ガンビアと食糧問題とアフリカ的幸せと恐ろしい考え

 9月13日、何となくダルさと頭痛が残っているものの、マラリアからはほぼ回復したと言って良い。今日は、以前このBlogでも紹介した、私の友人の菅野瑞穂(すげの みずほ)さんから先日、大変役に立つ情報をいただいたので、この場で共有をさせてもらえればと思う。
 1つ目の情報は、以下の写真である。ガンビア大統領が書いたものである。

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朝日新聞8月27日発刊
 ここベナンでもそうだが、朝食を学校で食べるというのは非常に良いことだと思った。日本では、朝食を食べる時間が無くて空腹のまま学校に来て授業を受ける子が多い。そして結局集中出来なかったり、貧血で倒れたりする。ベナンに来て、ベナンやアフリカのことを知ると、『日本もこうすればいいのに。』と思うことが多い。決して日本の方が全てにおいて優れているとか進んでいるということは無いのだなと改めて気づかされる。
 また、この記事によると、ガンビアは現在は WFP に頼りながら給食を提供しているが、将来的には自立をして提供出来るようにしていくとのこと。援助という国際協力は非常に大事なことではあるが、いつかガンビアガンビア自身で自国民に食糧を供給出来るようになったら、ガンビアだけでなくアフリカ全土がもっと活性化して、必要なところにお金がしっかりと回るのではないかと思う。
 2つ目の情報は、すでに終了しているが農林水産省主催のイベントである。
 
 
日本にいたら確実に行っていたと思う。どれも興味を引くものばかりだ。人類が直面している問題は実に複合的である。食糧問題には人口の問題も含まれているのだ。アフリカの人口は増える一方だ。ここベナンでも、1つの家庭に子どもは2人以上いるのが普通である。しかし、この増え続ける人口と食糧供給という問題に関して、これほど多くの専門家の方々が日々知恵を出し合い、素晴らしい方法や画期的なテクノロジーを考え出したり生み出したりしている。人間の知恵とは無限であると思った。
 3つ目の情報は、2組の日本人のインタビュー記事である。
 
 
 山田さん夫妻も、村尾さんも、「アフリカ的幸せ」について言及している。今を楽しむ生き方、とはまさしくベナン人の生き方を的確に表していると思った。山田さん夫妻も述べていたが、先々のことを考え、貯蓄をすることが当たり前の私たち日本人には非常に恐ろしい生き方ではある。ここベナンでも、ベナン人がそのような考えを持っていることは滞在1週間ほどで分かった。しかし、私はそれに関しては全く改善して欲しいとは思わない。それが彼らの生き方であり、そこは尊重しなければならないし、もっと言うと自分とは全く違う生き方をしているから大変興味深いのだ。一度、クラリス
 
    "I have no money with me! I have to survive with no money for two weeks!"
 
