その名もMr. リオネル

 8月15日、日本では終戦記念日にあたるこの日は、ここベナンにとってもカトリック教会設立の記念日であるそうだ。カトリック信徒でなくても、全ての人にとって祝日となる。前日にクラリスと、「明日は教会に行こう」と決めていた。朝7時頃に目が覚め、8時近くまでお互いのベッドでクラリスとまどろんでいた。何とも幸せなときである。

 突如、その甘い幸せから現実に引っ張りだすノックの音が聞こえた。クラリスはいつも通り半裸(ときに全裸)で寝ており、タオルだけを巻き付けた状態で玄関に向かった。何と、私の雇い主である人物が来ているという。その名も、Mr. リオネル(以下、リオネルさんと記す。)。リオネルさんは私が勤めることになる学校の最高責任者であり、クラリスもその学校に通っていたため、クラリスにとっては恩師でもある。聞けば、クラリスに頼みたいことがあったようで、また私とも仕事の話をするべく来たとのことだ。事情は分かったが、ベナンでは事前連絡無しに人の家に来ることがあるのか。
 クラリスは寝室のドアを開け放してリオネルさんを迎え入れようとしているが(というかそもそもドアが壊れており、閉まらない。)、リビングから寝室は見えない構造になっているため、何も気にせずパジャマからちゃんとした服(と言っても懲りずにまたステテコ)に着替えた。その時であった。リオネルさんがトイレに向かうために寝室を通過した。何ということだ。あと1秒ズレていたら半裸を見られるところであった。
 その後、リビングで3人で集まった。クラリスがリオネルさんに頼まれたことをやっている間、私と彼は仕事の話をした…と言いたいところだが、ひたすら私をsecond wifeとして迎えるために力説をしている。ここベナンは、一夫多妻もよくあることだ。しかし皆さん、ご安心ください。本気ではありません(多分)。
 
    "I like you because you love your family."
 
と、しっかりお断りをして、さて仕事の話をしましょうや、と言うと、今度は爆音で音楽をかけ始めた。ここベナンでは、朝っぱらからあちらこちらで爆音で音楽が鳴っている。近所迷惑という概念は無いようだ。リオネルさんに至ってはスピーカーを肌身離さず持ち歩く。そして、何と私へのラブソング、といって小一時間歌い始めた。
 実は、リオネルさんの学校で雇ってもらうことは確定しているのだが、実際に仕事はまだ始まっておらず、だからこそずっとフラフラと出歩いているのだ。このBlogを見ると、何とも私は暇そうに見えていることだろう。今日は実際にいつから働き始めるのかなどを話し合える、と思っていた。
 クラリス曰く、リオネルさんは相当忙しい人物だそうだ。確かにメールの返信も遅い。ところが、そのリオネルさんは今、私の横でラブソングを熱唱している。彼は本当に忙しい人物なのだろうか。一方、クラリスはせっせとリオネルさんに頼まれたことをやっている。私を助ける気は無さそうだ。私はひたすら熱唱が終わるのを待った。他にどうすることが出来ただろうか。
 ようやく熱唱が終わると、リオネルさんは疲れ果てたのか、明らかに眠そうである。そのタイミングで、
 
    "Maki, I'll tell you how to teach English."
 
