アフリカの現実に涙した日

 8月17日、今日はクラリスととても大事な約束をしていた。そう、クラリスとの協同プロジェクトを実行するべく、学校に行けない子どもたちにインタビューをすることである。昨晩、念入りに打ち合わせをし、質問事項も書き溜め、準備をしておいた。クラリスが現地語でインタビューをし、私がビデオや写真を撮る係だ。
 クラリスは兼ねてから、この近所にだけでも数十名は学校に行けない子どもたちがいるはずだ、と言っていた。だから歩いて行くことが出来るというのは分かっていた。ところが、インタビューに出かけてすぐ、私は衝撃を受けることになった。
 家を出てすぐにクラリスが、
 
    "Let's start with this house." 
 
と言った。何と、近所どころではない、歩いて数歩の距離にある家に早速学校に行けない子どもたちがいたのだ。出かけるときによく挨拶をする家族である。私をガン見しながらも手を振ってくれた子どもたちである。何ということだ。過酷な現実がこんな目の前にあったのか。
 クラリスに、写真やビデオを撮る許可を親から得るよう頼み、早速インタビューが始まった。現地語で行われたため、私にはさっぱり分からなかったが、クラリスが時折訳してくれた。この家には2人の男の子がおり、2人とも貧しさゆえに学校に行けないと言う。母親にもインタビューをした。とてもとても学校に行かせられる状況ではないと言う。同じ女として、そしていつかは私も母になる可能性があるのだから、子どもたちに学ぶ機会が与えられない母親の苦しみが分かる気がする。
 2つ目に向かった家庭では、母親が授乳をしていた。この家庭では学校に行けない子どもは2人いるという。クラリスが母親にインタビューをしたい旨を説明している間、子どもの1人が私たちに椅子を用意してくれた。しかも、手でホコリなどを払ってきれいにしてくれた。優しい子なんだな、と思った。
 インタビュー中、母親含め、子どもたちも何か食事をしているようであったが、明らかに栄養が取れるようなものではなかった。洗濯は濁った水でされていた。着ているものは、何日も洗濯がされていないようだった。クラリス曰く、この母親は、子どもを学校に行かせることはあまりにも困難すぎると言っていたそうだ。あまり日本ではじろじろ見ては行けない現場であるが、授乳もままならないのではと思って見てみると、やはり母乳は出ていないようだった。乳幼児にとっての生命線である母乳が出ないとは、母親の気持ちはどんなものか…。ここで衝撃だったのは、この家庭に御礼を行って去った後、クラリスがこう言ったことだ。
 
   "Maki, look at this. This is a school, and they live here."
 
耳を疑った。何と目の前に学校があるのだ。しかし彼らにはその門が閉ざされているのだ。子どもたちはどんな気持ちでこの学校を見ているのだろう。毎朝、ここに登校してくる他の子どもたちを、どんな顔をして見ているのだろう。
 次に向かった家庭には、母親は外出中で父親がいたので、父親にインタビューをした。やはり、貧しさゆえに食べていくことすらままならないという。子どもたちは1日何も食べずに過ごすこともあり、不衛生な水を飲んでお腹も下しているという。
 ここには子どもが多くおり、たくさんインタビューすることが出来た。私が動画を撮っていると、他の子どもたちが寄って来た。全ての家族で記念写真も撮っているので、ここでも撮ろうと思い、私がかけ声で
 
    "Three, two, one."
 
と言うと、1人の男の子が真似をした。そのあとも何度か写真を撮ったが、この男の子はかけ声を真似している。よくこの短期間で英語を覚えられたなあと感心して褒めちぎった。
 インタビューが終わり、クラリスが父親と話しているときに私も子どもたちと写真を撮っておきたいなと思い、子どもたちを呼び寄せ自撮りをしようと思ったその瞬間、躊躇した。どんな顔をして撮ろうか、と。果たして笑っていいのだろうか。何気なく子どもたちを見たら、皆笑顔だった。子どもたちが笑顔ならば、私も笑顔でいいか。そうか、別に過酷な状況でも笑うことは悪いことではないのか。
 日も暮れたので、今日のところはこの家庭を最後にした。御礼を言って出てすぐ、クラリスが言った。
 
    "Maki, this is a school, too."
 
何と、ここにも学校があった。しかも見覚えがある。何とここは、2018年に来たときに見学させてもらった学校だ。しかもここは私立だと言う。あのときはただのお客さんとして来たため、楽しい思い出しか残っていない。しかし、この学校を出て数歩のところに貧困にあえぐ家庭があったのだ。あのときは見えなかったものが、今なら見えるのだ。
    クラリス曰く、英語でかけ声を真似た少年はここの学校に通っているという。だから英語を習っているのだ。てっきり兄弟だと思っていたが、彼は友達だったようだ。彼もまたこの近所に住んでいるが私立に通い、一方でインタビューをした子たちは同じエリアに住んで、目の前に学校があるのに通えないのだ。あまりにも残酷すぎる。
    帰り道、私は沈黙だった。クラリスも珍しく黙っていた。空を見上げると、いつも通り変わらない澄んだ空と遠くに夕焼けが見える。誰もが見ることができる光景だ。それなのに、空の下はどこまでも不平等でしかない。私は日本で生まれて日本で育った。食べ物の心配も教育の問題も、何一つ無かった。でも、私はあの子たちだったかもしれない。あの子たちと同じように今日は食べられるだろうかと心配していたかもしれない。学校に行きたい、と訴えていたあの子たちだったかもしれない。あるいは私は、母乳が出なくて途方に暮れていたあの母親だったかもしれない。あるいは、子だくさんの中、妻と2人で育てている父親だったかもしれない。どこに生まれおちるかなんて、誰にも分からない。はじめて目の当たりにした過酷な現実に涙が流れたが、クラリスに気づかれないようにそっとぬぐった。私の涙など誰も必要としていない。子どもたちよ、どうかもう少し待っていてほしい。
 

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最後にお邪魔した家庭で記念撮影