と言ったことがある。驚いたし、少し焦ったが、彼女は頭が良いので、物々交換などできちんと食料は確保してくれた。こんなこと日本にいたら決して起こらないだろう。だから面白いのである。従って私はクラリスに、お金を貯めておくことや先のことを考えておくように言ったことは一度も無い。お金が無ければ無いなりに、彼女はきちんと対処出来るし、お金を使ったことを後悔しない。普通預金と定期預金があって、必要なときにお金を引き出せる日本人とは違う生き方をするからとても惹かれるのだ。
 また、村尾さんが言うには、アフリカとは長らく文字の文明を拒んできた大陸であるとのことだ。私は初めて知った。これまた文書化することが文明であると思っている先進国とは真逆の考え方であり、面白い。対話が重視されているというのも、ベナンでとても感じる。スーパー以外の個人商店は商品の価格は交渉で決まるのだ。
 以前、クラリスとバイクタクシーに乗っているとき、前日に大雨が降ったので道路に大きな水たまりが出来たため、ドライバーがそこを通ることを拒んだことがあった。ベナンの住宅街の道はデコボコで、雨が降ると尋常ない水たまりがあちらこちらに出来る。その水たまりにはまるとバイクは確実に泥まみれになる。その水たまりを避けてドライバーは運転しなければならない。一方でクラリスは『金を払ったんだから、行け。』と主張した。前からドライバー、私、クラリスの順で座っていたので、私は文字通り板挟みで2人の言い合いを前からも後ろからも聞いていた。するとそこで通りがかった夫婦が仲裁に入った。何事かと、色んな人がやって来た。タイミング悪く、何と私はそこで便意を催した。幸い自宅にまあまあ近かったため、鍵を受け取って小走りで帰宅して事なきを得たが、後でクラリスからその後どうなったかを聞いた。すると、ドライバーはやはりバイクが汚れることを気にして通ることを拒否し続け、クラリスは『そもそも、水たまりを歩いて通ることを避けたいからバイクタクシーを呼んだ。金を払ったのだから通るべきだ。』と主張し続けたそうだ。結果、ドライバーはドライバーの意地を見せたのか、その道を通ることにした。しかしクラリスの乗車は拒否したそうだ。つまり、ドライバーはクラリスを乗せずに家の前まで確かに来たのだ。クラリスは歩いて家まで来たそうだ。そして、クラリス家の前で、乗車を拒否された分を差し引いた額を払ったそうだ。一応、双方の要望は通り、引き分けのように見える。クラリス曰く、仲裁に入った人たちがそのように提案したのだそうだ。これは非常に面白い。クラリスは完全に納得したわけではないようだが、一応解決となった。道を歩いていると、揉めている人に出くわすこともある。大抵はお店かバイクタクシーのドライバーと揉めているので、おそらく価格などで揉めているのだろう。しかし、その場にいるのは当事者だけでなく、明らかに通りすがりの人も話し合いに加わっている。こういった光景を見られるのもアフリカならではだ。先進国では全て法のもとに支配されていて、どちらが悪いかは裁判所が決める。アフリカと先進国、どちらが良いかという話ではなく、私は単に日本では見られない光景を見られることが面白くて楽しいのだ。
 瑞穂さんから頂いたこの3つの情報を見て思ったことは、将来的な自立を前提として、アフリカへの援助は絶対的に必要であるということだ。しかし、中には「侵出」を目指してアフリカに乗り込んできている人もいる。先進国が先進国的な考えをアフリカに植え付けてしまうのではないかということに私はとても恐れを抱いている。先々のことを考えて貯蓄することなどは確かに大事である。先進国の生き方も尊重したい。しかし、今を生きる彼らの生き方も私は好きなのだ。世界中が先進国的な考えに染まったら、生き方が違うことを興味深いと思うことも無いだろうし、「異文化交流」などという概念も無くなってしまう。
 ふと、恐ろしい考えがよぎってしまった。
 
もし、ガンビアだけでなく、アフリカ全土が援助に頼ることなく食糧供給が出来るようになったら。
もし、農林水産省のイベントに登壇された方々だけでなく、世界中の専門家の考案した方法やテクノロジーが実現して、食糧難に陥る国が無くなったら。
もし、将来的に援助を必要とする国が無くなったら。
 
もちろんとても素晴らしいことである。人類の夢だからだ。しかし、「発展途上国」という概念は無くなる。従って、私のように『発展途上国で英語を教えたい』という夢を持つ人はいなくなる。食べ物や水や電気の大切さを思い知らされることも無くなる。教育の価値を改めて知ることも無くなる。「発展途上国」という概念があるから、人間の知恵が試され、テクノロジーも次々に生み出されていく。こう考えてしまった自分が恐ろしかった。しかし、誰もが、食べ物や水や電気、そして教育を当たり前のものとして認識してしまったら、それもまた恐ろしいことなのではないか。
 人間の知恵もテクノロジーも無限だ。いつかあらゆる問題が解決される日が来るかもしれない。1000年後に生まれていたら、「国際協力」という概念は無くなるかもしれない。異文化を体験することも出来なくなるかもしれない。そう考えると、もしかしたら自分は、数え切れないほどの問題を抱えている不条理な世界に生まれながら、実は一番大事なことを学べる時代に生きているのかもしれない。界が抱えている問題が早く解決してほしいと思っているのは言うまでもないが、そうなったときに人類はどのようにして「大切なもの」を「大切なもの」として認識出来るのだろうか。
 残念ながら、今の私はこの問いに答えられるだけの知識も思考力も持ち合わせていない。何か良い考えがあればコメント欄にぜひよろしくお願い致します。