と言って、ようやく研修が始まったようだ。同時にフランス語でクラリスに何かを頼んで買いに行かせた。研修というのは、英語のスピーキング能力を高めるためのノウハウを紹介している動画をYouTubeで見て、リオネルさんとああだこうだ話し合うもので、なかなか楽しかった。しかしリオネルさんは疲れていて眠そうだ。
 クラリスが帰って来た。手にしていたのは何と…マットレスこの家にソファがない。私もそのことはクラリスに訴えていた。しかし、クラリスにとっては必需品ではないようで、私の訴えは棄却されていた。ところが今日、どうやらリオネルさんも訴えたようだ。クラリスも、恩師に言われては買いに行かざるをえない。かと言って、ソファはクラリス1人では持ち帰れない。ということで、折り畳んで使えるマットレスを買って来たようだ。マットレスを得たリオネルさんはとても嬉しそうで、早速横になり始めた。
 ところが、そんなときにクラリスがリオネルさんに頼まれた仕事で何かアクシデントがあったようで、リオネルさんは再び起きた。結局そのまま帰るまでリオネルさんは横になる機会を奪われたままで、リオネルさんが帰った今もそのマットレスはリビングに置いてある
 その後、リオネルさんは日本語を学びたいと言い始めて、良いアプリを探してくれと私に頼んだ。英語のヘルプがあり、ひらがなとカタカナを学ぶことが出来るアプリをダウンロードしてあげて、教えてあげることになった。これまた恐ろしいほどに彼の言語習得は速かった。もはやアルファベットの読み方が書かれていなくても読めるのではないだろうか。そこへ、クラリスが負けじと入ってきた。かつては先生と生徒の関係だったようだが、今は友達のように張り合っている。やれ、ひらがなの発音は自分の方が上手いだの、自分は「おはよう」が日本人と同じ発音で言えるだの、恐ろしく初歩的なレベルで張り合っている。しかし、クラリスもリオネルさんも、非常に習得が速い。これまでクラリスの前では『何でそうなるんだよ』とか『効率というものを考えてくれ』と日本語で突っ込んでいたが、いつの日かそれが出来なくなるかもしれない。
 まあまあ、お2人ともお上手ですよ、となだめた。そして今日もまた、2人の携帯は鳴りっぱなしだ。リオネルさんは確かにお忙しい人物のようで、頻繁にメールも電話も鳴っている。クラリス曰く、彼はフランス語で『僕は今忙しいんだ。とても大事なミーティング中なんだ。』と言っていたらしい。確かに"meet" はしているが、"ミーティング" ではない気がする。
 結局、リオネルさんは夜8時くらいに帰った。つまり、丸一日私と話をしていたということだ。クラリス曰く、これはとてつもなく稀なことで、それほどまでに私を歓迎してくれているということらしい。
 ここまでの話できっと読者の皆さんは「リオネルさんの元で働いて大丈夫か?」と心配して下さっているかと思うが、リオネルさんはとにかく明るく人を楽しませることが好きなのだ。どれほど忙しくても疲れていても、それを人に見せることなく(今日を除いて)、いつも変わらぬ態度で接してくれる。私が大学院に学んだ英語教育理論のことも真剣に聞いてくれた。彼は決して私を否定しない。そして、ふざけた行動をしているように見えて、とてつもなくオープンマインドなのだ。
 彼は幼い頃からたくさんの苦労をしてきたそうだ。学歴をつけたのも、そして学びたい人のための学校を作ったのも、そういった彼の人生が基盤となっているのだ。
 そもそも、2018年12月にはじめてベナンに行ったとき、実は彼の学校で授業をさせてもらったのだ。そしてちゃっかりそこで就活もした。採用に至るまで何と数日しかなく、しかもそれほどじっくり話したわけでもない。ましてや私は英語のネイティブスピーカーでもない。フランス語は全く話せない。それなのに私を雇ってくれた。彼は元々日本が好きだとは言っていたが、日本人の私を雇ったのではなく、マキだから雇ったんだ、と言ってくれた。彼は、学校に日本とのつながりを持たせたいとも言っていた。日本に留学する学生が増えてほしい、とも。いつか、私のかつての生徒たちとの交換留学プログラムなどが出来たらと思う。
 私は人にとても恵まれている、とどこかでも書いたと思うが、リオネルさんと巡り会えたこともまた、とても幸運なことであった。
 視野が広くオープンマインドで、外国語習得が好きで、笑うときはとても豪快で、困っている人がいると放っておけない、時に冗談を言い、時にちゃんと真面目な話もし、食べることが大好きで、"Let me eat first." が口癖で、レストランでは私の皿が空になると必ずウェイターを呼び追加の料理を頼み、フランクで威圧感は一切無い、というか遠慮もない、そして人が話をしているときにチラチラとテレビを見てはサッカーの試合が気になって仕方がない、その名も、Mr. リオネル。