な調味料も集めたな。休みの日は食料の買い出しに行って、一日中料理するのが楽しかったな。我ながら相当綺麗に使ってきたと思う。思ったより汚れておらず、傷もなかった。お世話になったキッチンだから、愛おしさを込めて念入りに最後まで綺麗にした。
 キッチンだけでなく、フローリングも窓も、ほとんど汚れていなかった。大好きな家だから、掃除を怠ったことはなかった。洗濯をするのも好きだった。特に晴れた日には、洗濯物の匂いも好きだった。最後に下駄箱や玄関も念入りに掃除をした。
 一通り掃除を終えたところで、最後の昼餐をとった。買ってきたパンを食べ、コーヒーを飲みながら改めてこの3年間を振り返った。
 一人暮らしをしたいって言ったとき、まあまあ反対されたな。寝起きが悪いあんたが1人で起きられるかいな、と言われたっけ。そんな私がこの3年間、仕事にも何にも一度も遅刻したことがないくらいちゃんと起きられるようになったな。いや、友達とバスツアーに出かけるときに、出なければいけない時間に起きちゃったことが1回あったくらいだったな。でも、経済的にも全く頼らずに赤字になっても自分でちゃんと辻褄を合わせていたな。いや、生活が苦しくなったら実家から相当コンタクトの洗浄液と食べ物をパクって帰ってたか。でも、どれほど遅く帰っても、疲れて帰っても、コンビニや外食に頼ることなく自炊してきた。しかも、意外と健康オタクだから食材のバランスも考えていた。洗濯物も溜めなかった。いや、1回くらい2日間同じ下着をつけていたことはあったかもしれない。テレビが無いから、YouTubeフィギュアスケートを見てよく泣いていた。テレビ嫌いの私が唯一好きな番組のイッテQは、よく食後のアイスとともに爆笑しながら見ていたっけ。隣に住む男の下手くそな歌に悩まされていたこともあったっけ。家電を買い揃えるときも楽しかった。親の意見を聞きたくて、両親を連れて行ったのだが、あまりにも私が値切り倒すので、お父さんがお母さんに、
 
 『あいつはそんなに生活が苦しいのか。』
 
って言ってたな。娘が浅ましいほどに値切っている様子を見て、呆れていたっけ。住み始め当初は新築だったので、グーグルマップやカーナビに反映されていなくて、隣の似たマンションと勘違いをしていろんな人が間違えて来たっけ。間違えて来ちゃった中国人とモニター越しに英語と中国語で会話をしたこともあったっけ。マフィアかと思って本当に怖かったな。色んな勧誘にもあったな。あまりにもしつこかったから、モニター越しに英語で、
 
    "I'm not Japanese."
 
と言ったら、次からは私より英語が流暢な人がやって来ちゃったっけ。都内にしては設備も整っていて広いし、家賃も安いから友達にはよく、
 
 『事故物件なんじゃない?』
 
とか、
 
 『元墓地とか病院だったりしない?』
 
とか言われたっけ。実際、いきなり物が落ちたり(引っ越した当初で片付いていなかっただけ)、閉めたと思った扉が空いていたり(ただのうっかり)、「なんかいる」感はあったっけ。でも、いたとしても3年間うまく共存していたということだ。いたとしたら、守ってくれていたのだと思う。救急車沙汰を一度起こしただけで、あとは何もトラブルが無かったのだから。
 色んな人が遊びに来てくれたな。友達、同僚、先輩、本当に数え切れないほどの人が遊びに来てくれた。来た人全てがムーミンだらけのこの部屋に驚いていたな。私がベナンに行っている間に、大型の台風が東京を襲ったので、後からお母さんが様子を見に来てくれたこともあったな。幸い何も割れていなかったけど、様子を見に来たついでにお母さんがこの部屋でお昼を食べたらしい。その光景を想像するとちょっと泣けてくる。お母さんがこの部屋に来たのか。きっと色々チェックしたんだろうな。インスタントラーメンを買い込んでいないかとか、散らかっていないかとか。でも、
 
 『あら、意外とちゃんとやってたのね。』
 
って思っていたと思う。一人暮らしをする前は色々心配もしていたと思うが、ようやくその心配も無くなったと思う。ベナンに行っていた4ヶ月、主人を失ったこの家にいるムーミンたちにも寂しい思いをさせた。ようやく帰って来たと思ったら1ヶ月で引越しになったし。
 本当にこの部屋が大好きだった。静かで、綺麗で、ムーミンだらけで。全部好きだった。自慢の部屋だった。西向きで、夕方以降に明るくなってくるのが特に好きだった。大好きなこの家に帰るのがいつも楽しみだった。こんな大好きな部屋を手放してでも、自分はベナンに行くのだ。あの蚊とゴキブリとクモだらけの家を選んだのだ。我ながら本当に物好きだと思う。
 この家を紹介してくれた不動産屋さんにも感謝だな。ちょっとチャラかったけど、仕事はちゃんとしてくれた。そしてこの部屋には何回ありがとうと言っても言い足りない。何度も声に出して「ありがとう」と言った。物がないから「ありがとう」が響くのも何だか切なかった。
 時間通りに管理会社の人がやって来た。傷や不備がないかを確認してくれた。その人も、
 
 『だいぶ綺麗ですね。』
 
と言ってくれた。なんてったって、私の生活を支えてくれた家だ。そりゃ綺麗に使う。無事に鍵の受け渡しも済んだ。いよいよ、この家を去る。もう2度とここに来ることはない。管理会社の人だけ残して、私が先に部屋を出た。心の中でも何度もありがとうと言った。主人はベナンへ移り住む覚悟が出来てしまった。ちょっと頼りない主人だったかもしれないけど、本当にありがとう。次に入る人がもう決まっているらしいから、その人もしっかり守ってやってくれよ。涙がこらえられそうにない。この涙は寂しさゆえのものでもあるが、いよいよ私の日本での居場所を自ら手放したことで、ベナンで生きていく覚悟を改めて感じてしまったからでもあるかもしれない。ベナンに嫌気がさしても、もうそう簡単には戻れない。日本での私の城は失った。今度はベナンで築くのだ。

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最後に思い出に、と思ってこの写真を撮ったところでカーテンを取ることを忘れていたことに気づき、この後慌てて撮った。